No-26 歴史的なものと論理的なもの)

 

※ ここに掲載してある文章は、日本共産党発行の「月刊学習」誌に、1970年代、3年以上に渡って掲載されたものの転載です。管理人によるオリジナルでは有りません。
トップページを参照のこと。

    

 

1、論理的なものとはなにか

前回に「具体的なものと抽象的なもの」について述べた際に、「具体的なもの」は客観的に実在しているのであるけれども、「抽象的なもの」は抽象作用によって作りだされたものであり、認識過程に現われてくるものなので、これと比較対照させて使われる場合には、「具体的なもの」というカ テゴリーも認識内容の具体性を表わす、従って、これら二つのカテゴリーを比較対照させて使う場合には、われわれはそれらを専ら認識のカテゴリーとして使う、と言うことを述べました。
今回取り上げる「歴史的なもの」、「論理的なもの」という二つのカテゴリーについても、同じことが言えます。

すなわち、あらゆる客観的実在は歴史的時間(ひろい意味・社会の歴史だけでなく、自然の歴史をも含めて考えた「歴史的時間」)のうちに存在しているのであり、すべてが「歴史的なもの」です。しかし、「論理的なもの」というカテゴリーと比較対照させて使う場合には、われわれはこれら二つのカテゴリーを専ら認識のカテゴリーとして使うのです。

さて、「歴史的なもの」というカテゴリーについては、あまり説明する必要はないでしょう。自然物でも社会現象でも、時間の長いか短いかを考えに入れないならば、あらゆるものが歴史的に存在しているのであり、従ってそれらすべてを「歴史的なもの」と呼ぶことができるということは、容易に理解できると思います。
ただし、自然や社会における全てのものを、「自然現象と社会現象」とか「客観的実在」とか呼ぶのではなく、「歴史的なもの」と呼ぶ場合には、この客観的実在が絶え間なく発展しつつあるものだと言うことが特に強調されているのです。つまり「歴史的なもの」とは、客観的実在の持っている歴史的に発展するという性格をいい表わしているカテゴリーです。

これに対して「論理的なもの」というカテゴリーは、ややわかりにくいので、少し詳しく説明する必要があります。

まず「論理」とは、わかりやすくいえば、ものごとを理性的に考える場合の筋道のことです。例えば「君の話は論理的でない」と言うのは「君の話は筋道がハッキリしていないので、分かりにくい」と言う意味です。話をする人の考えが筋道だっていないので、その人の話にも筋道が通らない訳 です。
ところで、我々が複雑なものごとを考える場合には、分析と総合、演繹と帰納、抽象と概括と言うような手続きが必要だ、と言うことをこれまでに何回も述べて来ました。
これらの手続きが正しく行われる為には、これらの手続きの過程で現れてくる諸形式(思考形式という ―― ―― 具体的に言えば、概念・判断・推理)と、これらの諸形式のあいだに成りたっている諸法則(思考法則という)とを研究し、明らかにしておく必要があります。この要求に応じる為に思考形式と思考法則とを研究する学問が、「論理学」とよばれている学問です。

さきに「ものごとを理性的に考える場合のすじ道」と書きました。この場合の「理性的」とは、「感性的」に対立する意味で言ったのです。
この講座の第19回に述べておいたように、このひろい意味での「理性」は、「悟性」とせまい意味での「理性」とに区別されます。悟性的思考の形式と法則を研究する学問は「形式論理学」とよばれ、(せまい意味での)理性的思考の形式と法則を研究する学問は「弁証法的論理学」と呼ばれています。
ここで「論理的なもの」といっているのは、主として弁証法的論理にかかわるもの、すなわち、弁証法的思考の形式と法則に関係のある全てのもののことです。という訳は、歴史的に発展するものは、形式論理だけでは正しく捉えることができず、これを正しく全面的に捉える為には弁証法的論理を必要とするからです。

「論理的なもの」とは、客観的実在を反映する一つの形式、すなわち、客観的実在のすべてを一様に反映するのではなく、本質的なものと現象的なもの、必然的なものと偶然的なものとを区別し、本質的かつ必然的なものを核心として、これにその他のものを従属させて反映することによって、客観的実在をより深くかつ全面的に反映し、とりわけその歴史的に発展すると言う性格をハッキリと反映するような一つの形式です。

