神田川-3(善福寺川合流から高田馬場)
神田川と神田上水-3
地形図
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撮影Map
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2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。
神田川と善福寺川合流地点
※ 合流状況はこちら
富士見橋
脇に区画整理を記念した大きな石碑。
この橋からしばらくの下流、神田川の真下を地下鉄丸の内線支線が走っているとのこと。
富士見橋から見た神田川の流れ。ここから暫く川沿いに沿って歩けない。迂回しながら次の橋に回ることを繰り返す。
橋のリニューアル
本郷橋からの下流方向。橋が順次新しく架け替えられている。
千代田橋
リニューアルさた千代田橋。リニューアルと同時に両岸の緑道(遊歩道)も整備されている。
中野新橋
赤い欄干と擬宝珠が特徴。なぜこの橋だけ?と思って調べてみたら、かってこの辺は戦前から昭和50年ほどまで花街だったそうで、今は普通の街並みになっているがその名残を残そうとしてのことらしい。「中野新橋」の名称も平成23年のリニューアルに伴ってのもので、元々は「新橋」だったそうだ。新橋の花街と区別する為「中野新橋」と呼ぶことになったようだ。
橋の直ぐ脇(写真左側)の小公園に、リニューアル前の擬宝珠が飾ってある。
沿道の風景
月見橋から下流方向
前方、新宿新都心の高層ビルが見えて来た。
東京都下水道局弥生ポンプ施設
月見橋の左脇橋詰に建っている
月見橋脇に表示されている案内板
これによると川底に下水道管が敷設されているらしい。
長者橋
山手通りに掛かる橋。
この近くに、「中野長者」と呼ばれた人の住居跡があっての橋名だとのこと
淀橋
「淀橋」の名前の由来は諸説あるらしいが、兎も角そこからこの辺が「淀橋区」と呼ばれたとのこと。旧淀橋浄水場もここに有った。その跡地が現在新宿新都心の高層ビル群となっている。
ヨドバシカメラもここを発祥の地とする。
末広橋手前、『神田川』歌碑
末広橋手前の左岸に小公園がある。見た目は何の変哲もない公園だが、フォークソング『神田川』の歌碑がさりげなく置いてある。なおこの歌の実際の舞台はもっと下流の戸田平橋付近だとのことで、作詞した喜多條忠が住んでいた「三畳一間の小さな下宿」は豊島区高田3丁目に有ったという。
桃園川合流
同時にこの公園は西から流れて来た桃園川(現在全区間暗渠)が神田川に注ぐ合流点でもある。
桃園川が注ぐ
桃園川は現在の荻窪駅の北、天沼弁天池公園に端を発し、この公園を経て末広橋下で神田川に合流する。
現在全て暗渠化されその上が一部を除き緑道として整備されている。
末広橋
大久保通りに掛かる末広橋。この下に桃園川の合流口が開いている。
桃園川合流口
新開橋
この辺から神田川の沿線、時期には花見で賑わう。
中央線をくぐる
小滝橋
早稲田通りに掛かる橋。
落合水再生センターと落合中央公園
都道25号(早稲田通り)にかかる小滝橋を超えて少し行くと、歩道・自転車専用道が一旦終わり、通常の道路に代わった所に落合水再生センターが左側に広がる。ここからの高度処理再生水が、例えば呑川の主要な水源となっている。
落合中央公園に上がる階段からの、神田川下流方向の眺め
再生センターの上は「落合中央公園」となっていて、野球場などがある。
再生センター脇の紅葉
高田馬場分水路
前方、新堀橋の下で神田川は左側に大きく口を開いている。
新堀橋下の分水路開口部
普段は分水路に流れは無いが、神田川が増水し法面を超えると水は分水路にも流れ流量を二分する。
分水路に流れ込んだ水は、160メートル程暗渠として地下を流れ、妙正寺川の末端に注ぐ。
妙正寺川はここ、落合で神田川の分水と合流、「神田川」として、明治通りと新目白通りが交差する地点まで暗渠で流れ、明治通りに掛かる高田橋で、並行して流れて来た開渠の神田川(本流)と合流する。
これらの処置は全て、「洪水の名所」高田馬場渓谷を迂回して水を流す為のもの。
地上から見る分水路
現在の落合
高田馬場分水路は辰巳橋で妙正寺川と合流。
新目白通りに潜る神田川(分水)
合流地点から直ぐ下流、妙正寺川を合流した神田川はここで新目白通りに潜り、こちらに続く。
新堀橋
新堀橋に戻って、神田川(本流)を辿る。
ただこの先、しばらく川に沿って歩けない。
落合橋
高田馬場分水路から250メートル足らず下流、落合橋の上からの眺め。前方山手線の高架が見える。その下は「高田馬場渓谷」。
この辺、川に沿っての遊歩道はない。橋の名前からして、かってこの辺で妙正寺川と合流していたのだろうか?
田島橋
落合橋から更に300メートル程下流、富士大学脇の田島橋。高田馬場駅はこの先直ぐ。
高田馬場渓谷
高田馬場駅から下流方向直ぐの新高橋と、その一つ上流・清水川橋の間、丁度JR山手線と西武新宿線が通る下、神田川の中でも一番川幅が狭くV字型になっている。「一枚岩」との名称も有るようで、両側を岩に挟まれた渓谷状態となっている。かって神田川の景勝地の一つでも有ったのだろう。
同時にこの場所は洪水の名所としても有名だったらしい。
この少し上流の落合で妙正寺川が合流していたし、さらに上流で善福寺川が合流している。崖に挟まれた地形と相まってこの辺は水害多発地帯でも有ったそうだ。江戸期にはこの下流部川岸に人家は無かったらしい。
現在も普段は川底に僅かばかりの流れしか見えないが、コンクリートやアスファルトで覆われた都市で一旦雨が降れば、地中に浸透する間もなくアッという間に河川に流れ込む。しかも北の落合崖線と南の淀橋台に挟まれたこの地は、他に水を回避させるルートもない。
神田川高田馬場分水路と妙正寺川合流、暗渠による下流への付け替えは、ひとえにこの高田馬場渓谷を迂回する水害対策の為だろう。地下調整池も含め、80年代以降のこれら対策で今はあまり水害の話は聞かない。しかし今でもここから上流では大雨が降った時、しばしば危険水域に達し、この新高橋にTVカメラが押し寄せると言う話ではある。
上流の清水川橋から、高田馬場渓谷を望む
急速に狭まり、しかもやや蛇行している。
新高橋から見る高田馬場渓谷・一枚岩
大雨の時、TVカメラが並んだと言う新高橋から上流方向。
新高橋から、下流方向
前方、高塚橋、その先『神田川』で歌われた場所に架かる戸田平橋
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