No- 5 階級闘争の理論が史的唯物論で占める位置

 

※ ここに掲載してある文章は、日本共産党発行の「月刊学習」誌に、1970年代、3年以上に渡って掲載されたものの転載です。管理人によるオリジナルでは有りません。
トップページを参照のこと。

    

 

1、『偉大な創意』におけるレーニンの階級の規定について

前回私は、マルクスとレーニンの幾つかの著書から引用しながら、この二人の人達が、階級を階級闘争の主体として捉えていること、プロレタリアートも農民も、闘争を通じて発展するのであり、その発展の歴史的過程を重視しなければならず、単に、多数の人々が彼らが経済的諸条件によって客観的に共通の利害関係を持つようになっているということだけから階級を規定してはならない、と言うことを述べました。
そしてその意味で、「階級とは、闘争と発展の中で形作られる概念である」と言うレーニンの言葉を重視し、階級の概念を予め与えておいて、それから階級闘争の理解へと進む従来の史的唯物論の多くの教科書のやり方では無くて、階級闘争の理解から階級の把握へと進むのでなければ、階級を正しく捉えることはできない、と言う自分の考えを述べました。 ―― ―― このような見解に対して、恐らく『偉大な創意』におけるレーニンの階級の規定を引き合いに出して、レーニンは経済的諸条件によって階級を規定しているではないか、と言って反論する人が有るだろうと思います。

そこで今回は先ず、この『偉大な創意』におけるレーニンの階級の規定がどのようなものであるか、と言うことから述べることにします。
先ず最初に、それがどのような規定であるかを引用して示しておきます。。

「階級と呼ばれるのは、歴史的に規定された社会的生産の体制の中で占めるその地位が、生産手段に対するその関係(その大部分は法律によって確認され成文化されている)が、社会的労働組織の中での役割が、従って、彼らが自由にし得る社会的富の分け前を受け取る方法と分け前の大きさが、他と違う人々の大きな集団である。
階級とは、一定の社会経済制度の中で占めるその地位が違うことによって、そのうちの一方が他方の労働をわがものとすることが出来るような、人間の集団を言うのである。」

この規定は、定義の形で述べられています。そのせいでだと思われるのですが、この規定は史的唯物論の教科書で、しばしば「階級の定義」として引用されています。しかし、一読して分かるように、この規定は二つの文からなっており、第一の文で示されている規定は、後で詳しく検討しますが、搾取の行われている社会経済制度のもとでの階級ばかりでなく、搾取の廃絶された社会経済制度のもとでの階級にも当てはまるような、一般的な規定になっています。ところが第二の文で与えられている規定は、すなわち、「そのうちの一方が他方の労働をわがものにする」と言うことばは、当然、経済的搾取を意味しますから、搾取が行われている社会経済制度、すなわち、敵対的階級へと分裂しているような社会的生産の体制のもとにおける階級だけに当てはまる規定です。
レーニンは一体、どういう訳で何の断り書きもつけずに、こう言う違った性格を持つ階級の規定を二つ並べたのでしょうか。

だがそもそも、このような疑問が出されることがおかしいのです。
と言うのは、このような疑問は、先に引用した二つの文だけを前後関係(文脈・コンテキスト)から切り離して引用し、あたかも辞典の項目ででもあるかのように「階級の定義」として取り扱うことから生じたものなのです。しかし実際には、前期の規定は『偉大な創意』と言う論文の中で、極めて特殊な文脈の中で述べられたものであり、これだけを切り離して理解すべきものではなく、それが述べられている文脈の中で理解されなければならない文章です。
これを書く時に、後世にこの文章が「階級の定義」として史的唯物論の教科書に引用されるなどとは、レーニンは思ってもみなかったことだろうと思います。

そこで、『偉大な創意』とはどのような歴史的条件の中で書かれた論文なのか、又、先の規定はこの論文の中のどのような文脈の中で述べられたものなのか、と言うことから私は述べなければなりません(既に『偉大な創意』を読んだ人には不必要な説明ですが)。

