覚書- 「原始共産制社会」のスケッチ

マルクス、エンゲルス等、「社会主義・共産主義」陣営の、いわば創始者が書いた書籍の中で、その「共産」のフレーズを使っての『原始共産制社会』の呼称・表現が、何となく読む人をして、原始時代への美化、愛着、郷愁、牧歌的雰囲気を想定しているかの如く読ませるのかも知れない。
呼称は呼称として、マルクスもエンゲルスもそこに特別な思い入れが有ってのことでは無いだろう。しかし人類史の大半で、「原始共産制」と呼ばれる状態が有ったことは確かである。


ヒトはおよそ700万年前、チンパンジーやボノボとの共通祖先から分岐したとされている。700万年前は従ってチンパンジーなどと全く同じ動物種だった訳で、分岐した後も当然彼らの生活様式を継承していた筈である。
メスをめぐってのオス同士の争い、ボスの座をめぐる争い、群れ同士のいざこざ等、分岐した後も当然有った筈だ。

分岐後どころか、つい最近までニューギニアの原住民部族では、部族同士の頻繁な血生臭い争いが確認されている。数字は忘れたが成人男子の相当の割合が、この出入りで死んだり負傷している。
この争いの動機の一つとしてSexが挙げられる。要するに勇者はモテルのだ。それに相手部族の女を、戦利品にすることも大きな動機だっただろう。
そして報復を恐れて相手部族(男)を皆殺しにするのだとのこと(昔読んだ本なので記憶が曖昧です。出典も思い出せません。ジャレッド・ダイヤモンドだったかな?)。

ニューギニアの原住民も種としては我々と全く同じホモ・サピエンス、それも「行動の現代性」を備えた、その意味でも我々と全く同じ人間である(「行動の現代性」以前のホモ・サピエンスを「解剖学的現代性」と呼んでいる)。
「出アフリカ(5万年前とも10万年前とも、研究によって違うが)」によって、地球上に拡散した、おそらく数100人規模と思われる集団を祖先とする、我々と同じその子孫である(アフリカ単一起源説)。
彼らの子供を、赤ん坊の時から文明社会の中で育てれば、立派に現代文明に適応できる。同じホモ・サピエンスであっても、解剖学的現代性だけのホモ・サピエンスやネアンデルタール人ではそうは行かないだろう。


今現在、ニューギニアの彼らがどんな生活をしているのか知らないが、現代文明に触れる前のホンの最近まで、彼らは殆ど石器時代と同じ生活様式だったらしい。
経済システムとしては、正に「原始共産制」社会と言っていいだろう。そこに奴隷はいないし、封建的土地貸借も無いし、ましてや資本主義に至ってはその萌芽さえ無い。

何故奴隷がいないか?
それは彼らの生活状況を考えれば分かる。
男たちの、不安定で実入りの少ない狩猟と、女たちの植物採取と言う生活の中で、仮に奴隷として働かせても、その収穫は奴隷が喰っておしまい。搾取すべき剰余生産物等何処にも残らない。その程度の生産力しか無い中で、奴隷制は意味を持たない。
下手をすると女達が採取してきた植物性食物を分け与えて、奴隷を養うようなことになりかねない。

奴隷の最初の供給源は戦勝捕虜だった筈だが、こう言う状況の中で捕虜は考えられない。相手を皆殺しにするか、或いは稀に、同等の仲間として部族の補充に当てることになっただろう。時には殺した後喰ったかも知れない。

同じ部族内で、ボス的な存在や長老的存在など、有る程度の階層は有ったとして不思議では無い。しかしこれも極端な分配の不平等が有れば、下層のクラスは生きて行けなくなり部族の存続が危うくなる。その辺は正に、サル山のサル程度の範囲で落ち着くと思われまる。
おそらく原始時代、我々の祖先は概ねこう言った状況で長く暮らして来たのではないだろうか。


以上、ザッとしたスケッチだが、「原始共同体=原始共産制社会」で言われる「共産制」「平等性」は、飢餓と隣り合わせの低生産力に照応した、必然的なものだった筈である。
ただ一つ言えることとして、この原始共産制から脱して、奴隷制、封建制、資本主義と続いて来た、搾取と被搾取・階級社会は、人間の歴史全体からすればホンの一時だし、それが人間の本質だとは言えないことだ。人類の過去の歴史の大半は階級の無い社会だった訳で、今の階級社会を永遠不滅の既定事実と見るのは間違いだと言える。

史的唯物論が展望していることは、今の階級社会を乗り越え、資本主義によって達成された巨大な生産力を社会全体に開放し、法のもとに平等の「民主主義」を更に発展させた、真に豊かな平等・共同、計画経済社会だろう。
その時に初めて人間は「本史」を迎える。

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