2009年3月アーカイブ

次に、各位とのやり取りの中で感じた点を、「個体と社会」と言う視点から述べてみます。

私は「動物の群れ」と「人間社会」の質的な差を根拠づけようと、「道具」「言葉」、それによる「思考」の違いなどを挙げ、繰り返しその違いを具体的に提起して来た積りです。

人間の『道具』の特質として、「身体器官の延長・代用で有りながら、遺伝子変異に依存せず、社会の知的集積に応じ、急速に限りなく進化が可能」と、何回か述べていますが、これを、『情報』と言う要素に置き換えて考えても同じことが言えるでしょう。

RE wadja さん
【ええもんみっけ 投稿者:wadja】
http://6609.teacup.com/natrom/bbs/9178

>京都大学霊長類研究所の記事で面白いのがあったので紹介しておきます
「タイの野生ザル?道具の使い方母親が伝授」
(略)
>仮にこれが事実だとしても、「言葉によらない概念的思考の証拠にはならない」、と言い張る人はいるかもしれませんけど。

「タイの野生ザル?道具の使い方母親が伝授」については、新聞の科学欄ですが、私も見ました。
仰る通りこれについても「『言葉によらない概念的思考の証拠にはならない』、と言い張る人」です、私は。

そもそも論になりますが.........、
概念は言葉と結びつき、言葉抜きには有り得ません。言葉が全て概念では有りませんが、概念は全て言葉によってなされます。

「サケは百薬の長だ」と言った時の「サケ」は、「アルコールを含む飲み物」と言う内包を持つ概念であり、この場合「サケ」と言う語を使う以外に、サケの概念を表すことは出来ません。徳利に入った酒や缶ビールを指さしても、それは個別・特定の酒やビールしか表すことが出来ず、つまり身振りで概念を表すことは出来ません。

※ 広辞苑『概念』からの抜粋
――概念は言語に表現され、その意味として存在する。――

従って「タイの野生ザル―道具の使い方母親が伝授」は、概念的思考にはなり得ません。

>そもそも本当に人間は頭の中で「言葉による概念を駆使」して考えているのか、実証した例はあるのでしょうか?【カニクイザルと概念的思考 投稿者:mh】

>自分の頭の中だけのこととて実証はできませんが、一応言葉も思考のための道具にはなっていると思います。しかし、「人は言葉でしか考えられない」 というような極端な説もよく聞くのですが、私は嘘だと思いますね。【言葉を使わない思考 投稿者:dm】

既に収束状況のところ、「今更」と言う感じで気が引けるのですが、反論がてら少しまとめてみました。

最初に謝罪から。

【いろいろ>雄さん 投稿者:h 投稿日:2009年 3月11日(水)12時10分53秒 】

>>例えば、「人間もチンプもゴリラも、イヌもミツバチも、アジの群れも植物の群生も、カビも大腸菌のコロニーも、シアノバクテリアも、みーんな全部、社会だ」などと言うトンデモに陥らない為に、です。(雄)

>この点には強く反論します。これは「社会」という言葉の定義を、雄さんが「自分の基準」でしか考えていないからです。社会生物学や動物社会学と いった分野、**の社会とか**の社会構造とか**の社会的学習といったテーマに触れている身として、「人間同士が普通に使う社会という言葉より拡張され ているけれども、動物にも社会と定義されるものがある」という点を忘れていませんか。
あなたが人間の社会の話だけをしたいのであれば、「いや、私は人間の話だけをしたいのだ」と一言仰ればすんだはずです。それでも「では人間の社会と動物の社会との連続性は」という問いかけは出て来たと思いますが。
その点を押さえずにトンデモ呼ばわりするのは、私は認めません。見解の相違などではなく、用語と学問分野に対する侮辱と受け取ります。(hさん)

失礼しました。
「トンデモ」と言う表現は撤回します。
hさん、及びsnさんに不快な思いを掛けたで有ろうことをお詫びします。

引き続きsnさんの主張に沿って、主だったところだけコメントさせて貰います。

【雄さんの論理 投稿者:sn 投稿日:2009年 3月16日(月)22時28分7秒 】
>雄さんのいう「概念的思考」というのが,「感覚できないものを思考すること」であるなら,例えば,ニューカレドニアガラスは,道具製作の途中で,「まだ存在していない道具の性質」を想定していると考えられますし,

後段についてはその通りです。
ニューカレドニアガラスに限らずですが、若し同じ種の中で道具を作る個体と作らない個体が有ったとしたら、当然作っている個体が、それによって意識が鍛えられていることでしょう。

しかし、だからと言って、その意識が「概念的思考」だと言うことでは有りません。

 

>500-200 万年前に生きていた多数のヒト属の種は全て直立二足歩行して道具も使っていた。にもかかわらず、その中のたった一つの系統だけが地球を改変するほどの力を持つに至った。この飛躍を決定した要因とは何なのか? 少なくとも当時のヒト属の種がいずれも保持していた「直立二足歩行」や「石器使用」はこの要因ではあり得ない。

>我々はアウストラロピテクスがヒトの祖先だと知っているため、つい彼らも人間だと考えてしまい勝ちですが、脳容量がチンパンジーと同程度ですから、知的能力もヒトよりはチンパンジーに近いと思っても間違いではないでしょう。また化石も少ないために、社会構造についてはほとんどわかってはいません。

 

次にdmさんから批判、反論を頂いていますので、主な点についてコメントしておきます。

【ヒトと動物の比較 投稿者:dm】

>まずヒトと動物を比較するとします。もっと詳しくは、ヒトとチンパンジーとその他の何種類かの動物を比較して、ヒトと他の多数の動物とを明確にグループ分けできるかどうかを考えたい、とします。まず何を比較するかを決めなくてはいけません。形態か、行動か、生理か。ここではヒトの特殊性は社会行動 に最もよく現れると考えて、行動ないしは社会を比較することにします(*1)。形態比較となると、いわゆる類人猿は明らかにひとつのグループとして他の動 物とは分けられます。ヒトだけが一グループにはなりません。言い換えるとヒトだけが特殊にはなりません。

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