No- 1 歴史をどのようにとらえるか

 

※ ここに掲載してある文章は、日本共産党発行の「月刊学習」誌に、1970年代、3年以上に渡って掲載されたものの転載です。管理人によるオリジナルでは有りません。
トップページを参照のこと。

    

 

1、なんの為に史的唯物論を学ぶのか

今月から、皆さんと一緒に史的唯物論を学習しようと思います。
私たちは、なんの為に史的唯物論を学習するのでしょうか。それは、歴史を正しく捉えるとらえ方を学んで身につける為にです。では、どうして歴史を正しく捉えることができるようにならなければならないのでしょう。

歴史といえば、昔のことだけに関わっているものだ、かってどこでどんなことが起こったかということを述べたものだ、というように思っている人が有るかも知れませんが、それは正しくありません。
歴史はいま現に毎日毎日、作られつつあります。いや、造られつつあるというのは、 傍観者的ないい方でよく有りません。私たち自身が、毎日毎日、歴史を作っているのです。
このこと、つまり、歴史とは自分たち勤労人民大衆が作っているものだ、ということを理解することが、歴史を正しく捉える為に最も必要なことなのです。そして、それをきちんと秩序だてて教えてくれるものが、マルクス主義の歴史観(歴史の見方)である史的唯物論なのです。

いま、私たちが歴史を作っているのだ、と述べました。しかし勿論、私たちの一人ひとりが、自分の好きなように、思いのままに歴史を作っている、という意味ではありません。そんなことができないことは、改めて言う必要のない、分かり切ったことです。
どんなものでも、何かを作るのに、自分の思いのままにつくれるということは有りません

自然に働きかけて何かをつくる(例えば、農業生産で米をつくるとか、化学工業生産で塩化ビニールをつくる)場合にも、人間は自然の法則に従ってそれをつくるのであって、自然の法則に逆らってそれをつくることはできません。
同じように、歴史をつくるには、歴史の法則を知っていて、それに従うことが必要です。歴史の法則に逆らって歴史を作ることはできないのです。だから私たちは歴史の法則を学んでこれを知る必要があり、そしてそれを教えてくれるのが、これまた史的唯物論です。

■ 歴史に法則があるか?

だがしかし、ここで一つの疑問が生まれるでしょう。それは、「歴史の法則」などと言うが、いったい歴史に法則が有るのだろうか、という疑問です。
自然に法則があるということは、今日、だれも否定しないでしょう。高度に発達した自然科学が多くの法則を発見し、また次々に新しい法則を発見していますし、これらの自然法則が応用され、技術に利用されることによって、いわゆる機械文明が築かれてきたことは、だれでもが知っていることだからです。

だが、歴史にまで法則が有るのだろうか、という疑問を持つ人は少なくないでしょう。
と言う訳は、歴史に法則が有るということが主張されるようになったのは、自然法則が発見され、利用されるようになるよりもずっと新しいことであり、また、今日でも歴史に法則があることを認めない人達(学者を含めて)がいて、歴史には客観的な法則があるという、史的唯物論の主張に反対する議論が少なくないからですが、歴史に法則が有るか無いかと言うことは、暇な人間に議論させておけば良いといった問題では決して有りません。

歴史に法則が有ればこそ、われわれはその法則を知ることによって、歴史が今後どのような方向に進んでゆくのかについて、社会がどのように変化し発展するのかについて、見通しを持つことができ、われわれの実践活動をこの法則に従わせることによって、自分たちの苦労の多い社会的実践活動が決して無駄骨折りではなく、社会がその発展法則に従って順当に発展することを促進する有効な実践で有らしめることができるのです。
また、このことを自覚することによって、自分たちの社会的実践に自信をもち、弾圧や障害にも屈しないで実践し続ける勇気を持つことができるのです。