「論理的なもの」は、それ自身は抽象的なもので有りますが、具体的なものを真に具体的に認識する為に必要で欠くことのできないもので す。そこで、具体的なものである歴史的なものと抽象的なものである論理的なものとは深くかかわりあうのでありまして、この両者の関係を明らかにすること が、今回に述べることの目的です。

2、歴史的研究方法と論理的研究方法

マルクスの『経済学批判』が発刊されたその同じ年(1859年)に、エンゲルスはこの本の書評を書きました。
この書評でエンゲルスは、経済学(マルクス以前に成立していたブルジョア経済学)を批判するには、歴史的な方法と論理的な方法との二つの方法のどららをもとることができたが、マルクスが実際にとったのはあとの方法であり、そしてその理由は、あとの方法のほうが優れているからである、ということを説明してい ます。
この場合に「歴史的な方法」というのは、過去に出現したさまざまな経済学を、それが現われた時間的順序に従って、次々にとりあげ、それを批判してゆくやり方です。つまり、学説史的方法といえるでしょう。

経済学に限らず、一般に科学的研究というものは、前の時代の科学者がおこなった研究成果を受け継ぎながら、次の時代の科学者が研究を進めて行くのですから、大筋からいえば、科学の歴史はその科学の発展の歴史だといえます。
しかし、あとの時代の科学者のほうがまえの時代の科学者よりも優れているとは必ずしも言えませんから、まえの時代の研究成果を正しく受けつぐことができないばかりか、それをゆがめてしまうような凡庸な科学者もおりますし、一つの側面ではまえの時代の研究をより高い水準に引き上げながら、別の側面では逆に引き下げてしまうというような、複雑な事態を作り出す科学者もおります。

このことを念頭においてエンゲルスは、「歴史はしばしば、飛躍的にまたジグザグに進むものであって、この場合にそれが至る所で追求されなければならないとすれば、その為にあまり重要でない多くの材料がとりあげられなければならないばかりでなく、思想の道程もしばしば中断されなければならないであろう」と書いています。
このことばからわれわれは、歴史的な研究方法の弱点がどこにあるかを、ハッキリと読み取ることができると思います。

これに対して「論理的な方法」とは、「ただ歴史的な形態と撹乱的な偶然性とを剥ぎ取った歴史的な取り扱いかたに他ならない」とエンゲルスは書いています。
経済学の歴史がジグザグな道を歩んだことは事実ですが、しかしまえに述べたように、大すじからいえば発展の道を歩んでいるのですから、歴史的なジグザグの道に現われる一時的な逸脱や後退を「撹乱的な偶然性」とみなしてこれを剥ぎ取るならば、そこには一貰した発展の道すじが見出される訳です。
マルクスの目的は、過去の経済学の発展からその貴重な成果を受け継ぎながら、しかもなおその最良のものでさえも持っていたブルジョア的な限界を批判して、 資本主義社会の経済的運動法則を全面的に解明し、この運動によってそれが必然的に没落し、社会主義的経済へと移行・発展せざるを得ないことを明らかにすることにあったのですから、過去の経済学の発展における一時的な後退や逸脱を一つひとつ取り上げる必要はなかった訳です。

それだからかれは「論理的な方法」をとった訳であり、そしてこの方法によって捉えられた過去の経済学の姿は、再びエンゲルスの言葉を借りるならば、「抽象的で理論的に一環した形態での歴史的経過の映像」、「現実の歴史的経過そのものが暗示する諸法則に従って修正された映像」に他ならないのです。

私はさきに「論理的なもの」について、それが客観的実在を反映する形式としてもつ特徴を、本質的なものと現象的なもの、必然的なものと偶然的なものとを区別する、とか、とりわけその歴史的に発展するという性格をハッキリと反映する、などと述べました。
このような「論理的なもの」のもつ特徹を有効に生かして使ったのが『経済学批判』におけるマルクスの方法であったのであり、この方法がもつ長所はエンゲルスの書評に述べられている通りです。

