No- 3 弁証法的唯物論とはどんな哲学か(3)

    

 

1、弁証法

前回の終わりに「弁証法的唯物論は唯物論哲学の発展の最高段階である」と言うようなことを聞きましたが、いきなりそんなことを言われてもどういう事だか、どうしてそうなのか、さっぱり分かりません。

もっともです。前回には唯物論と観念論のことを話しただけで弁証法については未だ何も話しておりませんから、弁証法的唯物論とはどんな哲学か、と言うことは未だ半分しか明らかになっていないのです。だから今回は先ず弁証法について説明します。

発展の科学としての弁証法

前回の終わりに、生物進化論のことと、社会は発展しているということに簡単に触れました。生物だけで無く、自然は全体として発展しているのです。
今日では、太陽の周りを地球や金星、火星などの惑星が回っています。これが太陽系ですね。だがこの太陽系も永遠の昔からこういう状態にあったのではない、と言うことが18世紀以来分かってきました。 初めに星雲が有り、それから今日のような太陽系が生まれた、と言うのがカント=ラプラスの星雲説です。
今日ではこの星雲説がそのまま正しいとはされておらず、宇宙塵などの新しい学説が出ていて、太陽系がどのようにして出来たかについては未だ完全に明らかになってはいませんが、これは自然科学の発展が今後明らかにしてくれるでしょう。

管理人註
2010年の段階で、太陽系は勿論、銀河系、宇宙そのものの誕生について、その時期、メカニズムを相当精密に描写出来るようになっています。或いは星の生成・消滅についても。

だがいずれにしても、太陽系が永遠の昔から今日のようで有ったのでは無いことは、ハッキリしています。
夜空に輝く多数の恒星にも、幼年期、青年期、老年期の星が有って、非常に長い時間の間にですが星が変化することが知られています。
生まれたばかりの地球上には生物はいませんでしたが、その後最初の生物が無生物から生まれ、生物が進化し、猿から人間が生まれました。

人間は非常に長い間原始共同体と呼ばれる社会形態をとって生存してきましたが、その間にも旧石器時代から新石器時代への発展が有り、やがて青銅器時代に移ります。そしてこの石器から金属器への移行と大体同じ時期に地球上の先進的な地域で有ったエジプトなどで、奴隷制社会が成立したのです。
このように自然にも社会にも、発展と言う事実が有ります。又人間の思考力(物を考える力)も、猿から人間へと進化したばかりの時期には現存の類人猿の思考力とそれ程違ったものでは無かったでしょう。
だが前回に述べたように、生産活動を通して物質に働きかけることによって、人間はさまざまの知識を獲得してきました。このことは同時に人間の思考力が発展したことを意味しています。

自然と社会、そして人間の思考・認識 ―― ―― これら全てが発展しているのです。そうだとすれば、これら全ての発展に共通の、一般的な発展法則が有る筈です。このような一般的発展法則を研究する学問が弁証法と呼ばれているものです。

大分難しい話ですね。発展が有ると言うことまでは分かるが、一般的発展法則なんて言われると何だか分からない。

そうでしょう。何もかも一度に分かろうとしても無理です。一般的発展法則のことは何回か後で詳しく述べます。そこまで行くには順序を踏んで行かなければなりません。ここではただ、自然も社会も人間の思考も発展しているということ、それらの全てに共通のものとしての発展を研究するのが弁証法だ、と言うことさえ理解できれば良いのです。
そして、このように発展という事実を認めて、自然・社会・人間の思考(認識)の全てを発展するものとして捉える考え方が、弁証法的な考え方と呼ばれる、と言うことを覚えておいて下さい。