これに反して、もしも歴史に法則がなく、歴史とは多くの個人が行うさまざまな違った目的をもつ行動の、無秩序で偶然的な寄せ集めに過ぎないとするならば、社会の将来は一切がお先真っ暗だということになってしまい、われわれは自分の社会的実践活動を導く客観的な指針を失ってしまうことになります。
もしもそうだとすると、各人は自分自身の好みや主観的な願望によってこの社会を自分の望む方向に変えようとして、互いに争っているのだということになり、社会主義社会・共産主義社会を目指して闘っているわれわれの実践活動も、例えば三鳥由妃夫のようなな人の、全く主観的で、見当違いな幻想に基づく行動も、自分の願望によってその好む方向に社会を変えようとする人間の意志の現われとして、同じ水準にあるものとして捉えられることになり、五分五分のものとして評価されることになってしまいます。

管理人註
三鳥由妃夫( 1925-1970)
東京生まれ、本名 平岡 公威 東大法学部卒 小説家 代表作「潮騒」「金閣寺」等。
文学以外でもボディビルや剣道の練習、映画出演、自衛隊への体験入隊などで話題をまく。
1968年「楯の会」を結成、1970年同会の学生と東京市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乗り込み、自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺、社会に衝撃を与える。 絶対者としての天皇の必要性を主張。

それでは、本当に歴史には法則があるのだろうか、また、あるとすればそれはどのような法則であろうか ―― ―― こんな疑問に答えてくれるものが史的唯物論です。
われわれが史的唯物論を学習するのは、このような疑問を解決して、自信をもって日々の実践活動を行うことができるようになる為にです。

今述べたことから分かるように、私たちの周囲には、いろいろな違った歴史観(歴史の捉え方)が流布しています。史的唯物論を学習するということは、これらの非マルクス主義的な歴史観がなぜ間違っているかを理解し、それを批判し克服して、既に自分の中に入り込んでいたり、或いは今後も入り込んで来る可能性を持っている、これらの正しくない歴史観の影響を断ち切ることなしには実現できません。
だから、史的唯物論を学習するということは、ただ書いてあることを覚えれば済むといったものではなく、一つの思想闘争なのです。
この思想闘争を闘い抜くことによって始めて、史的唯物論を学習して身につけることができ、歴史を正しく捉えることができるようになり、自分自身の社会的実践を正しい指針に従わせ、自信を持ってそれを貫くことができるようになるのです。

    

 

2、歴史を捉える基本的な態度

史的唯物論を学習することによって初めて、私たちは歴史を正しく捉えることができるようになるのだ、と言うことを述べました。
しかしそのことは、何か風がわりな一種独特の歴史の捉え方を学ぶ必要がある、という意味では決して有りません。全くその反対のことが、すなわち、素直に、有りのままに歴史を捉えることが必要なのであり、史的唯物論が教えているのは正にそのような、ありのままに歴史を捉える捉え方なのです。

史的唯物論はまた「唯物史観」とも呼ばれていますが、これは唯物論的な歴史観という意味です。
世間には、史的唯物論とか唯物史観とかいうと、何かそれに独特の型や公式のようなものがあって、その型や公式にはめ込んで歴史を見る見方だと思っている人が有りますが、これは全くの誤解です。
こういう誤解をしている人達は、唯物史観の公式などに捉われないで、歴史をありのままに見ることが必要だなどと、ちょっと聞くと偉そうに聞こえることを言いますが、これは、この人達の史的唯物論についての全くの無知に基づくものであるか、或いは、マルクス主義に対するその人達の敵対意識に発した、為にせんが為の中傷なのです。

だがこのことに関連して、次のような反省をしてみる必要もあるでしょう。というのは、従来、史的唯物論(唯物史観)を学んだ人達が、とかく公式的な歴史の見方をするようになり、公式的な見解を振りまわして、あたかも自分が史的唯物論の立場にたって歴史を捉えているのだ、というような思い違いをしているということがなかったかどうか、...ということを。

エンゲルスの手紙を読むと、エンゲルスが生きていた時代に既に、このような正しくない理解をしていた、自称マルクス主義者がいた、ということが分かります
マルクス、エンゲルス、或いはレーニンの正しい理論も、これを一面的にしか理解できない二流・三流の連中の手にかかると、歪められてしまい、とんでもない間違ったものに変えられてしまうことがおこります。
こういう誤りは、現代にも決してなくなってはおりません。こういう人達が、自分では「マルクス主義者」の積りいて、型や公式にはめた歴史の見方をし、あたかもそれが史的唯物論による歴史の捉え方であるかのようにしゃべり歩くということが残念ながら有る訳です。
そこから、まえに述べたような、史的唯物論とは形や公式にはめ込んで歴史を理解することだという誤解も生まれる訳です。