しかしながら他方、いま述べたことを一面的に理解して、どんな場合にも論理的研究方法が歴史的研究方法よりも優れていると考えるなら ば、それは正しく有りません。『経済学批判』の場合に論理的研究方法がとられたのは、既に述べたように、ブルジョア経済学がその最も優れたたものでさえなお持っている限界を批判して克服することにマルクスの主要な目的があったからです。
異なった研究目的が与えられている場合には、歴史的研究方法に重点がおかれなければならないことを忘れてはなりません。例えば、諸民族の経済的発展を研究 する場合には、論理的研究方法によってそこに一貰した発展の道筋をみいだすことも元より大切ですが、ある民族のある時代にその経済の発展に著しい停滞があるというような場合に、この停滞を発展の大きな道筋からの一時的逸脱として切り捨ててしまうのではなく、そのような停滞の原因がなんであったかを 明らかにすることが必要です。

それは、経済的発展の停滞はもちろん好ましいことではないから、その原因を究明することによって再び同じ原因による停滞を引き起こさないように配慮するという点からいっても、また過去における経済的発展の停滞がなんらかの傷あとをその民族の経済の現状に残しているであろうから、それを取り除く努力をする必要があるという点からいっても、明らかにしなければならない重要な問題であるからです。
またわれわれは、論理的研究方法によって、資本主義社会から社会主義社会への発展が歴史の必然的な歩みであることを知っていますが、しかしある国で(例えば現在のチリのように=1973年、アジェンデ大統領の殺害とクーデター。管理人註)この発展が阻止され逆行させられているという場合には、長い目でみればそれは歴史のたどるジグザグの一例にすぎず、その国でも必ず 再び社会主義への新しい歩みが始まるに違いないことを確信すると同時に、それだけで終わることなく、どのような反革命勢力によってどのような仕方でこのよ うな逆行がおこなわれているのかを具体的に明らかにしなければなりません。

いうまでもなく、他の国での革命の進行過程で同様の逆行がおこる可能性を未然に防ぐ意味においてばかりでなく、おこりつつある逆行の原因を究明して、その国の革命運動が、一日も早く再び前進の方向をとるように国際的援助がなされなければならないからです。
これらの場合にはいずれも、「撹乱的偶然性」とエンゲルスが呼んだものが重要な意味を持つのであって、歴史的研究方法がそこではより重要になるのです。

以上は、論理的研究方法に重点がおかれるべき場合と、歴史的研究方法に重点がおかれるべき場合とがある、ということを述べたのですが、しかしそのいずれの場合にも、重点がどちらにあるかということなのであって、一方の研究方法が全く無視されてよい、という意味では決して有りま せん。
元来この二つの研究方法は、互いに結びついているもので有って、どの場合にも、一方だけが切り離されて用いられるものではないのです。このことを忘れずにいて欲しいのです。さもないと、大きな誤りをおかすことになりかねないでしょう。

    

 

3、体系的把握(叙述)における歴史的なものと論理的なもの

前回に述べたように、具体的なものを具体的に認識することがわれわれの認識(研究)活動の目標ですが、その為には抽象的規定をつかむことが必要です。抽象的な諸規定の総括をして初めて、具体的なものの具体的な認識が得られるからです。
そして、具体的なものを分析して抽象的な諸規定をとりだす場合には、具体的なものは同時にまた歴史的なものですから、その歴史的発展が(どのような発展段階、または移行過程にあるかということが)常に考慮されていなければなりませんし、また分析・抽象の過程こそが論理的なものが働く場面であるこ とが自覚されていなければなりません。
同様にまた、抽象的な諸規定が総合・概括される過程もまさに論理的なものが働く場面ですが、それとともに、この総合・概括の道を歩むにあたって、常に実在的かつ具体的な歴史的なものが、総合・概括によって再構成されるべき目標として、導きの糸になっていなければなりません。

