No-16 歴史における人民大衆と個人の役割

 

※ ここに掲載してある文章は、日本共産党発行の「月刊学習」誌に、1970年代、3年以上に渡って掲載されたものの転載です。管理人によるオリジナルでは有りません。
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(この章の学習ポイント)

これまでこの講座で学んできたことの、ある意味では総括に当たる重要な命題、それが「人民大衆が歴史をつくる」と言う命題です。この命題の持つ多面的な意味を理解することが、今月の学習のポイントです。

  1. 人民大衆は物質的財貨の生産者であること。
  2. 人民大衆が生産力を発展させる上で基本的な役割を果たすこと。
  3. 階級闘争に勝利することによって人民大衆が新しい生産関係の形成・発展の道を開くこ

―― ―― これらのことが前記の命題の主要な意味です。
なお新の大衆指導者とはどのような人であるか、大衆指導者たちと人民大衆との結びつきはどのようなものであるか、を最後に述べてあります。

1、人民大衆が歴史をつくる

この講座で一貫して述べて来たように、史的唯物論は、人類の歴史は(原始時代を別にすれば)階級闘争の歴史であることを、そうして、階級闘争を生み出し、更にこれを激化させる原動力になるものは生産の発展であることを主張しています。
ところで、ここで重要なことは、階級闘争を行う者も、又生産を発展させる者も、それは人民大衆であると言うことです。史的唯物論が生まれる以前にも、又それ以後にも、さまざまな観念論的な歴史観が有りましたし、現に今も有ります。
だがこれらの観念論的な歴史観は歴史における人民大衆の役割を正しく捉えることが出来ません。様々な国で多くの歴史家たちがそれぞれの時代の歴史を書いてきました。そしてこれらの歴史の書物を書くに当たって、それぞれの歴史家たちは何らかの歴史観(歴史とはこういうものだ、と言う歴史についての一定の見解)を持って歴史を書いたのです。
歴史を書くに当たっては歴史上のあらゆる出来事を全て書くと言うことはできる筈もないことであり、そこには当然、書くべきことと書かないで済ませることとが区別されなければならず、したがって書くべきことを選択する基準が有る筈です。

こうした基準は歴史観が有って初めて建てられるものですから、それぞれの歴史家は自分が歴史を書くに当たって、それをどこまでハッキリと自覚していたかどうかには程度の差が有りますが、何らかの歴史観を持っていたのです。
世界の各国で実にさまざまの、多数の歴史が書かれていますが、これらの歴史の書物を読んでみると、それらを書いた歴史家たちの歴史観も又、実に様々であったことが知られます。
しかし人民大衆を歴史の主人公として捉え、人民大衆が歴史をつくるのだと言う見地から書かれた歴史は、史的唯物論を自らの歴史観として歴史を書いた人たちの書物以外には、殆ど有りません。

歴史を書くと言うことが重要な国家的事業と考えられ、歴代の王朝がこの事業を引き継いできたという点で、独特の伝統を持っていたのは中国です。しかしこれらの歴史は国家の修史事業として支配階級の立場から書かれているので、王公貴族が統治者として何をしたかと言うことが記述されている事柄の中心をなしており、人民大衆は、悪い政治が行われている場合に嘆きの声を挙げるものとして、わずかに歴史の背景に登場するに過ぎません。
我が国でも中国文化の影響のもとに『日本書紀』以下の六国史が書かれましたが、そこに登場する人民大衆の姿は中国の歴史書の場合と全く同様です。
ヨーロッパ諸国では、それぞれの時代の文化人が個人の立場で歴史を書くと言うことが比較的早い時代から行われましたが、そのような歴史書においても、これを書く文化人が支配階級の立場に立っていることは同様であり、人民大衆の姿はやはり歴史の背景にかすんでいます。僅かに、戦争などを通じて異民族に接した場合の記述の中に、その歴史を書いている人の属する民族とは異なった風習や民族性を持っていると言うので、その歴史家の注意を特に引き付けたような事柄が記載されており、このような叙述の中から人民大衆の姿が垣間見られると言った程度です。
しかしそれとても、歴史を動かしている主人公としてその異民族の人民大衆が捉えられている訳では有りません。