勿論、マルクス、エンゲルス、 レーニンが述べていることに基づいて史的唯物論を理解するのが正しい態度であり、二流・三流の連中のいうことを捉えて、これが史的唯物論の誤りだなどと批判するのは、批判する人の側に欠陥があるのですが、他方われわれとしては、このような誤りに陥らないように十分に用心する必要があります。
これから史的唯物論を学ぼうとする人は、だからまず第一に、史的唯物論が教えていることは、型や公式にはめ込んで歴史を捉えることではないと言うことを、その正反対のこと、すなわち、歴史をありのままに捉えることを教えているのだということを、はっきりと理解しておくことが必要です。

このようにいうと、ものごとを有りのままに捉えると言うことだけのことならば、誰にでもできる平凡なことであり、従って歴史を有りのままに捉えるということも誰にでもできることであって、なにも史的唯物論などという特別のものを学習する必要はないだろう、と思う人があるかも知れません。だがそうではないのです。
さきに述べたように、私たちの周囲には古くからいろいろの歴史観が流布していて、私たちは多かれ少なかれその影響を受けています。
これらの正しくない歴史観の影響を断ち切らない限り、私たちは歴史を有りのままに捉えることができず、史的唯物論が教えている歴史の見方を、逆に、一面的な片寄った歴史の見方だというように誤解してしまうのです。

エンゲルスはマルクスが死んだとき、そのお葬式で述べた、短い演説のなかで、マルクスが発見したことは「人間は政治や科学や芸術や宗教などを営むことのできる前に、まずもって、食い、飲み、住み、衣服を着なければならない」という「簡単な事実である」と述べました。

まことに簡単な、そして平凡な事実です。けれども、普通に書かれている歴史の本は、「偉い」とされている国王や政治家や将軍などのやったこと、例えば何年にどこの国と戦争をやって勝ったとか、これこれの新しい政治制度をつくったとか言うことを主に述べていて、それ以外には、文化史とよばれる領域で科学者や芸術家や宗教家のやったことを述べているだけだ、ということが多いのです。
その為に、このようなものが歴史であるという理解がゆき渡っており、勤労人民大衆の姿が歴史の本に現われてくることは殆どありませんでした。

けれども、国王、政治家、将軍、科学者等々がそのような活躍をすることができる為には、かれらはまず「食い、飲み、住み、衣服を着なければならなかった」のであって、このことができる為には、衣食住に必要な物資が(更に、戦争に必要な武器等々が)生産されていなければならなかったし、そしてこれらを生産したのは、それぞれの時代の勤労人民大衆であった訳です。

マルクスが出発点にしたこと、そして史的唯物論が歴史を捉える為の出発点にしていることは、エンゲルスが指摘したように、この簡単で平凡な事実です。
けれども、先に述べたようなことだけが歴史であるという考え(歴史観)が行き渡っている限りは、この平凡な事実が覆われててしまって目につかなくされていたのであり、その限りでは、平凡な事実を指摘してこれに人びとの目を向けさせたということは、マルクスの天才をもって始めてなしうる非凡な業績であった訳です。

さて、衣食住に必要な物資の生産がおこなわれなければ政治活動も科学・芸術・宗教などの活動も行われることができなかったのだ、ということに気がついてみれば、当然このことから、「ある国民またはある時代のそのときの経済的発展段階」(エンゲルス)が、或いは同じことですが「物質的生産の発展水準」(レーニン)がどのようであったか、と言うことが歴史を捉えるにあたってまず明らかにされなければならないことであり、このことに基づいて、その国民またはその時代においてどのような国家制度、法概念、科学、芸術、宗教などが生まれたり栄えたりしたかと言うことが説明されなければならない、と言うことが出てきます。