連関の科学としての弁証法

弁証法的な考え方のもう一つの特徴として言っておかなければならないことは、この考え方は、自然や社会や人間の精神活動を、バラバラの要素に切り離して、それらの要素を一つひとつ孤立させ、固定させて捉えるのでは無くて、多数の要素が密接にかつ複雑に結びつき合っていることに注目し、これらの要素を互いに関係しあい連関したものとして捉える、と言うことです。
実際に、自然でも社会でも人間の精神活動でも、一つだけ孤立した要素と言うものは無いのですから、それらをありのままに捉えようとすれば、当然、関係・連関に注目しなければならないのです。ところが人間と言うものはとかく、或る一つの要素に気がつくとそれだけにしがみつき、これを孤立させて捉え易い傾向が有るので、特にそう言う謝りに陥らないように努める必要があります。

弁証法と形而上学

弁証法的な考え方と丁度正反対の考え方が「形而上学的な考え方」と呼ばれるものです。「形而上学」と言うことばは、奇妙な文字が並んでいる嫌な言葉ですが、「メタフィジーク」と言う外国語を明治時代の人が翻訳する為にこんな奇妙な言葉を作ってしまったので、今日でも仕方なしに使っています。
形而上学的な考え方は、事物をバラバラの要素の単なる寄せ集めいと考える考え方であり、また、発展を認めず、自然も社会も人間の精神活動も、ただ同じことの繰り返しが行われているのだ、と考える考え方です。

「弁証法」だとか「形而上学」だとかいうものが有ると言うことは、やはり、違った哲学が有ると言うことなのですか。

そうです。「世界とはそもそも何であるか、物質であるか、それとも観念・精神であるか」と言う世界観的な問いにどう答えるかによって、唯物論と観念論と言う対立する哲学が生まれたように、「世界はどのようであるか」と言う世界観的な問いに対する違った答えとして、弁証法と形而上学とが生まれたのです。
弁証法と形而上学との対立も非常に古くから有りました。但し注意しておきたいことは、唯物論と観念論との対立は、前回述べたように、肉体労働と知的労働との分離と言う、社会的・階級的な根が有ってそこから出てきたのもなのですが、弁証法と形而上学との対立はそうではないと言うことです。

宗教の中でも、キリスト教では、世界は神によって創られたものであり、世界には神の永遠不変の理法(おきて)が行われているという考えが強いので、形而上学的な考えに傾いています(最後の審判の日が来るなどと言うことを言って、変化を全く認めない訳では無けれども)。
仏教では「諸行無常」などと言って、この世の中の全てのものは常住不変ではなく、変化し滅びると言うことを強調します。もっとも仏教の歴史観は、時代が経つにつれて世の中はだんだんと悪くなるという考え(末法思想)ですから、形而上学に反対しているとは言いながら、発展を正しく認める弁証法的な考え方だとも言えません。
色々な宗教の中に弁証法の萌芽・要素は有りますが、弁証法的な考え方が確立されたのは、やはり科学の発展によってであり、それも先に述べた星雲説や生物進化論以後のことであって、比較的新しいことなのです。

哲学では、古代ギリシャの哲学者たちは大体において、自然や社会現象の全体を連関と運動・変化に於いて捉えており、素朴では有るが弁証法的無世界観を持っていました。ところが、自然や社会を研究するには、その全体の姿を捉えるだけでなく、それぞれの部分・要素を調べる必要が有ると言う、もっともな理由によって、部分・要素を全体から切り離して研究することが諸科学で行われるようになり、こうした科学における研究方法が哲学の中にも持ち込まれるようになって、17-18世紀の哲学では、形而上学的な考え方が広く行われるようになりました。
18世紀のフランスでは、フランス革命の前夜にあたって、徹底した無神論を説く戦闘的・革命的な唯物論哲学が現れましたが、しかしこの唯物論は、当時の自然科学の影響を受けて形而上学的な唯物論でした。

2、唯物論哲学の最高段階としての弁証法的唯物論

だいぶ込み入った話になりましたが、細かいことはこの講座の回数が進んだところで又述べるので、今は分からなくても構いません。是非分かって欲しい大事なことは、唯物論と観念論との対立も弁証法と形而上学との対立も、非常に古くから有ったけれども、弁証法と唯物論との結びつきはマルクス以前には無かった、と言うことです。
弁証法的唯物論と言う科学的でかつ革命的な哲学を作りだしたのは、カール・マルクス(1818-1883)とフリードリッヒ・エンゲルス(1820-1895)の偉大な業績でした。そういう意味で弁証法的唯物論は唯物論哲学の発展の最高段階なのです。

