妙正寺川番外ー哲学堂公園
哲学堂公園
東洋大学の創始者井上円了が1904(明治37)年、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したのが公園の始まりで、その後も色々な建築物が追加整備された。
元々は源頼朝の重臣、和田義盛の城址だったそうだ。
現在は中野区立の公園となっていて、野球場なども付随されている。元々は井上円了個人が始めた公園だったのだろうが、野球場なども含めれば結構広い。
※ 哲学堂公園に関して、何事か説明できるような知識は私には有りません。必要に応じてネットなどを検索してください。ここでは写真で雰囲気だけでも味わって下さい。写真の掲載も順不同・ランダムです。
妙正寺川と哲学堂公園
妙正寺川を挟んで、南岸の哲学の庭エリアと、北側台地上の哲学公園エリアに分かれる。その間を富士橋(観象梁)が繋いでいる。
妙正寺川左岸、哲学の庭の下に「妙正寺川 第一調節池」・「妙正寺川 第二調節池」の取水口が開いていて、豪雨時の増水を一時的に貯水し氾濫を回避している。第二調節池の案内板を見ると取水した水は哲学の庭周辺の下に貯水され、その貯水量は最大100,000㎥とのこと。
地形図
クリック、拡大表示でご覧ください。
撮影Map
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。
2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。
下田橋
妙正寺川が中野通りと交差する地点が、哲学堂公園への入り口の一つ。中野通りに沿って公園が広がっている。
クリックすると、文字が判別するよう拡大表示されます。
下田橋からの妙正寺川
右岸に「哲学の庭」が広がり、その下に「妙正寺川第二調節池」の取水口が開いている。
左岸は10メートルを超える台地から妙正寺川に落ち込んでいて、その崖と台地上に「哲学堂公園」が展開している。
右岸、哲学の庭
左岸、哲学堂公園
妙正寺川直ぐ脇の、崖下。崖に決まりごとの湧水箇所が幾つかある、…が、おそらくポンプアップによるものだろうな。
かっては豊富な湧水が見られたのだろうが。
妙正寺川脇から、台地上に繋がる石段。
三祖碑
崖の途中
台地に上がって
哲理門
茶会が開かれていた。
建物の中に、一般入園者は原則入れない。
六賢臺
右脇の案内板には以下のような文章
ここに東洋的六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている。
三角尽くしの三学亭
おそらく公園での最高地点だろう。
硯塚
筆塚と対をなす碑だと思われる。
脇の案内板には以下の文が記されている。
硯塚
井上円了が全国巡游中、求められて各地で揮毫した際に用いた硯を供養した記念碑で、筆塚とともに貴重なものである。
四聖堂
井上円了が最初に建設した建物で、ソクラテス、カント、孔子、釈迦の四賢人を祀ったこの四聖堂を「哲学堂」と称し、これがそのまま公園の名、公園の始まりとなった。
宇宙館
絶対城
筆塚
崖の途中。
上掲硯塚と対をなす碑だと思われる。脇の案内板には次のような文が記されている。
筆塚
字を書きて、恥をかくのも今暫し
哲学堂の出来るまで
哲学堂は井上円了博士が全国巡游中求められて各地で揮毫した際の謝礼を基金として開設されたのであるが、その謝意を含め、かつ、その筆供養のための記念碑として造られたのがこの筆塚である。
台地から降りて
菖蒲池
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