この論文が書かれたのは1919年です。この当時、革命後のロシアはコルチャックとかデニキンなどの率いる軍隊(武装した反革命勢力)との国内戦を一方で遂行しながら、他方では社会主義建設を進めてゆかなければならないと言う、極めて困難な状態に有りました。
戦争は多くの物資を必要とし、生産の増強は緊急の必要時でした。そのような時に、共産党員とその同調者とによって、毎週土曜日に無報酬で6時間だけ余分の労働をするという運動が自発的に行われ始め、それが各地に広がって行ったのです。
レーニンはこの「共産主義土曜労働」を偉大な創意として高く評価し、その持つ巨大な意義を明らかにし、この運動の一層の拡大を訴えて、この論文を書いたのでした。

さて、レーニンは、コルチャック、デニキンなどの武装した反革命勢力との戦争ばかりでなく、共産主義土曜労働にみられる「自由で自覚した規律に支えられた」社会的労働組織の創造を、プロレタリアートの階級闘争として捉え、「政治権力を闘いとったのちにも、プロレタリアートは階級闘争を止めないで、階級の廃絶に至るまでそれを続ける。だが、言うまでも無く、この階級闘争は違った環境の中で、違った形態で、違った手段で続けられるのである」と述べています。
そして今述べたことに関連して、「だが、『階級の廃絶』とは何を意味するのか」と自ら問い、この問いに関連して、先に引用しておいた階級の規定を述べているのです。

この規定を述べた後で、この階級の廃絶は「長い年月を要する事業である」と言っています。レーニンはこの「長い年月を要する事業」を展望しながら、この事業によって廃絶されるべき階級とは何かを、先の規定によって述べようとしたのです。
だからこのような目的から言って当然、そこで規定された階級とは、将来廃絶されるべきものとしての階級であり、従ってそれは、搾取の無い社会経済制度のもとでも存続する(それが廃絶されるまで存続する)階級の規定として、極めて一般的な規定とならざるを得なかったのです。
以上のことを押さえて置いたうえで、先に引用した第一の文で与えられている階級の規定を詳しく見てみましょう。 ―― ―― そこでは階級が、

  1. 歴史的に規定された生産の体制の中で占めるその地位、
  2. 生産手段に対するその関係、
  3. 社会的労働組織の中での役割、
  4. 彼らが自由にし得る社会的富の分け前を受け取る方法と訳前の大きさ、

と言う四つの特徴によって他の人々から区別されている「人々の大きな集団」であると規定されています。 この四つの特徴は、ただ並列されているのでは有りません。その相互関係を正しく捉える事が必要です。

先ず、基本になっているのは、1)の特徴です。階級とは何かを認識しようとする場合に我々は先ず、どのような「社会的生産の体制」における階級を問題にしているのかを決めてから問題を考察しなければなりません。
「歴史的に規定された社会的生産の体制」とは、具体的に言えば、奴隷制的体制下、封建的体制下、資本主義的体制下、それとも社会主義的体制かと言うことであり、そのいずれかの一つの社会的生産の体制を取り上げた場合に、その中で人々が占める地位がどのように違っているか、を問題にすることが出来ます。
2)と3)はこのことを受けているのであって、一定の社会的生産の体制の中で人々が占める地位の違いが、2)生産手段に対する人々の関係がどのようであるか、3)社会的労働組織の中での役割がどのようであるか、と言うことによって決まる、と言うことを言っているのです。

2)の特徴は最も重要なものです。それは生産手段と言う物質的なものとの関係を問うているのであって、具体的に言えば、生産手段が一部の人間によって私有されているか、社会的に共有されているか、と言うことで有ります。
例えば封建的生産体制のもとでは、農業におけるもっとも重要な生産手段が一部の人間によって私有されていたことによって、土地を所有する人々(地主)の土地を所有しない人々(隷農、封建的農民)に対する支配と搾取が可能になったのであり、資本主義的生産体制のもとでは、工場、機械、原料などの生産手段を所有する人々(資本家)が、この所有をテコにして、これを所有せず、資本家が所有する生産手段を使用するのでなければ生産活動を行うことが出来ない人々を、賃金労働者として支配し、搾取している訳です。

