2010年4月アーカイブ

RE wjさん

> 遺伝的形質である「一生の間のプログラミングとして」喉頭の降下があるのなら、現生人類の固体に起きるそれに重力は関与していないということになります。 さらに、直立二足歩行を行わない霊長類にもそれがみられるとすれば、喉頭の降下は直立二足歩行と直接的に関係しないと言うことでよろしいですか?

これ以上立ち入って質問を頂いても、率直に言って「私も何とも言えません」状態です。
引用された論文は大変参考になりました。有難うございます。

 

引用したサイトについて、その全文が正しいと言う積りは有りません。取りあえずの問題点について、「例えば.........」として、記されている部分を引用したまでです。
責任が負えるのは私が書いた自分の文章部分だけです。悪しからず。

と言うことで.........、

 

>ネアンデルタール人の喉頭は下がっていなかったとされていると思うのですが、このあたりの説明があったらやっぱり見てみたい。
重力説だと、現生人類との違いを説明することは苦しいと思うのですが。(taさん)
>仮に生まれた時から寝たきりで育った人間は、咽頭が十分に降下せず、言葉を発する上で障害が残る...。なんて観察事実があれば、納得できる説明のような気がします。(wjさん)

私は旧知のこととして、或る程度確定的に書き込みましたが、この件に関しては確かに色々問題が有りそうです。

 

mnさん

私は「進化生物学の枠内」で説明するのは難しい、と一貫して言っては来ましたが、その反対概念として「人類学の枠」を想定したことは一度も有りませんよ。
私は「人類学」も概ね生物学的な枠内だと思っていますから。ヒトとして。
「進化人類学」も半ばそう言う意味で使っていた筈ですけど。文化や社会も含みますけどね。

私が「生物としての連続」に対置しているのは社会です。「社会への飛躍」です。これも一貫しています。
ですから「誤読を前提とした批判」だと言っているのです。
従って「以下、雄さんの発言に沿って意見させて頂きます(順不動)」の内容は、殆ど意味の無いことになります。

 

【言い訳と想定の範囲】

私の文章が「中々理解してもらえ(てい)ない」ことは事実なので、その点は認めています。「心しましょう」。
同時にそのことは、「クロスオーバーでの、まとめてお答え-1」の冒頭でも述べた通り、一番最初からの、「想定の範囲」だったことも確かです。

「人間の特殊性」「人間だけ特別だ」「質的に異なる」と言った主張は、この板だけでなく進化生物学の枠内で、ある種、禁句の趣が有ります。曰く「全ての生物はそれぞれに進化の頂点に有り、その点で同等であり、人間だけが特殊なのではない」と。
事実、最初の頃はそう言う趣旨の批判を方々から浴びました。

    

 

追伸

>>「埋められない溝」との表現と、「質的に異なる」とは微妙にニュアンスが違って、私は前者の捉え方はしていないのですが、それはそれとして.........、

>おお、その微妙なニュアンスの違いこそ重要かも。私にもその違いがわかりませんので、雄さんは「埋められない溝」と考えていると解釈していました。是非、その違いが知りたいです。

微妙なニュアンスの違い、ですから微妙でしか無いのですが、「埋められない溝」だと、なんとなく「原理的な違い」、と言う感じがします。
私は原理的に否定をしている訳ではなく、元々は同じ共通祖先から分岐した後、「質的な違い」に至る迄の、長ーい、量的な経過や結果としての違いを見ているので、それが「生物としての連続」と「群れから社会への飛躍」に至る全経過で有る訳です。

今となっては殆ど「埋められない溝」になっていますけどね。

gbさん
記事、見ました。
松沢哲郎さんは好きな学者だし(お会いしたことは有りませんが)、尊敬していますので、松沢さんが「こうだろう」と言えば、「おそらくそうなんだろうな」と思いたくなるのですが、記事の範囲だけでは何か予測めいたことは読み取れませんでした。

ただどうなんですかねぇ。チンプに限らず、意識内容を推測するのは難しくて、結局行動や、ヒト祖先の場合、残された石器や「芸術作品」によって判断するしかないのですが.........。
確実に言えることは、