例外的なものとして私の念頭に浮かぶのは、学術書としての歴史では有りませんが、トルストイの小説「戦争と平和」です。
これは、野望に燃えるナポレオンが大軍を率いてロシアに遠征し、個々の戦闘には全て勝利しながら、モスクワが大火によって丸焼けになると言う事件に出会い、寒さと飢えに苦しみながら惨めな退却を行わざるを得なくなくなり、結果的には大敗北するに至る過程を、ロシアの貴族たちのこの戦争に対する対応の仕方を描くことを中心として書いた歴史小説です。
描写されている場面の比較的多くはロシアの貴族たちの生活であり、またナポレオンも、これを迎え撃ったロシアの将軍クツーゾフもこの小説には登場するのですが、しかしトルストイはナポレオン軍の敗北の原因を決してクツーゾフの作戦が優れていたと言うような点に求めておらず、ロシアの貴族たちも、多数の人物が個性豊かに描き分けられているとは言うものの、大体においてだらしないものとして描かれており、それにもかかわらずナポレオン軍が撃退されたと言う歴史的事実を、小説ですから理論的に述べている訳では有りませんが、ロシアの人民大衆の、貧しくて無知では有るが不屈の祖国愛の精神によって説明しようとしているもののように思われます。

この小説を読むと、ナポレオンをしてロシア遠征の野望を持たせたのもフランスの人民大衆で有れば、クツーゾフをしてこれを撃退させたのもロシアの人民大衆である、と言う考えをトルストイは持っていたように思われます。
これは一つの戦争と言う歴史的事件に関わるものですが、しかしやはり一種の歴史観で有り、歴史における人民の役割をそれなりに認めていたと言うことが出来るでしょう。
トルストイのこの小説に関しては、私とは違った読み方をする人たちも有ることでしょうし、また仮にトルストイが前述のような歴史観を持っていたとしても、それは人類の歴史の全体を捉えることが出来るように仕上げられたものでもなければ、首尾一貫したものでも有りません。
何よりも先ず指摘しなければならないことは、トルストイは人民大衆を生産の担い手として捉えてはおらず、そしてその限りでは、人民大衆を真に歴史を推し進める力を持つ者として捉えることは出来なかったのです。

史的唯物論の特徴は、人類の歴史的発展の基礎をなすものが生産の発展であると言う基本点をしっかりと押さえたうえで、生産を発展させるのは物質的財貨の生産に従事している勤労人民大衆であり、従って人民大衆こそが歴史を動かす主要な力であり、歴史の主人公だ、と主張することに有ります。そしてこのことを初めて理論的に解明したことこそが、史的唯物論の大きな功績の一つなのです。

    

 

2、人民大衆が作った歴史と作らされた歴史

人民大衆が歴史を作る、と言うことの基本的な意味は、人民大衆が生産の直接的な担い手であり、どのような時代にも生産活動が行われなければ人間は生きることが出来なかったのであり、従って普通の歴史の書物に書かれているような、王公貴族たちが繰り広げた華やかな歴史的諸事件も、又いわゆる文化史に述べられている科学者・芸術家・宗教家たちの活躍や彼らが成し遂げた諸成果も、これらの人たちの衣食住に必要な物質的財貨はもとよりのこと、大規模な建築・土木事業を行ったり旅行や遠征を行ったりするのに必要な物質的財貨の全てを人民大衆が生産したからこそ、それらの事業がなされ得たのだと言うことに有ります。
これは平凡なことのように思われるかもしれませんが、基本的なことであるにも関わらず、とかく忘れられやすいことであり、それだけにまた、協調しておく必要のあることです。

だが、人民大衆が歴史をつくる、と言うことの意味はそれだけでは有りません。歴史は発展するものであり、従って歴史をつくると言うことは歴史を発展させると言うことなのです。
そして歴史を発展させてきたものは、これまた人民大衆であり、その意味でも、人民大衆が歴史を創るのです。 ―― ―― 生産力と生産関係の矛盾、土台と上部構造の矛盾がどのようにして激化するか、又、これらの矛盾の発展に伴って、階級闘争が激化し、社会革命が行われ、社会革命によって新しい生産関係が形成され発展させられることによって歴史の飛躍的発展が行われること ―― ―― これらのことについては既にこの講座で述べて来たので、ここに改めて繰り返すことはしませんが、このような歴史の発展の最も基礎に有る第一の動員は生産力の発展であり、そしてこの生産力を発展させるのに最も重要な役割を果たしているのが勤労人民大衆です。