又社会主義的生産体制のもとでも、例えばソ連邦が現在達しているその発展水準においては、基本的な生産手段の私有は無くなっていますが、その共同所有の形態に、国有とコルホーズ的=協同組合的所有との2種類が有り、このことによって、国営工場や国営農場(ソフホーズ)で働く人々、すなわち労働者階級と、コルホーズで働く人々、すなわちコルホーズ農民の階級との、二つの階級が区別される訳です。

次の3)の特徴に関しては、「社会的労働組織」と言うことばが何を意味しているかについて、違った意見が有ります。ただ「労働組織」と言えば、一企業内での分業や協業のような、技術的な面から規定される働く人々の組織が理解されるのが普通ですが、「社会的」と言う形容詞がつくことによって、この言葉は何を意味するのだろうか、と言う問題が出されている訳です。

しかし私は、この問題も文脈から簡単に解決されると思います。と言うのは、この規定を述べたパラグラフ(文章の段落)の次のパラグラフで、レーニンはこう言っているのです。
「階級を完全に廃絶するには、搾取者、すなわち地主と資本家を打倒する必要が有るばかりでなく、彼らの所有を廃止する必要が有るばかりでなく、更に、生産手段のあらゆる私的所有を廃止する必要が有り、/都市と農村の区別をも、肉体労働者と精神労働者の区別をも廃止する必要が有る」と。途中の/は、私が入れたものですが、この印の前までは、生産手段の所有形態に関して述べられており、明らかに、2)にかかわるものです。
そうだとすれば、この印の後に述べられていること、すなわち、「都市と農村の区別」と「肉体労働者と精神労働者の区別」を、レーニンは、3)に関わらせて述べているのだと考えられます。

すなわち、「社会的労働組織」とは、前記の二つの区別がその中での役割の違いによって生み出されるようなものと理解すべきであり、従ってそれは、主として社会的分業を意味するけれども一企業内での役割の違いが、例えば専ら機会を動かす人々と、企画・管理・統計などに携わる人々とが固定的に区別されると言うようなことが残存していて、それが肉体労働者と精神労働者との区別を生み出しているということが有る限りでは、一企業内の分業をも含む、と理解すべきだと私は考えます。

さて最後に、4)ですが、これは分配の問題であり、別の言い方をすれば、収入の源泉とその量の問題です。レーニンは、1)の基礎の上に 2)と 3)による区別を述べ、そしてこの、1) ―― 3)の結果として 4)の特徴における違いが生まれると言うことを、「従って」と言う簡単な言葉で表しています。
すなわち 4)だけを独立の特徴として捉え、これを階級の区別の基準としてはいけないのです。そうしてはいけないと言うことは、マルクスが『資本論』第三巻の最後の章(第五十二章)で述べています。尤もこの章は中断しているので、『資本論』でマルクスが階級をどのように規定しようとしたのか、と言うことは分かりません。分かるのは、「収入が同じだと言うこと」「収入の源泉が同じだと言うこと」を階級の区別の基準にすることに、マルクスが反対している、と言うことです。
しかしこれはこのことを唯一の基準と見ることにマルクスが反対していると言うことであって、レーニンのように、1) ―― 3)をはっきり示した後で、その結果として 4)における違いが生まれる、と捉えることにはマルクスも反対はしなかっただろうと思われます。

さて、以上でレーニンの第一の文における階級の規定についての解説を終わります。既に述べたようにこれはレーニンが「階級の廃絶」と言う「長い年月を要する事業」を展望して、廃絶されるべきものとしての階級を規定したのであり、従って、搾取の有無に関わりの無い、極めて一般的な階級の規定になっています。そしてそのような規定としては良く出来た規定だと思います。
だが、それでは、このような一般的な規定を述べた後で、レーニンは何故第二の文を付け加えたのでしょうか。

