注釈
ヒト
ここでは頻繁に「ヒト」と言う表現が出てきます。最初にそのことについて。
ヒトとは、 狭義にはホモ・サピエンス、つまり現世人類の日本語学名。より広く言えば、猿人、原人、旧人、新人とたどって来た、つまりは明らかに人類的特長を持つ、個体とグループを表現する日本語学名とされます(homo 英 man 仏 homme 独 Mensch)。
人間を動物学的に分類した時の呼称と言って良いでしょう。「人類」とほぼ同義。
ヒトを他の類人猿と区別する身体的特徴は、「直立二足歩行」です。
しかし動物としてのヒトと、文化を持ったヒト(人間)を切り離して、ヒトを理解することは不可能であり、例えば 「人類学」はヒトの体と文化(生活状態)とを総合的に研究し、その関連を知ることを目的とします。 (岩波 生物学辞典より)
ボノボ
かってピグミーチンパンジーと呼ばれ、やや小型のチンパンジーとされていたが、今は違う種として扱われ名称もボノボと呼ばれる。チンパンジーと同じパン族。
およそ230万年前、チンパンジーと分岐した。
チンパンジーがアフリカの西海岸から東部のタンザニアまで広く分布するのに対し、ボノボが生息するのはコンゴ川(ザイール川)の南側だけ。おそらくこのアフリカ第二の大河によって地理的隔離がなされ、2種に分岐したのだろう。
旺盛で多彩な性行動で知られる。この旺盛な性行動は個体同士の緊張を緩和するのに使われているらしい。
知能はチンパンジーに勝ると見られ、頻繁に2足歩行も見られる。
スー・サベージ・ランボー博士による、「天才ボノボ」カンジ、パンバニーシャなどの言語訓練研究が有名。
旧約聖書『創世記』
旧約聖書『創世記』第一章27には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」と記述されています。これに反する、進化論、取り分け「人間はサルから進化した」とする説に対し、カトリックの総本山であるバチカンは火刑を含む極めて厳しい戒律を科してきました。ダーウィンが『種の起源』を書き終えながら長く発刊を躊躇ったのは、バチカンの反応への配慮からでした。
又、正に『種の起源』の内容を巡っての、「ダーウィンの番犬」を自任するハックスリーと、オックスフォード司教サミュエル・ウイルバーフォースとの討論は(かなり脚色された話のようだが)有名です。
今でもバチカンの地元イタリアやアメリカ南部で、創造論は大きな影響力を持っています。特にアメリカ南部のキリスト教原理主義者の間では、「進化論と並ん で創造論を学校の理科で教えるべきだ」との裁判提訴が繰り返し起こされました。それに失敗すると「インテリジェントデザイン=ID」と名前を変え、同じ内容を科学の装いで持ち込もうと画策しているようです。
又直接の関係は有りませんが、避妊・中絶、同性愛等が聖書の教えに反するとして、堕胎手術をした医院の焼き打ち、医師の殺害迄起きています。
バチカンが何故創造論にこだわるか
進化論に対するこのバチカンの厳しい対応にはバチカンなりの根拠が有ります。正に創世記の文面そのものから来るものです。
若し人間がサルから進化したのだとすると、ではそのコピー元である神は一体どういう存在になるのか、と云うキリスト教の存立に係わる深刻な問題が提起されるからです。
地動説も厳しく弾圧されました。ガリレオの宗教裁判は有名です。
地動説も、唯一絶対の神がおわします天上が、宇宙の中心では無く他と区別の付かない片隅の1惑星に過ぎないと言う主張ですから、バチカンとして黙過出来なかった訳です。しかし地動説は神そのものの否定では有りません。宇宙に関する圧倒的な科学的知見が押し寄せる中、現在バチカンも地動説を認めざるを得なくなっているようです。
しかし進化論、特に人間の進化については、問題の性質が違います。神そのものの存在根拠に係わる問題であり、壮大な宗教的機構の根幹に係る問題です。
こちらも進化生物学、進化人類学、特に化石の発掘など科学的知見の集積で、バチカンも無視できない状況になっています。一部進化論も認めるとのニュースも有ったようです。
しかしやはり人間の進化を正面から全面的に認めることは、バチカンに取って難しいでしょう。