具体的なものから抽象的諸規定にいたる道は、しばしば「下向する道」と呼ばれ、その方法は「下向的方法」と呼ばれています。また、抽象的諸規定から具体的なものを再構成する道は、「上向する道」とよばれ、その方法は「上向的方法」と呼ばれています。
下向的方法によって具体的なものを分析する場合には(このことは特に、変化・発展のスピードの速い社会的なものを対象にする場合に強調されなけれはならないことですが)、分析されるべき当のものが歴史的なものであることに深く留意して、それがどのような発展段階にあり、どのような移行をなしつつあるかを注意深く検討する必要があり、まさに弁証法的な諸カテゴリーを使いこなす必要があります。例えば1905年のロシア革命に当たって、プレハーノフを先頭とするメンシェビキは、変化・発展しつつあるロシアの諸階級勢力の相互関係に深く留意せず、また形式論理的思考しかできなかった為に、この革命の性格がブル ジョア民主主義革命であるということから、この革命の主要な推進力がブルジョア階級であるという誤った結論を引き出してしまったのでした。

研究の順序と、研究によって明らかにした成果を体系的に把達し叙述する順序とは、必ずしも一致しません。研究は、部分的な下向や上向を何度もくり返すことによって行われます。
こうすることによって初めて、研究対象としての素材を隅々まで明らかにし、それを自分の頭脳に反映させることができます。そしてこの仕事が終わったら、体系的な叙述は、上向の道に従ってなされるのです。この点でもわれわれにとって模範となる実例を残してくれたのはマルクスです。
かれは1857-58年に、今日『経済学批判要綱』とよばれている膨大なノートを書きました。このノートの第一章でかれは「貨幣」を取り扱っており、第二章で「資本」を取り扱っています。
このノートを書く以前に、マルクスは既に資本から貨幣への下向を成し遂げていたのでしょう。しかし、貨幣から商品への下向は、実に、このノートを書く過程でなしとげられたのです。
第一章の内部では下向の道が、策一章と第二章との関係では上向の道がとられている訳ですが、このような部分的な下向と部分的な上向とがみられるのは、これがまさにノートであって、マルクスがこの時期にどのような順序で研究をしていたかをありのままにしめすものだからです。

しかし1859年に出版された『経済学批判』では、商品から始まって、次に貨幣が取り扱われています。そして周知のように『資本論』第 一巻(1867年、初版)でも、商品-貨幣-資本と言う順序がとられています。体系的叙述にあたっては、常に上向の道がとられているのです。このことに関 して彼はのちに『資本論』第一巻の「第二版後記」で次のように述べています。

「もちろん、叙述の仕方は、形式上、研究の仕方とは区別されなければならない。研究は、素材を細部に渡ってわがものとし、素材の種々の発展形態を分析し、これらの発展形態の内部紐帯を探り出さなければならない。この仕事を済ませたのちに、初めて現実の運動をそれに応じて叙述することが出来る」と。

ところで、「現実の運動をそれに応じて叙述する」とは、どういうことでしょうか。
「現実の運動」とは歴史的なものです。歴史的なものをそれに応じて叙述するとは、歴史的順序に従って叙述することではないでしょうか。
ちょっと考えるとそう思われますが、実は、事柄はそう簡単ではないのです。ここで問題になっているのは、複雑な事柄(『資本論』の場合には、資本主義的経済の構造と発展法則)を体系的に叙述することなのですから。

われわれは既に、2で、過去の経済学を批判するにあたっては、歴史のジザザグな歩みがもたらす撹乱的偶然性を剥ぎ取れば、大筋においては歴史的順序と一致する「抽象的で理論的に一貫した形態での歴史的経過の映像」が得られる、ということをみました。
経済学の歴史にかんしては、こうして歴史的順序と論理的順序とは、大筋において一致したのでした。別の観点からいえは、論理的順序は、歴史的なもの(ただし、撹乱的偶然性に迷わされないように注意しながら)に導かれて決定することができたのでした。