  • 仮にこの行動が、子供が死んだことを理解した上でのことであって、人間の弔いの起源に若し繋がるとしても、このチンプの意識内容は今の人間のそれとは、遠く隔たっている筈だと言うこと。類人猿や一部のトリの「道具」、或いは「コトバ」と比較してさえ、更により原始的で未発達な段階で有る筈だ、と言うこと。
  • 同じく、子供が死んだことを理解した上での行動だとすれば、これは一つの「文化」ですね。チンパンジーと言う種固有の生物学的な、つまりは遺伝子に密着した行動では無い。

ネアンデルタールの埋葬などとの関連で、色々言うことは有るのですが、多分これがgbさんの主題では無い筈なので、次の問題。

RE 飛躍

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gbさん

>>そしてその、目にも見えないたった一個の自己複製分子の誕生が、それまでの地球に存在しなかった「生物」と言う新しいステージ・階層を形成した訳です。
私なりに言うならば「化学から生物への飛躍」です。

>これ、雄さんの思想、考え方の枠組みがよく伝わる表現だと思いました。

 

「自己複製分子の誕生=生物と言う新しいステージ・階層」そのものは、思想、考え方と言うより「事実」だと思うんですよね。gbさんも多分否定はしない。
ただそれを、ステージだとか階層だとか、或いは「化学から生物への飛躍」と定式化していることを、「雄の思想だ」と言うことで有れば、まあそうかな、と。

 

元々は「人間機械論」へのコメントから始まった『連続と飛躍』で、最初にこう書いたことを覚えています(当時のログは既に容量オーバーになっているのか、探したけど見つかりませんでした)。

「『連続』は若しかしたら大方の了解が得られるかも知れない。しかし『飛躍』の部分はおそらくこちらの常連さんには同意して頂けない。方々から石をぶつけられるだろう」

……と。
事実、その後そう言う経過を辿り、現在もほぼ同じ状況です。

ですから「見解の相違」は相違で、想定の範囲内だしそれで結構なのですが、ただどうも私の論旨を理解してもらった上での意見の違い、と言うことでは無く、 曲げて理解した上での「見解の相違」が有るように、何時も感じるんですよね。と言うより、殆ど読んでもらえていないような気さえする。少々ゲンナリしますね。
勿論私の書き方の問題も、多いに有るのでしょうが。

 

 

このところ何人かの方々から私の、『連続と飛躍』、主に『飛躍』の部分ついて、疑問・批判・反論などが相次いで寄せられています。

『人間社会への飛躍』については、元々は「人間機械論」へのコメントから始まったことでした。その後延々と、「程度問題」「量から質への転化」を巻き込みながら、正直私もその対応に忙殺されました。
ですから私としては「もう何度も書いて有るじゃないかっ!!」って思いとともに、今ここで又、あの状況を再現しようとは思いません。その気合は今私に有りません。

ただ丁度うまい具合にmnさんが、私の主張展開に沿った枠組みで書き込みをしてくれています(私の主張に同意した、ってことを言う積りは有りませんが)。

...と言うことで、このmnさんの書き込みに沿う形で、繰り返しになりますが少しまとめてみました。上記疑問・批判への回答となるかどうかは分かりませんが。

ただ実は、中々まとまりません。範囲が広いと言うか批判が多岐に渡っていると言うか。
...で、書き終わった分だけ取りあえずアップさせて貰いました。

 

>taさん

「見解の相違」は相違で一向に構わないのでそれは良いのですが、ただ(多分)誤読を前提とした「見解の相違」が有りそうなので、その点だけ指摘させて頂きます。

>>要するにネアンデルタールは、遺伝子的な寒冷地仕様の制約で、氷河期に適応できたがそこまでだった。
>>確かに「チンパンジー等が(初期)旧石器文化くらいまで進化する(進歩する?)可能性」を完全には否定できませんが、やはり私は現実にはそれは無いだろう、と思います。

>上記のような発言を見ると、チンパンやネアンデルタール人はそれ以上の進化の可能性が無いと言っているように見えてしまいます。我々のご先祖様が 登場しなかったらネアンデルタール人も文明を開化させ、世界中に進出したかも知れませんし、ヒトが占めているニッチが何らかの原因で空いてしまえば、チン パンや他の動物がその位置を占めるようになるかも知れません。

 

上記私の書き込みは、現実の経過をそのまま述べただけです。
ネアンデルタールは現実に絶滅しているし、その要因は色々有るでしょうが、上記要因もその一つでしょう。taさん、それでも「見解の相違」になりますか?

>jaさん

>我々、新モンゴロイドも寒冷地仕様、それもネアンデルタール人よりも、より寒冷地仕様化しているとも言えませんか?