    

 

弁証法と唯物論とを結び付けて弁証法的唯物論を作ると言う、それ以前の人達に出来なかったことを、マルクスとエンゲルスはどうしてやることができたのでしょうか。

その理由の一つは、19世紀に諸科学が大きな発展を遂げて、唯物論と弁証法とが正しいことを証明する多くの科学的データが蓄積されたことです。だが更に大切な理由は、マルクスとエンゲルスが革命的労働者階級の立場に立つ思想家だったと言うことです。

世界観に関する問題の重要な一つは、世界(自然と社会)における人間の役割をどう捉えるか、と言う問題です。
宗教的世界観は、人間を無力なもの、神や仏に頼らなければならないものだと見ています。原始時代の人間は、例えば洪水のような自然の猛威に対して非常に無力でした。だが人間は何千年もの間に、その労働によって自然の猛威に対抗する力を強めて来たばかりでなく、さまざまな自然力を利用することを学んできました。 今や人間は自然に対して無力で無いばかりでなく、自然に働きかけ、自然を改造する力さえ持っているのです。
労働の意義をハッキリと捉え、労働を通して自然において人間が果たす積極的な役割を正しく評価できるのは、唯物論哲学です。何故かならば、前回に述べたように、唯物論哲学は直接的生産者たちの素朴では有るが正しい世界観を真っ直ぐに受けつぎ、発展させてきたものだからです。

では社会に対してはどうでしょうか。奴隷制社会の末期に、奴隷の大規模な反乱が行われました。封建制社会では各地で何回も繰り返して農民の一揆が起こりました。
これらの階級闘争は、奴隷制社会や封建制社会を揺り動かし、これらの社会体制の崩壊へと導く力になりましたが、しかし、奴隷も封建制のもとでの農民も、自分自身の力で新しい社会体制を作る力を未だ持っていませんでした。
今ここでそれらの理由を詳しく述べることはできません(それは、社会発展史の研究課題です)が、実際に奴隷制に替わって現れた封建制も封建制に替わって現れた資本主義も、搾取の形態が変わっただけで、相変わらず搾取の行われる階級社会でした。
だが労働者階級は違います。労働者階級は、その行う階級闘争によって資本主義を倒すだけでなく、自分自身の力で、搾取の無い新しい社会体制を、すなわち社会主義社会、共産主義社会を作る力を持っている階級なのです。
マルクスとエンゲルスは労働者階級をこのような階級として理解し、その立場に立って歴史・社会を理解したのでした。

今や労働者階級としての人間は、社会に対しても又、無力で無いばかりか、その階級闘争を通して社会を変革する力を持っているのです。このことは、世界における人間の役割と言う世界観的問題を考えるにあたって、決定的に重要なことです。
前回には、奴隷と農民と労働者とを区別しないで、労働する人々、直接に生産活動に従事する人々として捉え、これらの人々が体験を通して掴んでいる素朴な世界観が唯物論哲学の出発点である、と言うことだけを述べました。
だが今や、特に労働者階級を他の直接的生産者の階級と区別する必要が有ります。それは唯物論哲学の発展の最高段階である弁証法的唯物論には、前述のような労働者階級の社会を変革する積極的な力を正しく評価し、その立場に立つことによってのみ到達することが出来るからです。

3、弁証法の立場に立たない時、唯物論も徹底されない

形而上学的だったフランス唯物論

弁証法的唯物論が労働者階級の哲学だ、と言うことがやっと分かりかけて来たような気がします。でもまだよく分からない。労働者階級が新しい社会体制を作る力を持っているということと、唯物論が特に弁証法的唯物論であるということとは、どういう関係が有るのですか。