―― ―― このような事情は、他の科学についてもみることができます。生物学は、細胞の研究からはじまったわけではなく、哺乳類や鳥類のような大きな動物の観察から始まり、細胞が発見されたのは19世紀になってからでした。
しかし現在、生物学の体系は細胞の構造や細胞分裂についての記述から始まるのが普通です。そして、多くの細胞の集まりである組織へ、組織の集まりである器官へ、異なった機能を営む幾つかの器官の有機的結合である個体へと体系的叙述が進められるとすれば、この体系的叙述の順序(論理的順序)は、大筋において単細胞生物から多細胞の高等生物への進化(歴史的発展)の順序に一致していると言えるでしょう。

管理人註
現在、生物学の中心は遺伝子DNAの理解とその作用と応用。及び自然淘汰を中心カテゴリーとする生物進化のメカニズム等でしょう。
細胞→組織→器官→多細胞的個体への体系的叙述が、大筋において歴史的発展の順序に一致していることは、まさにその通りだと言えます。

『資本論』においても、第一章第三節で、四種類の価値形態が論理的に展開されている場合とか、第四編で「相対的剰余価値の生産」が協業・分業とマニュファクチュア・機械と大工業という順序で展開される場合などには、歴史的順序と論理的順序との顕著な一致をみることができます。 これらの場合には、マルクスは、実際に歴史的なものに導かれて体系的叙述の論理的順序を決定しているのです。

―― ―― しかし、あらゆる場合にそうだとは言えません。それは、二つの順序を一致させることによって、かえって、歴史的なものにおける本質的かつ必然的なものが曖昧になってしまう場合があるからです。 どういう場合にそうなるかを、具体的に述べましょう。
商業資本や地代は、歴史的にみて、資本主義以前に、ずっと古くから存在していました。
もしも歴史的順序に従って述べるとすれば、資本主義に特有の資本の形態である産業資本よりも前に、商業資本や地代について述べることになります。しかし、それではいけない、とマルクスはいうのです。

なぜでしょうか。 ―― ―― 『資本論』は、まえに述べたように、資本主義的経済の構造と発展法則を明らかにすることをその目的としています。従ってここで取り扱われるべき商業資本や地代は、資本主義のもとにおける商業資本や地代なのです。
ところが、資本主義のもとにあることによって、商業資本や地代も、それ以前の時代のそれら、古代社会における商業資本や封建制社会における地代とは性格の違ったものになっている、つまり、資本主義的な色彩をおびた商業資本や地代になっているのです。
このことをマルクスは『経済学批判序説』で「一般的証明」という言葉を使って説明しています。演劇やバレエの舞台を想像してみてください。
一般的照明が青い場合には、赤い衣装がむらさき色にみえますが、一般的照明が黄色に変わると、同じ衣装がだいだい色に変化してみえます。これと同じように、それぞれの社会にはある一定の基本的生産があって、これが一般的照明の役割を果たす、というのです。

例えば、定住農業が基本的生産である社会では、工業とその組織でさえが土地所有的性格を帯び、手工業用具等などが土地所有的性格を帯びるが、資本主義的工業生産が基本的生産である社会では、土地所有などが資本的性格を帯びる、と言うのです。
このことは、今日のわが国で、工業に投資すれば(例えば製鉄業の株を買えば)利まわりが何割であり、土地を買えば地代および地価の騰貴によって利まわりが 何割である、という計算に基づいて土地の買い占めがおこなわれていることをみれば、よくわかるでしょう。自然物である土地が、資本主義社会では、人間によって歴史的に創造されたものである資本と同じ扱いを受けているのです。

―― ―― こういう訳なので、産業資本(これこそが資本主義をして資本主義たらしめているものです)は商業資本や地代がなくても理解できるが、 資本主義社会における商業資本や地代は産業資本の理解なしには理解することができないのです。そしてまさにこの理由によって、産業資本は『資本論』第一巻 と第二巻で取り扱われ、商業資本や地代は第三巻にならなければ取り扱われないのです。

このようにして、体系的叙述における論理的順序が歴史的順序に一致しない場合があるのは、そこで研究対象になっている歴史的なものがどのような発展段階におけるものであるかということの深い考慮から生じるのであって、歴史的発展の行程をゆがめる為にではなく、それをより深く理解する為になのです。
『資本論』は上述のような叙述の順序をとることによって、歴史的なものをより深く、より全面的に論理的なもののなかに反映させているのです。

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