―― ―― これは形でも公式でも有りません。 歴史をありのままに捉えるための基本的態度を教えているものなのです。
このような態度をとらないで、逆に、どのような国家制度がおこなわれていたか(例えば、君主制か、貴族政治か、それとも民主制か)ということだとか、どのような宗教的観念が支配的であったかということなどに基づいて、そこからその時代の経済的発展段階、物質的生産の発展水準を説明しようとするならば、それは逆立ちした歴史の捉え方だということにならざるをえません。

もう一つ重要なことは、それぞれの時代の経済的発展段階、物質的生産の発展水準の研究と理解に基づいて、そこから歴史の全体を捉えようとする基本的態度をとることによって、初めて、ほかならぬ勤労人民大衆の活動が歴史の舞台の正面に現われてくるということです。
なぜならば、物質的生産に携わっている勤労人民大衆こそが、物質的生産の発展水準を高めるのにもっとも大きな寄与をしているからであり、勤労人民大衆の活動なしには経済的発展段階の変化は起こり得ず、従ってまた、国家制度や科学・芸術等の発展も不可能になるからです。

―― ―― 私はさきに1で、歴史とは自分たち勤労人民大衆が作っているものだということを理解することが、歴史を正しく捉える為にもっとも必要なことだ、と述べました。
そして歴史の主人公、歴史というドラマの主役を務めるものはまさにこの勤労人民大衆であるということの理解もまた、さきにエンゲルスの言葉を引いて述べたあの簡単で平凡な事実に注目することによって可能になるのです。

さて、以上述べたことは、あくまでも、歴史を捉えるに当たっての基本的態度についてです。
史的唯物論の教えていることが、なにか風がわりな見方を押し付けることではなく、ごく当たり前の平凡な事実を出発点とすることによって、歴史をありのままに捉えようとするものだということを理解してほしい、というのがここで述べていることの目的です。
ところで、基本的態度は、まさに基本的であるということによって、もっとも重要な事柄ですけれども、それだけですべてが尽くされている訳では決してなく、これからさき何号かに渡ってこの講座で述べてゆくことによって補われ、肉付けされることによって初めて、正しい歴史の捉え方が理解されるものであることはいうまでもありません。

重要なかつ正しい基本的態度も、それだけがあたかも万能の公式のように振り回されるならば、まえに述べたように、二流・三流の人物によって史的唯物論がゆがめられる場合と同じ結果に陥ります。そのような誤りをかたく戒める意味で、このような二流・三流の人物について述べたエンゲルスのことばを次に引用しておきます。

「総じてドイツでは『唯物論』ということばは多くの若い著述家たちにとって単なる空文句の役をしており、彼らはそれ以上研究もしないで何もかにもにこのレッテルをはっている、
......しかし、われわれの史観は、何よりもまず研究のさいの手引きであって、ヘーゲル派ふうの構成のてこではない。歴史全体を新しく研究しなければならないのである」 (K・シュミットヘの手紙、1890年8月5日)。
「......唯物史観によれば、歴史における究極の規定的要因は現実の生命の生産と再生産とである。それ以上のことは、マルクスも私もかって主張したことがない。もし誰かがこれを、経済的要因が唯一の規定的要因である、というふうに捻じ曲げるとすれば、それは、さきの命題を無意味な、抽衆的な、馬鹿げた空文句にかえてしまうことになる」(J・プロツホへの手紙、1890年9月21 ―― 22日 )

勤労人民大衆が歴史の主人公であるということも、これを唯一の主人公であると一面化して、歴史における優れた個人(指導者)の役割を否定するならば、やはり、ばかげた誤りになってしまいます。

―― ―― わたしは、弁証法的唯物論についての入門講座の最終回(27回)に、「真理はつねに具体的である」ということを述べました。今回述べた歴史を捉える基本的態度も、次回以後に述べる史的唯物論のさまざまなカテゴリーや法則も、具体的な歴史的・社会的問題を具体的な真理として認識する為に使いこなされなければならないものであって、一面的に公式化して振り回してはならないものなのです。
史的唯物論の学習を始めるにあたって、さきに引用したエンゲルスの手紙にある「われわれの史観は、何よりもまず研究のさいの手引きであ」るということばを、深く記憶に留めておいて欲しいのです。