ネアンデルタール人と比べてどうか、ってのは別として、そう言うことは有りますね。
寒いところでは短足・ずんぐりで体表面積を少なく、暑いいところではひょろ長く。
日照に応じて肌の色も変わって来るし。これには性淘汰も働くようですが。

ただそれが出アフリカの過程で、定着した後その地で適応したのか、適応しながら各地に定着していったのか、その辺私にはハッキリわかりません。両方有ったんでしょうね多分。
200年前オーストラリアに移住した白人も、もう1000年もすればアボリジニ並みの肌の色になる計算らしいし。

いずれにしてもホモ・サピエンスという単一種が地球全域、特に寒冷地に適応出来た要因として、衣服や火を含めた道具、文化(オーリニャック文化)を否定することは出来ないと思いますよ。

    

 

RE 異質論

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>jaさん

>ただ、こういう異質論は、どういう生物種でも言えてしまう。
他のグループとは違う異質なところがあるから、種として一まとめにできているわけなんで。
ヒトに、他の動物にはない異質なところがあるってのは、当然だし、そういう異質性はどんな生物にもある。
>そういうヒトの異質性を持ち出して何を主張されたいのか、いまいち理解できない。

ヒトとチンプ系統との「生物学的異質性」は、1.23%とされる遺伝子的差異で説明できると思います。
ダーウィンがヒトの発祥をアフリカ起源だとしたのも、チンプやゴリラとの外形的類似性に着目したものらしい。

※ ちなみにヒト同士の遺伝子的バラエティは、0.07%だそうです。
オランウータンとの差、2.8%、アカゲザルとの差6-7%。

 

>dmさん

>旧石器時代は長いですからねえ。おまけに別種のホモ属の文化を含めていますし、わかりにくかったとは思います。私が想定していたのは初期旧石器文化、アウストラロピテクス達の旧石器文化でした。
>飛躍が現代人類誕生以降との考えでしたら、チンパンジー等が(初期)旧石器文化くらいまで進化する(進歩する?)可能性の否定にはつながりませんよね。

確かに可能性を完全には否定出来ませんね。

 

skさん

>表題での話しについてなにを言おうとされているのか、申し訳ないのですがよくわかりません。

すいません。
無駄に長いばかりで言いたいことが分からない、ってのは私の文章のせいで、skさんの罪では有りません。

 

>>ヨーロッパなど一部の地域に局在せざるを得なかった

>中近東からヨーロッパの範囲を、一部の地域と言ってしまうのはどうかなあ。
そりゃぁ、ホモ・サピエンスと比べたら「一部」でしょうけど。

 

要するにネアンデルタールは「寒冷地仕様」だったということです。同じ緯度でも地球を一周しますからね。
それを「局在」と言って良いか悪いかは、まあ言葉のあやで、その辺を突っ込まれても本質論とは無縁な訳です。

本質論としては、種としては単一のホモ・サピエンスが地球の全域に適応している。こちらの方が(生物としては)異端で特殊なのであって、当人にとってそれが当たり前で有ったとしても、本来それを基準に考えるべきではない。
私の主張はそう言うことです。

「親の責任論」と言うか「宗教論」と言うか、続いていますね。
一人で大勢を相手にする大変さは私も身にしみているので、死んだら無さん、ご苦労様です。

議論を仕切る積りは毛頭有りませんが、その進展にやや辟易だった私は、少し目先を変えてみようかと、おおむかしdmさんから頂いたまま店晒しになっていた宿題を、今更ながらですが考えてみました。もうご当人も忘れているかも知れませんが。
http://6609.teacup.com/natrom/bbs/10455
http://6609.teacup.com/natrom/bbs/10456

>「アウストラロピテクスの社会」と「チンプやゴリラの社会」の間の距離が飛躍と言えるほど大きいかどうか、という点はどうなんでしょう? それとも雄さんの言う人間の社会はアウストラロピテクスの社会も含んでいたのでしょうか?

>そして雄さん以外の人は、「アウストラロピテクスの社会」と「現代の人間の社会」との間に多くの中間段階を経た連続性を見ているわけです。

>なお、「人間の社会」が急激に変化したのはここ3万年-6万年以降と考えられているようです。

>どこまでを文明と呼ぶかにもよりますが、旧石器文化くらいまでなら現在のチンパンジーやゴリラでも行けそうな気もする。ゾウはどうでしょうねえ。

 

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