部分的には、農業用水を確保することによって神殿を開発したり、先進的社会から新しい生産用具や生産技術を導入したりすることによって、支配階級が生産力の発展に指導的役割を果たすことも有ります。しかしこのような場合にさえも、直接に新田開発に従事したり、新しい生産技術を身につけて実際に生産活動を行うのは勤労人民大衆です。
ましてそれ以外の場合に、自分自身の労働を少しでも実り豊かなものにする為に、絶えず工夫を凝らし、日々の労働を通じて僅かずつでは有るが生産力を発展させてきたのは勤労人民大衆であり、そして人類の歴史の全体を通じて生産力が発展してきたのは、基本的には、このような勤労人民大衆による僅かずつの発展が、長い年月を通して積み重ねられてきたことのお蔭なのです。
だから、生産力を発展させたと言う意味においても、歴史を作るのに主要な役割を果たしているのは勤労人民大衆です

けれども、このように、あらゆる歴史は人民大衆が創って来たのだと主張する場合に、一つの問題が生じます。それは過去の歴史の中には、例えば侵略戦争の歴史のような忌まわしい歴史が存在していますが、あらゆる歴史を人民大衆が作って来たのであるならば、このような忌まわしい歴史も人民大衆が作ったのであり、従ってまたその責任も人民大衆に有るのか、と言う問題です。 ―― ―― この問題は二つの観点から考える必要が有ります。

第一には、支配階級やその代表者である国王、将軍等が侵略戦争を行う場合に、もしも仮に、勤労人民大衆がそれへの協力を拒み、兵士として戦いに参加することを拒否するばかりでなく、一切の生産活動を止めてしまったならば、およそ侵略戦争などは出来なかったに違いない、と言うことです。このことは、この節の始めに、平凡では有るが基本的なこととして述べたことから言って、当然のことです。
―― ―― だがそれならば、侵略戦争は勤労人民大衆が協力したから出来たのであり、従ってその責任は勤労人民大衆に有る、と言うことに果たしてなるのでしょうか。

ここで第二の観点が必要になります。それは階級闘争の観点です。
(原始時代を別にすれば)あらゆる歴史は階級闘争の歴史である、と言うことが思い出されなければなりません。
エジプトのピラミッドや我が国の仁徳天皇陵(と言われている)=巨大な前方後円墳など、又豪華な宮殿や寺院・神殿などの大建造物は、全て勤労人民大衆の労働によって作られたものに違い有りませんが、これらはすべて勤労人民大衆が被支配階級として支配され隷属させられていたからこそ、自らの意思に反して作らされたものに他なりません。
自分の意思で労働を止めてしまうことの出来ない状態に置かれていたからこそ、勤労人民大衆はそれらの労働をせざるを得なかったのです。

階級闘争において、被支配階級がまだ勝利するには至らないけれども総体的にかなり強力で有って、支配階級がその思うがままにこれを使役することの出来ない時期も有りますが、このような時期には、帝王の墳墓の建設の為に膨大な人民の労働力を浪費するなどと言うことは出来ません。
時間的に見れば、支配階級が階級闘争において圧倒的に強力であった時期の方が、過去の歴史においては長いのであって、その結果として過去の歴史には、勤労人民大衆が自分の意思に反して、支配階級の意思によって作らされた歴史の方が多いのです。
侵略戦争の歴史も又そうなのであって、自国の被支配階級の権利を全く奪い、反戦闘争などおよそ不可能な状態に抑圧、隷属させたうえで支配階級は他国への侵略にとりかかるのですから、このことを無視して、勤労人民大衆が協力しなければ侵略戦争も不可能だなどと言うのは、歴史的条件を無視した抽象論で有り、ましてその責任を人民大衆に問うのは、新の戦争責任者の所在を誤魔化す悪質な議論に他なりません。

だがしかし、階級闘争において被支配階級が総体的に強力である場合には、逆に、支配階級がその意思を貫くことが出来ないようにその屈服ないしは譲歩を強いることが出来ます。
我々は今日、公害問題などで、大企業の高利潤追求の意思を有る程度まで妨げ、その範囲で人民大衆の生命・生活・文化を守ることに成功しています。このような歴史こそが、人民大衆が自ら作っている歴史なのです。
だが今日は未だそれが部分的であると言わざるを得ません。階級闘争において我々がより一層強力になるならば、我々人民大衆はより高度な意味で歴史を自ら作るものになるでしょう。そして階級闘争に勝利する時、すなわち社会革命の時にこそ、人民大衆は最も高い意味で歴史の創造者になるのです。生産関係を変革して社会を飛躍的に発展させ、歴史の新しいページを開くと言う意味においても。又自らの意思によって歴史を作ると言う意味においても。
だからレーニンも言っています。「人民大衆は、革命の時ほど新しい社会秩序の積極的な創造者として行動することは無い」と。