この問題も『偉大な創意』の文脈を掴むことによって、簡単に分かると私は考えます。レーニンは、社会主義社会の一般論を展開して、その中で階級の廃絶の問題を論じたのではないのです。
コルチャック、デニキンなどの武装した反革命勢力と闘っているという困難な情勢の中で、「違った環境の中で、違った形態で、違った手段で」では有るが、階級が廃絶されるまで階級闘争は続くのだ、と言うことをこそ強調しているのです。
そしてこの階級闘争の主体は、とりわけ「資本主義から社会主義に移る道の初め」の時期には「小規模生産の数多くの残存物」と「これらの残存物と結びついた習慣と因習との巨大な力を克服する」ことのできる階級であるプロレタリアートなのです。
他方、コルチャックやデニキンなどの輩は、搾取を可能にする社会経済制度を維持しよう、ないしは復活させようとして闘っているのです。
このような情勢のもとで、レーニンは、長い年月の後に廃絶されるべきものとしての階級の一般的規定だけを述べて止めることはできなかったのであり、まさに、今厳しく闘われている階級闘争の主体としてのプロレタリアートを念頭に置き、その性格を規定する第二の文を付け加えなければならないと考えたに違い有りません。

    

 

レーニンが第一の文と第二の文とを並べ、階級の規定を二様の仕方で行っていることは、これを辞典の項目のように見る人にとっては一種の混乱と思われるでしょう。だがそれは決して、辞典の項目として、「階級の定義」を与える為に書かれたものではなく、かなり長く述べて来たように、政治権力を闘いとったのちに、階級闘争の主体として、偉大な創意を発揮しながら新しい発展をしつつある社会主義的プロレタリアートを念頭においてなされた階級の規定なのです。
従ってこの『偉大な創意』におけるレーニンの規定にもまた、その一年後に彼が述べた「階級とは闘争と発展の中で形作られる概念である」と言うことばがそのままピッタリと当てはまると私は考えます。
レーニンがあの規定の第一の文に、第二の文を付け加えたというこのことにまさに、「闘争と発展の中で」階級を階級闘争の主体として捉えているレーニンの姿を私は見るのです。

2、階級の存在と階級闘争の基礎にある経済的諸関係をどのように捉えるか

私は、この種の講座としてはおそらく異例と思われるであろう程長く、階級闘争と階級について述べてきて、やっとそれを述べ終わりました。何故私がこのような述べ方をしたのか、と言うことをここでちょっと説明しておく方が、今後の叙述の為に良いと思います。

マルクスとエンゲルスが史的唯物論を仕上げていった順序は、先ず彼らの同時代の歴史をプロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争の歴史として捉え、そこから二つの方向へと進んで言ったのだと私は考えています。
その一つは、現代史について獲得したこの新しい見地から、過去の歴史を振り返って研究すると言う方向で有り、もう一つはプロレタリアートとブルジョアジーと言う階級が生まれ、存在し、両者の間の闘争が激化してゆくということの基礎に、特定の経済的諸関係が、別の言い方をするならば、特定の生産の仕方とこれによって条件づけられている交換の仕方が有ることを発見して、この生産と交換の仕方を研究すると言う方向です。

そして、第一の方向の研究から、これまでの全ての歴史が階級闘争の歴史で有ることが見いだされると、過去のそれぞれの時代に於ける階級闘争の基礎にはどのような経済的諸関係が有ったかを明らかにすると言う課題が生まれますし、第二の方向の研究から、資本主義的な経済的諸関係が明らかにされて来ると、このような諸関係が過去のどのような経済的諸関係から発展してきたものであるかを明らかにすると言う課題が生まれるので、ここに結局二つの研究方向が合流することになり、この研究から生産と交換の発展の一般法則、別の言い方をすれば、社会発展の一般法則を明らかにすると言う成果となって実を結んだのだと思います。

