多摩川を辿る-1(太平洋から六郷土手)

 

2014/3/9

母なる多摩川

多摩川を「母」と呼んでいいかどうか? と言うのは例えば利根川は「坂東太郎」の愛称で呼ばれ、九州の筑後川は「筑紫次郎」、四国の吉野川は「四国三郎」と、それぞれ男の名前で親しまれている。通俗的に大河を男に見立てる慣習が有るのかもしれない。しかし、武蔵野にとって多摩川はまさしく”生みの母”と呼ぶにふさわしい。
それは多分、実際に多摩川を河口から遡るに従って、否応なくそこに関わってくる武蔵野の風情によって実感することが出来るだろう。
…と言うことで、今年(2014年)の一つの目標が、この多摩川を河口から源流まで歩き通すこと。………と決意をしたのもつかの間、あっという間に断念してしまった。武蔵野台地上の他の河川と違い、多摩川は歩き通すには長すぎる。
それでも河口から京王多摩川駅までは歩いて見たし、それに伴って府中用水や染地せせらぎの道など、武蔵野とのかかわりとその後の取材対象に目を向けることが出来た点では大きな収穫だったと言える。

 

    

多摩川河口全景

羽田側から見た河口。
写真左側から羽田空港A滑走路の誘導路、右側は川崎。正面の塔のようなものはアクアラインの風の塔か。遠景は東京湾を挟んでの房総半島。

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A滑走路とその誘導路

A滑走路の誘導路に隠れて見えないが、写真左奥にD滑走路がほぼ直角に左方向に伸びている。その先は太平洋、と言うか東京湾。

ほぼ2分間隔の着陸

羽田空港の着陸間隔は、ほぼ2分だそうだ。見ていても着陸機のすぐ後ろに何機も続いている。これがひっきりなし(クリック、拡大表示の写真に後続機の様子を表示しておきました)。

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A滑走路側を見る

上の写真撮影場所はこの写真左側正面の奥。この通路は立ち入り禁止になっているが、堤防の外側の護岸石の上を歩けば、行って行けないことは無い。

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河口遠景

写真左側は環状八号線。この写真の通路は当然通行可能。
兎も角全体が広いので、少しくらい移動しても見た目の風景はあまり変わらない。

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河口付近から上流方向

決して「澄み切った」とは言えないが、都会の真ん中の大河としてはまあまあなんじゃないだろうか。一時期はおそらく汚れに汚れていたのだろうが。
白く見えるのは貝殻。

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「あさりしじみ 乱獲禁止」

「あさりしじみ 乱獲禁止」の立て札が立ってたが、乱獲をしようと思えば出来る程に、あさり・しじみが採れるのだろうか?

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唐突に大鳥居

海老取川が多摩川に注ぐ合流地点に、結構立派な鳥居が建っている。
鳥居は普通、神社と付き物だがそれらしい神社は見当たらず、鳥居だけ。この鳥居の直ぐ右後ろ、海老取川に掛る橋が弁天橋となっていたから、最初この鳥居も弁財天所縁のものかと思ったが実はそうでなく、500メートル程離れた穴守稲荷の鳥居なのだそうだ。

穴守稲荷大鳥居の由来

敗戦後羽田に進駐して来た米軍が、空軍基地として使う為に羽田空港の拡張工事を行った。その際、この辺一帯の住民を立ち退かせ、その一環として穴守稲荷も移転を余儀なくされたらしい。
鳥居も当然撤去作業が行われたのだが、事故が相次ぎ、「これは羽田の守り神であるキツネ様の祟りだ」との噂が広がったりして、結局GHQも撤去・移転を諦めて大鳥居は残ることになったそうだ。
なお、その場所は今より空港近く、旧空港ターミナルビル前の駐車場に有ったのだが、1999(平成11)年、更なる空港拡張工事で撤去検討、地元住民の強い要望で約800メートル離れた現在地に移転されたとのこと。

GHQによる住民追い出しは、相当無理無体な状況で、住民は家屋を解体し建材を運び出す余裕もなく追い払われたらしい。その住民からすれば恨みと抵抗のシンボル、或いは離れざるを得なかった旧居住地の心のよりどころになったのかも知れない。

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海老取川と弁天橋

鳥居の直ぐ後ろが海老取川。そこに掛る右側の橋が弁天橋。

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海老取川河口

海老取川が多摩川に合流する地点は、チョッとした住民の憩いの場になっているようだ。

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弁天橋を渡って

海老取川沿いに、多摩川に向かう。この辺武蔵野歴史の散歩道になっているようだった。

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多摩川沿いの係留船

多摩川に沿って、漁船、釣り船、屋台船等が係留されている。漁港的な施設もある。

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河口から2キロメートルの標識

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川が湾曲している為、既に河口は見えない。

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二本の橋

左側(下流側)の橋は、首都高速神奈川1号横羽根線。右側(上流側)は大師橋。

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高潮時水門?

一般的に水門は下水再生水の排水用が多い(排水樋管)が、ここは漁船係留場所を多摩川から仕切る水門だと思われる。

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大師橋緑地

河川敷が広くなり、主に野球練習場が広がる。土手(写真右)から水際まで遠くなる。

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緑地脇の「文化住宅」

 広い河川敷の端、川辺に近い藪が続く中に、立ち並んでいた。

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藪の中の「開墾地」

元々藪なんだから自由に耕作させればいいじゃないか、って思うのだが、行政としてはなにかあった時に責任を問われるし、一旦認めてしまえば終止が付かなくなる、って恐れも有るんだろうな。
畑だけじゃなく、色々な「生活」を感じさせるモノも有った。

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川縁と対岸

藪が川縁まで押し寄せ、水に沿って歩けない所が多い。

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六郷用水(次大夫堀)と六郷ポンプ所

多摩川を辿るにつれ、こう言った下水処理施設と排水口に出会う。水門はこの下流にも有るが、排水樋管としては多摩川で一番河口側の処理施設かも知れない。

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六郷水門

上の写真の直ぐ上流に、歴史を感じる水門が有る。
かっての六郷上水の排水水門のようだ。六郷水門については、こちら
六郷用水全体については、別途ページを設けています。こちら

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水門は開いていた。ここも増水時にはしめるのだろう。

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六郷排水場

歴史を感じさせるが、稼働しているのだろうか?

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南六郷緑地

奥は南六郷緑地として、親水公園風に整備されていた。

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公園内のトイレにも、水門のオブジェが。

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六郷橋緑地

野球練習場などが続く

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カモメだろうか、餌付をしていた。近くに何人かアマチュアカメラマンが。

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潮の満ち干にもよるのだろう、川底の泥が露出している場所が有った。

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雑色ポンプ所

排水路が見えなかったから、右側タイル部分の下が暗渠になっているのだろうか?

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ヨシに挟まれた水路

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六郷橋

第一京浜が通る

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止め天神

第一京浜を超えたところに、梅の花が見えたので立ち寄ってみた。止め天神とあった。

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六郷土手駅

止め天神から直ぐ脇、京急本線の六郷土手駅から帰路につく。本日はここまで。

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