多摩川上総層群-2(宿河原)
多摩川宿河原に広がる上総層群(かずさそうぐん)
「牛群地形」と呼ばれる昭島の上総層群程にはダイナミック感はないが、多摩川の上総層群としては、若しかして宿河原の方がポピュラーかも知れない。検索でヒットするのもこちらが多い。
面積が広いということと、都心から近いという事情もあるのだろうか。
ただ河床一般の特徴として、その時々によって表情が違い、今回も大半は流れの下に有って、露呈している部分はそれ程広くはなかった。
上総層群今昔物語
昔、ママチャリを漕いで多摩川の土手を走ったことが何度か有って、その時は土手の上からも直ぐに分かるほど広く大規模な上総層群が見えた記憶が有る。しかし今回は予め検索していなかったら場所も分からない程だったし、規模もかっての記憶には遠く及ばず大半が水の中だった。勿論時々の水量にもよるのだろうが。
撮影した時点では分からなかったこの違い・理由が後で調べて分かった。どうも宿河原堰提が原因だったらしい。
1999年(平成11年)宿河原堰提が改築され、現在の位置に置かれたのだが、その後下流の上総層群の露呈規模が縮小したらしい。つい最近のことなのだ。つまりママチャリ漕ぎながらみた大規模な上総層群の景観は堰提工事前か、或いは未だその影響が顕著でなかった頃だったのだろう。
そう言えば昭島の「牛群地形」も、1950年代の砂礫大量採取による上総層群の露呈、1960年頃から70年代半ばに掛けてのの多摩川の浸食で牛群地形が発達・最大化し、2001年の台風で一気に規模が縮小したとのこと。これもつい最近の出来事。
上総層群そのものの形成は数百万年のスパンを持つ訳で、その地質学的年代と比べればホンの瞬きをするほどの瞬間的な出来事で有る訳だ。
地形図
クリック、拡大表示でご覧ください。
撮影Map
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。 (2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します)。
宿河原堰提
小田急和泉多摩川駅から南に250メートルほど行くと多摩川の土手にぶつかり、直ぐその下流に宿河原堰提が多摩川を横断している。対岸の川崎市に掘削されているニヶ領用水への取水用堰。
上総層群が広がっている場所はこの宿河原堰提の下流部分。
『岸辺のアルバム』
1977年放映のTVドラマ『岸辺のアルバム』で描かれた台風16号による多摩川決壊(1974年9月)の現場でも有ったようだ。
近くに「多摩川決壊の碑」も有るらしいが、今回は確認しなかった。
川鵜
堰提に川鵜が群れていた。丁度アユのシーズンでもあり、鵜にとっては天国のような場所じゃないかな。
写真右側、魚道
上総層群
河底に広がる上総層群の現場
上総層群が広がるのは、写真中央奥の、段差の下流部分。ここに広く上総層群が広がっているのだが、大半は流れの下。
予め場所を調べておかなかったら、土手の上からはそれと分からない。何年か昔通った時には露呈していた上総層群の景観が見て取れた記憶が有るが、河床の表情は時々で違うのだろう。
手前に深みが有ってここからは現場に行けない。少し下流に回る。
水が有って分かりにくいが、水を通して上総層群が見える。
川も浅いし、比較的平らなので川に入っての写真。
踏み分け道
宿河原堰提から200メートルほど下流、川に続く踏み分け道が有った。
多摩川に出る
踏み分け道はこの写真の右側に出る。
上流方向、宿河原堰提とその奥の小田急線鉄橋が見える。
明らかに色の違う層が重なっていた。
平らな表面
「牛群地形」と呼ばれるほどの昭島の奇岩風景とはハッキリ違い、上総層群らしい平らな表面。
流れの下に広がる上総層群
露呈しているのは一部分で、多くは水の下に広がっていた。
平らで滑らかな泥岩(砂岩)の上を、浅い水が舐めるように流れていた。
化石
貝や水生生物の化石が簡単に見つかる、と言うようなことだったがザッと見ただけではそれらしいものが見つからなかった。
ただ、倒木の化石じゃないか、と思われる痕跡を確認。
これは何の痕跡か?
水に洗われる上総層群
下流方向
土手に近い部分が露呈していた。
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