マルクスとエンゲルスの研究の進路をこのように捉える場合に、我々が史的唯物論を学習するのにも、この順序に従うべきだ、と言うのが私の考えです。これがこの講座で階級闘争、それも、現代における階級闘争から述べ始めた理由であり、今ようやくこれから、階級を存在させ、階級闘争を不可避的なものとしている所以の経済的諸関係の解明へと向かおうとしているところです。
ところが従来の大多数の史的唯物論の教科書は、社会発展の一般法則、生産力と生産関係の矛盾が社会発展の原動力であること、等々から叙述を始めて、この生産力と生産関係との矛盾が、階級社会では階級闘争と言う形態をとって現れる(現象する)と言うように叙述を進めています。
マルクスやエンゲルスの研究が到達したところから、つまり原理的なものから叙述を始めると言うことは、原理・原則からの出発と言う意味で、正しいように思われるかも知れないのですが、しかし、このような叙述の順序をとると、階級闘争の位置が不当に引き下げられることになり、又、史的唯物論が何か出来上がった公式の集まりのように誤って理解されやすいと言う危険が有ると思います。

先ず史的唯物論において階級闘争の理論がどのような位置を占めるべきかについてですが、エンゲルスは『ブリュメール18日』の第三版への序文でこう述べています。
「マルクスこそ、歴史の運動の大法則を初めて発見した人であった。この法則によれば、全て歴史上の闘争は、政治、宗教、哲学、その他どんなイデオロギー的分野で行われようと、実際には、社会諸階級の闘争の、多かれ少なかれ明白な表現に過ぎない。
そして、これらの階級の存在、従ってまた彼らの間の衝突は、それ自体、彼らの経済状態の発展程度によって、彼らの生産及びこの生産に条件づけられる交換の仕方によって、制約されているのである」と。
ここには階級闘争から、それを制約している生産と交換の仕方へ、と言う道筋が示されているように思われます。

尤も、先に述べたことをこの一つの引用で立証することはできないのでして、エンゲルス自身が反対の順序で述べている文章も有ります。例えば『共産党宣言』の1888年英語版序文では『宣言』の根本命題を次のように述べています。
「歴史上のどの時代においても、支配的な経済的生産及び交換の様式とそれから必然的に生まれてくる社会組織とが土台となって、その上にその時代の政治史と思想史が築かれており、後者の説明は前者に求めるほかはないということ、従って、人類の全歴史は(土地を共有していた原始の種族社会が解体してからは)階級闘争の歴史、すなわち搾取する階級と搾取される階級、支配する階級と抑圧される階級の間の闘争の歴史であったということ、.........」

要するに、史的唯物論において階級闘争の理論はどのような位置を占めるべきかと言う問題は、古典から一つ二つの引用をすることでは解決できない問題であり、関係の有る諸文献を広く読んで検討しなければならない問題で、その論拠を個々に十分にあげることは残念ながら出来ませんが、私は自分の検討の結果として、史的唯物論は階級闘争の理論から始まるべきだと考えますので、この講座におけるような述べ方をしているので有ります。

さてこのような考えに従って、階級の存在と階級闘争の基礎に有ってこれらを制約しているものを捉えようとする場合に、どのような捉え方をすれば良いのでしょうか。いや、マルクスやエンゲルスはどのような捉え方をしたのでしょうか。
この基礎に有るものは、古典でも、「その時代の生産関係と交易関係」、「一言で言えば経済的諸関係」、「生産様式の変化」、「生産諸力と交換諸関係との発展」、「物質的生産の発展水準」、「生産及びこの生産に条件づけられる交換の仕方」、「支配的な経済的生産及び交換の様式とそれから必然的に生まれてくる社会組織」、「物質的生活の生産様式」などと、実に様々な言い方がされています。
しかし私は、マルクスが「生産関係」と言う概念を明確にして、これを基本的な社会関係として捉えたことが、社会の歴史を科学的に把握する為のキー・ポイントになったと考えています。いや、生産様式だ、と言う人も有りましょう。
次回はこの問題について述べます。

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