その点を説明しましょう。
前に一寸ふれた18世紀のフランスの唯物論哲学は、自然を徹底的に唯物論的に理解し、霊魂の不滅や神の存在を否定しましたが、しかし未だ社会を唯物論的に理解することが出来ませんでした。その理由の一つは彼らの唯物論が形而上学的であった、つまり発展の見地に立っていなかった、と言うことに有ります。
前に述べたように、自然も発展しているのですけれども、自然の変化・発展には非常に長い時間が掛るので、発展の理論を持っていなくとも、つまり弁証法的な考え方をしていなくても、自然を有る程度まで正確に(勿論完全にでは無いけれども)研究し理解することが出来ます。
だが社会は、わずか数千年の間にも非常に大きな変化・発展をするので、弁証法的な考え方に立たない限り、これを正しく唯物論的に捉える事が出来ないのです。 18世紀のフランスの唯物論者たちは革命的な人達でしたから、現存のフランスの社会制度を誤ったものと考えており、これを変革しようとして戦っていました。しかし彼らは、歴史を発展過程として捉えなかったので、過去の一切は誤りであり、不義・不正で有ると考え、それを一挙にくつがえして、理性的な正しい社会を作ろうとしたのです。 ―― ―― ではどうすれば正しい社会が作られるのか。
過去が不義・不正の歴史で有ったのは、人々が迷信など正しくない観念を持っていたからである、だからこれらの正しくない観念を一掃して、人々が理性的な考えを持つようになれば、正しい社会が生まれる ―― ―― 彼らはこう考えました。
つまり、人々の観念が変われば現実の社会制度が変わると言う訳です。これが、観念が元のもの、支配的なものだと考える観念論的な歴史観であることは、言うまでも有りません。

この考えに、彼らの第二の誤りが結びついています。それは彼らが大多数の人間をどう見ていたか、と言うことに関係しています。
彼らは、人間にとって生活条件・生活環境がどんなに大切かと言うことを知っていました。長時間で過重な労働、狭くて不潔な住居、貧しい食物 ―― ―― このような条件のもとで多くの人々が生活している限り、盗み、泥酔、喧嘩などの道徳的退廃が大衆の中に広がることは避けられません。
つまり環境が悪いと人間は悪くなるのです。これは確かに唯物論的な人間の理解です。生活条件を改善しないで、ただお説教を聞かせても、人間は良くならないのですから。

しかし、この重要な生活改善を誰がやるのか、と言う問題でフランスの唯物論者は躓きました。彼らの考えは先に述べたように、人々の観念を変えることによって、歴史・社会を変えようとしていたのですから、大衆はただ環境の作用を受ける受動的なものとみなされており、優れた少数の指揮者によって良い法律が作られ、これによって社会環境が変えられることに期待せざるを得なかったのです。

■ マルクス、エンゲルスによる弁証法的唯物論の確立

さて、マルクスとエンゲルスの時代は、前述のフランスの唯物論者たちが活躍した時代よりも約100年のちです。
1831年にはリヨンで最初の労働者の蜂起がおこり、1838-1842年にはイギリスで最初の国民的な労働運動であるチャーチスト運動がその頂点に達していました。今や労働者階級は他人によってその生活環境を良くして貰うことによって初めて良い人間になれるような、受動的な大衆としてでは無く、自分の力で社会的環境を変えてゆく力を持つ、変革的実践の主体として歴史の舞台に登場していたのです。マルクスとエンゲルスはこのことに注目しました。

これは世界における人間の役割と言う世界観的な問題の捉え方の転換を意味します。労働者階級としての人間は、その労働と階級闘争によって、世界を変革する力を持っている ―― ―― マルクスとエンゲルスは、先の世界観的問題をこのように積極的・肯定的に解決したのです。
そしてこのことは、彼らが労働者階級の立場に立ち、その歴史的な役割を理解したからこそできたことなのです。