3、歴史における優れた個人の役割

以上に述べて来たように、史的唯物論は、人民大衆が歴史を作る、と主張するものですが、しかしだからと言って、偉大な個人が歴史の発展に果たす役割を決して否定するものではなく、それを正しく評価します。
だがその場合に重要なことは、歴史の発展に大きな役割を果たす偉大な個人とはどのような人物であり、またその人と人民大衆とはどのような関係に有るか、と言うことです。

一言で言えば、そのような偉大な個人とは、人民の指導者のことです。では、どのような資質を備えた人が人民の指導者になれるのでしょうか。
人民の優れた指導者であった人たちを我々は、過去の歴史の中から何人か具体的に思い浮かべることが出来ます。
これらの人たちに共通に見られることは、何よりも先ず歴史的情勢の把握が的確であり、見通しが広く、社会の発展方向と人民大衆の要求を正しく掴み取り、それを自分自身の要求として、人民大衆と密接に結びつきながら、これを組織し動員し、自ら人民大衆の先頭に立って、人民大衆の要求を実現するために戦い、人民大衆が歴史を発展させるのを促進することの出来る人である、と言うことです。
このような人を史的唯物論は歴史における優れた個人として高く評価します。

人民大衆が歴史を作ると言うことは、既に強調して来たようにまぎれも無い事実ですが、しかし人民大衆は優れた指導者を持つことなしには歴史上で一時期を画するような大事業を成し遂げることが出来なかった、と言うことも過去の歴史的事実がハッキリと示していることです。
生産力と生産関係の矛盾、土台と上部構造の矛盾が激化して行くと言う客観的な歴史的条件のもとでは、人民大衆の自発的な行動が起こり、階級闘争が激化してゆく訳ですが、しかし客観的な歴史的条件が成熟していても、全ての人民大衆が直ちに統一的な行動目標を持って整然と組織的に行動すると言うことは、事実上、望みえないことです。
自然発生的に起こる人民大衆の行動はしばしば分散的であり、自分自身が持っている要求を必ずしも自覚しておらず、現状に対する不満は極めて強いにも関わらず、その不満を解決し得る方途を見出し得ないままに、ただ不満の意を劇場的な行動によって発散させている、と言うような状況も起こりがちです。 ―― ―― そしてこのような状況のもとでこそ、真の大衆指導者が必要とされるのです。

優れた大衆指導者は、歴史的情勢の的確な判断と社会発展の方向を正しく見通していることとによって、人民大衆の分散的な要求を集中的に把握し、要求を持ってはいるのだけれどもそれを自覚し表現することの出来ない人たちにその要求の正確な表現を与え示すことによって、人民大衆の自発的な行動に統一的な目標を与え、その行動を組織化し、拡大・発展させるのです。
このような指導者を持つことによって初めて、人民大衆は励まされ、その行動が成功すると言う確信を与えられ、真に歴史を作るものとして行動することが出来るようになるのです。

ここで我々は真の大衆指導者と偽の大衆指導者とを区別しなければなりません。
真の大衆指導者は、歴史的情勢を的確に把握しているという点で大衆に一歩先んじており、大衆の分散的な要求を統一的に把握しているという点で、一時的部分的には大衆と意見が一致しないと言うことも起こり得ます。しかし彼が人民大衆の立場に立ち、歴史の客観的条件を人民大衆の立場から正しく認識している場合には、大衆を説得し、大衆の認識を高め、結局は大衆によって支持され、大衆の行動を組織化することが出来るのです。

これに反して、偽の大衆指導者は、大衆の支持を取り付けることだけを己の目標にしているので、大衆の意見と対立することを恐れ、大衆を説得する自信を持たず、大衆の意見に迎合しようとします。したがって大衆の意見が分散している場合にこれを統一させることが出来ず、逆に大衆の意見に追随し、いたずらに右往左往することになります。このような人物は、指導者ではなく、追随者に過ぎないのです。

なお優れた「個人」と言う言葉を使ったからと言って、それは一人であることを決して意味しません。
今日、優れた大衆指導者たちは政党を形成し、集団的に人民大衆の闘争を指導しようとしています。偉大な大衆指導者を高く評価すると言うことは、いわゆる個人崇拝とは無縁です。個人崇拝は、大衆の自発性を軽視し、人民大衆と指導者とを切り離す結果に陥る、誤った考えであり、人民大衆が歴史を作る、と言う史的唯物論の基本的な考えに反する思想です。

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