3、歴史を階級鋼争の歴史として捉えること

さて、2 では、史的唯物論の歴史を捉える基本的態度は、人間は政治などに携わることのできるまえに、まずもって食い、飲み、住み、衣服を着なければならない、という簡単で平凡な事実に注目し、これを出発点とすることからでてくる、ということを述べました。
確かにその通りなのですが、それではマルクスはどのようにしてこの簡単で平凡な事実に注目することができたのでしょうか。
確かにそれは簡単で平凡な事実なのですが、しかしそれが長い間覆われていた限り、それに注目することは決して容易なことではなかったのです。わたしは、それはマルクスの天才を持って始めて発見されることができたと述べました。
これも事実なのですが、しかしこのことを、マルクスは天才だったからそれを発見できた、とだけ考えるならば、それはやはり正しくありません。
エンゲルスはこの問の事情を『空想から科学へ』の題二章で次のように述べています。

「.........歴史観に決定的な方向転換を引き起こした歴史的諸事実は、それよりもずっと前〔自然観の急転回が行われるよりまえ〕から効力を表していた。
1831年にはリヨンで最初の労働者の蜂起が起こった。1838年-1842年には、最初の国民的な労働運動、すなわちイギリスのチャーティスト運動がその頂点に達した。 一方では大工業が、他方では新たに獲得したブルジョアジーの政治的支配が発展してきたのにつれて、プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争が、ヨーロッパの最も先進的な国ぐににの歴史の前面に現われてきた。
.........これらの新しい事実に迫られて、これまでの歴史の全体が新しく研究しなおされるようになった。 そしてその結果、次のようなことが明らかになった。
すなわち、これまでの全ての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であったということ、社会のなかのこれらの互いに闘いあう諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係との、一言でいえば経済的諸関係の産物であるということ.........」

これを読めば分かるように、マルクスがエンゲルスの協力を得て史的唯物論という新しい歴史観を仕上げることができたきっかけになったのは、その当時既に始まっていたプロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争に注目し、この事実に導かれて、「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」(「共産党宣言」)ということを見いだしたことでした。
かれらは、歴史を階級闘争の歴史として捉えた後に、それでは何故階級闘争が起こるのか、とその原因を問い求めることによって、互いに闘いあう諸階級は経済的諸関係の産物であるということを発見したのです。

このことは非常に重要です。歴史を捉えるには、まずその時代の経済的発展段階がどのようであったかを明らかにしなければならない、ということを前に述べましたが、それぞれの時代の経済的諸関係とは、原始状態を別にすれば、階級闘争を生みだすような諸関係であるということ、従って、経済的発展段階、物質的生産の発展水準の研究・理解に基づいて歴史の全体を捉えるということは、政治闘争も、法観念やその他のイデオロギーをめぐる闘争も、歴史上に現われるあらゆる闘争の基礎には経済的諸関係にかかわる闘争があり、全てが階級闘争である、と理解することを意味するのです。

さきに述べたように、マルクスとエンゲルスは、全ての歴史を階緻闘争の歴史として理解することから出発して、新しい歴史観に到達したのですから、この新しい歴史観(史的唯物論)の理論上の出発点が何度も言及したあの簡単な事実にあるにしても、この理論へと到達する為のマルクスとエンゲルスの研究上の出発点は、階級闘争の事実に注目し、すペての歴史を階級闘争の歴史として捉えたことにあったのです。

このことに注目するならば、私たちが史的唯物論を学習するのにも、普通の史的唯物論の教科書のように生産の構造を分析するカテゴリーと生産の発展の法則から学び始めるよりも、まず階級闘争の問題から始めて、そこから生産の発展の諸法則の学習へと進むほうがよいと考えます。そのほうが、史的唯物論をなにか固定した公式の集まりのように誤解するおそれが少なく、史的唯物論の本質を正しく身につけることが出来ると思うからです。

ですから、次回からそのような順序でこの講座を書き進めてゆきたいと思います。

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