2010年3月アーカイブ

それにしても、国松警察庁長官(当時)狙撃事件時効に当たっての、今回の警視庁の声明はひどい。
「我々は能力が無く、15年かかっても犯人を挙げられなかったが、犯人はオウムだと断定する」と言うことでしょ。まるで子供の負け惜しみ。それに警察がこんなことを言ったんじゃ、時効の意味も無くなる、それも特定の事件に限ってだ。
時効になってから断定するんだったら、何故それまでに犯人を挙げられなかったんだ。

実際にやったことを、物的証拠に基づき断罪することが大事なのであって、自分たちのトップの殺害未遂さえ時効に至るまで検挙が出来なかった警察が、こんな負け惜しみを言っていたら逆にオウムを免罪することになる。逆効果も甚だしい。

オウムの血を引くアレフなど、これから多分こう言い張るだろう。
「俺たちは何も悪いことはやっていない。警察の恣意的な捜査でやられたことだ。
自分たち警察トップの狙撃事件さえ証拠を挙げられず検挙できないのに、みんな俺たちのせいにされた。それが何よりの証拠だ」って。
少なくとも教団の仲間内には、この上ない「説得力の有る」弁明と「団結」の種を与えてしまった。

>RE j5さん

破防法については、当時も世論を二分して結局適用が見送られた訳ですが、私自身は適用すべきでないし、必要は無かった、と言う意見です。
そんなものが無くても、現行法で充分取り締まれるし、必要なら「集団」の解散も出来る筈だと思うからです。事実、破防法の適用抜きに、オウムは解散された訳ですしね。

 

1952年制定されて以降、一度も本格的な適用をしてこなかった同法を、警察が兎も角一度発動実績を作りたかった、本音としてはそう言う言うことなんだと思っています。

この件についてはj5さんと意見が違いますが、しかし他の部分では、私が述べたことと一緒ですよ。以下のj5さんの書き込み内容とね。

>思想内容や信仰内容を問うべきではない。
>違法行為をしたかどうか、これにつきる。
>した疑いがあるのなら、個人であれ団体であれ、捜査し、逮捕し、刑罰を科すべきです。>その行為にです。思想内容、信仰内容じゃなく、行為に。

宗教と規制

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私も無神論者だし、無さんの気持ちも分からなくは無いのですが、やっぱり「布教活動に規制をかけるべきだ」と言うのは、ちと拙いんじゃないかと思いますよ。思想信条そのものへの関与になってしまいますからね。

 

RE dmさん

>ヒトはヒト社会を作ったのにチンパンジーはヒト社会を作れない/作らない、のはなぜか? (いかなる生物学的違いによるのか?) てのが問題でしょ?

>ヒトだけが直立二足歩行することは生物学的違いのひとつでしょう? つまり雄さんの主張の行き着く先は、直立歩行をさせている遺伝子こそがサプライズということになるのではありませんか?

三点ほど述べておきたいと思います。
若干長くなるかも知れません。又どなたかから「熱弁をふるわれた」などと批判を受けそうですが、私もそろそろ一連の論争(?)から撤収したいと考えています。
勿論具体的なご指摘や反論を頂いた場合は、今回のように引き続き対応はしたいと思っていますが、既に同じことの繰り返しになってきましたし、何より何人かの方々を相手に回答に回る側としては、他のことが何も出来なくなりますので.........。

 

RE ahさん

>雄さん、gbさんがコントロールリージョン云々と書かれた理由をお忘れではないですか?
gbさんは「塩基配列の違いの割合と、表現型の違いはリニアではない」と述べておられたのだと思うのですが。

そのgbさんへの返信の中で私が...、

>>調節遺伝子であれ、サプライズで有れ、隠されている可能性が無くはないでしょう。
しかし公平に考えれば、その可能性は他のどの種についても言える筈です。
私が不思議なのは、私が「人間社会の特殊性、質的飛躍」を主張すると、決まって「人間も生物の一種に過ぎない」としてその特殊性を否定するのに、どうして こう言う場合だけ、僅か1.2%とか1.6%とかの差異の中に、そんなサプライズを、人間の時だけ持ち込もうとするのか、と言うことです。

......とコメントしているのも当然、目を通した上での書き込みですよね。

 

 

RE バナさん

>形而上の問いには「なぜ」は有るとしても、形而下の問いには「なぜ」は無いと考えます。

 

およそ実在の現象について何らかの問題が建てられた時、それが科学の対象にならないものは無い。と思っている私には「なぜ?」であれ「どのように?」であれ、科学が答える対象だと、当然思っています。

 

RE skさん
>ヒトとチンパンジーの塩基配列の差が1-2%がをわずかというのはどうでしょうか。

1-2%と言う数字が、大きいか小さいかは、skさんの言われる通り人によって違うと思いますし、又どう言う要素に着目するかによっても評価が違ってくると思います。

 

ヒト

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RE gbさん

>現在のヒト社会とチンパンジーの群れを比べて差異を抽出し、それが「人間の本質だ」と言ってみたところで、生物学の課題にとっては何の意味もないということです。

そもそも私は、生物学の枠内で、ヒト社会とチンパンジーの群れの「差異」は説明できない、と言う立場ですよ。繰り返し述べているように。
その「差異」は、社会的存在としての「人間の本質」的理解の中にしか、見出せない。と言うのが私の主張ですからね。
その差異が「生物学の課題にとっては何の意味もない」かどうかは別として、少なくとも生物学の課題としてだけ取り上げている積りなど、全く有りません。どちらかと言うと社会科学の分野にまたがる課題でしょうね。

 

毛と神

RE gbさん

>いや?もしかしたら、毛がふさふさした(?)ネアンデルタール人たちも、
自分たちの神(?)を持っていたかも、しれませんよ。

ネアンデルタールが神を持っていたかどうか、それは知りませんが、体毛の有無にかかわらず人間の歴史の過程で原始宗教は当然生じていたと思いますよ。
そもそも原始宗教発生の契機と体毛の有無は関係ありませんからね。

ただ各部族、或いは群れが持っていたであろう土着の原始宗教が、統合され濾過され、そして階級の分化に伴って支配階級がその権威づけの為に、「神権」と言う形で宗教を利用するその過程で、ある種洗練されて来た、その典型がキリスト教だろうと私は思っています。

 

毛と神

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RE gbさん

>雄さん、その場合は、神の姿は毛がふさふさしてたでしょうね。

いやいや、私が言いたかったのは、若し毛がフサフサ状態だったら、人が「神を創造」する前にもう少し本来の祖先たち、チンパンジー等との連想が考えられたのではないか、と。

チンプとヒトとの、遺伝子上の違いが1%とか2%とか言われますが、私は生物学的な違いはそんなもんだと思っています(違いは社会的なものだ、と言うのが私の持論ですからね)。
ヒトにフサフサした毛を付けたら、外見上はチンプとさほど違わないんじゃないか、と。

 

RE gbさん

>>「それは人間が道具を使って生きる道に踏み出したからだ、と。その基礎は直立二足歩行ですが。」これに尽きます。

>ここで、当初の
>>生物学の枠内で、ヒト社会とチンパンジーの群れの「差異」は説明できない

>に戻ります。
>ヒトとは社会的な存在である、という思想から出発してません?

 

ここで結局又、振り出しに戻りますね。

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