同時にこのことは、彼らがフランス唯物論者たちの一面的な人間観を克服したことを意味します。「人間は環境によって変化させられる」、「人間は環境に働きかけてこれを変化させる」 ―― ―― この二つの側面を連関において、すなわち弁証法的に捉える事が出来なかったので、フランス唯物論者たちは前の方の側面だけを切り離し、これに固執したのでした。 ここにも彼らの形而上学的な考え方が有ったのです。
マルクスとエンゲルスがこの一面性を克服できたのは、彼らが弁証法的な考え方をしたからこそです。

歴史の唯物論的理解=史的唯物論の確立

更にこのことは、歴史の唯物論的理解と繋がっています。人間を、その労働と階級闘争とによって世界を変革するものだと捉えたからこそ、歴史は人々の観念の変化によって(これを根本動力として)発展してきたのではなく、労働する人間の自然を変革する力の高まりと階級闘争とによって発展した来たのだ、と言う歴史の唯物論的な理解が可能になったのです(このことをもっと正確に表現すれば、先ず生産力が発展し、このことによって生産力と生産関係との矛盾が激化し、この矛盾の現れである階級闘争を通して社会は発展する、と言うべきです。しかし、「生産力」とか「生産関係」とかと言うことは史的唯物論で学ぶことなので、我々の学習ではもっと先になってから学ぶことになります。それですから、ここでは先のやや不正確な言い方で一応満足しておいて下さい)。

さて、社会・歴史を唯物論的に理解することが出来るようになって(つまり、史的唯物論が成立して)初めて、世界の全体を徹底的に唯物論的に、かつ発展の見地から理解することが出来るようになりました。つまり弁証法的唯物論と言う科学的世界観が成立したのです。

だから、以上に述べたことから分かるように......、

  1. 労働者階級の立場に立ち、その歴史を変革する役割を認めること。
  2. 世界における人間の役割と言う世界観的問題を積極的・肯定的に解決すること。
  3. 歴史を唯物論的に理解すること(史的唯物論の成立)。
  4. 弁証法的な考え方に立って世界を一貫して唯物論的に捉える事(弁証法的唯物論の成立)

...と言う四つのことは、どの一つが掛けても他の三つが成り立たなくなるような密接な関係で結ばれています。マルクスとエンゲルスが1840年代(まさにマルクス主義が成立した時期。『共産党宣言』が出たのは1848年)に書いたものを詳しく研究すれば、上述の四つのことが彼ら二人の思想家の頭脳の中で、どのように深く結び付きながら成熟していったかを知ることが出来るでしょう。

そう一気にまくし立てられても、分からない点が幾つも残ってしまう。だが、弁証法的唯物論いう難しい名前の哲学が、「労働者階級としての人間は、その労働と階級闘争とによって、世界を変革する力を持っている」と言うことの理解なしには成立しなかったのだ、と言う話は胸に響くような感じがします。

先ず大切なことをしっかり掴むようにして下さい。
細かいことが分からないままで残っても、何回も読み直す間に少しずつ分かってきます。学習と言うものはそのようにして進むものですから。

一言付け加えておきます。唯物論と弁証法とを結びつけると言っても、前の時代に既に出来ていた唯物論(例えば18世紀のフランス唯物論)と弁証法(例えばヘーゲルの観念論的弁証法)とを結びつけさえすれば、弁証法的唯物論が出来る、と言う意味では有りません。
弁証法的唯物論の成立は、先に述べたように、労働者階級の階級的立場に立つことによって初めて可能になった、新しい科学的世界観の成立を意味しています。
又弁証法的唯物論と史的唯物論も、どちらが先に出来たというものではなく、弁証法的な考え方をしたからこそ歴史を唯物論的に捉える事が出来たので有り、又、歴史を唯物論的に捉えたからこそ世界の全体を発展するものとして統一的に把握する科学的世界観が成立したのです。
両者をマルクス主義哲学の二つの部分として分けるのは、一度に二つのことを書いたり学んだりできないと言う理由によるものに過ぎません。

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