「神」と言っても現実に存在しているのは生身の聖職者です。進化論は教会の、ひいては自分たちの生活基盤に係わることです。
今後バチカンは、聖書の教義・神の絶対性と、科学が示す知見の板挟みの中で、急速に不可知論に傾斜して行くものと私は思っています。「本当の所は分からない。神のみぞ知る」と。
なお、ヒト科類人猿の中で無毛なのは人間だけですが、若し人間にふさふさした体毛が有ったなら、サルとの類似性が最初から着想され、人間進化ももっと早くから承認されていただろうし、若しかしたら『創世記』そのものも無かったのではないか、等と思っている次第です。
分子進化学と分子時計
分子時計
遺伝情報を担う分子であるDNAやそれを反映したタンパク質分子の、時間経過に伴う変化、言いかえれば、そのような分子の変異が特定遺伝子に蓄積する速度=塩基置換率を調べることで、比較する生物種同士の遺伝的近縁度、更にはその種が共通祖先から分岐した年代を推定する研究手法。
塩基配列は突然変異によって置き換わる(塩基置換)。その置換の程度が経過年数に比例すると仮定すれば、異なる種同士で塩基配列の差異をカウントし比較することで、比較対象の種の近縁度と分岐した年代を計る「時計」として使えると言えます。
分子時計の問題点
但しその分子変異の程度が「分子時計」として、分岐年代決定の機能を持つには、次の二つが前提として承認されていなければなりません。
-
塩基配列の比較から得られる分岐年代は、比較する種間の相対年代だけです。何万年前とか何百万年前とかの絶対年代は、化石証拠による基準年代決定に左右されざるを得ません。
その時、当該指標化石の年代が「正しい」ことが前提になります。この部分に誤差が有ると、それを基準にした相対年代にも当然誤差が生じます。 -
塩基配列の比較による(相対的)分岐年代の決定には、経過時間当たりのの塩基置換率が一定であることを前提とします。これによって年代決定の基準=分子時計として機能します。
しかし塩基置換率が一定だと言うことが、必ずしも保証されている訳では有りません。
化石を元にする古生物学陣営は、特にこの点を問題視します。
更にもう一つの問題として、この分子生物学で分かることは、DNAサンプルを取れる現生生物(最近ネアンデルタール人の化石 - 遺骸からDNAサンプルを抽出出来たことが大きな話題となっています)に限られ、遠い過去に絶滅した生物は研究の対象になり得ないと言うことです。
分子であれ化石であれ、どちらも極めて貴重な研究手段で有る訳で、双方相携えて強みと弱点を補い合い、進化生物学共通の知見を前に進めて欲しいものです。
分子による遺伝的近縁度(逆に言えば差異)は研究手法によって若干の差が出てきます。又、比較する分子によっても結果は違います。
同時に次のような事情も留意しておいた方が良いでしょう。
エクソンとイントロン
ヒ トとチンプの遺伝的多様性の検証に、最初に分子を持ち込んだのは、バークレー校のアラン・ウィルソンとヴィンセント・サリッチだが、当時、つまり1960年代半ばには未だDNA分子の直接分析は出来なかったので、彼らはDNAの代わりにタンパク質分子を利用しました。タンパク質はDNAの塩基配列によってコードされているアミノ酸が繋がったものだから、タンパク質の比較はそのままDNAの比較に繋がる。
しかしこの分析手法で問題にされるのは、タンパク質合成に関与しているDNAだけだと言うことです。
人間(チンプやゴリラも)のDNAにはタンパク質合成に関わるエクソン(エキソンと表記される場合も有る)と呼ばれる領域のほか、タンパク質合成に関わらず何の働きもしないとされて、「ジャンクDNA」と呼ばれることもあるイントロン領域が、エクソンの何倍も有ることが分かっている(最近の研究で、このイントロンにも何らかの存在意義 が有るのではないかとされてはいるが)。
そしてこのイントロン領域は、生存に有利にも不利にも働かない為、突然変異が淘汰に掛からず(修復されず)そのまま定着する率が高い。つまりは変異スピードが極めて速い。
タンパク質の比較だけでは、このイントロン部分の変異が考慮されないことになる。
イントロンを含めたDNA全体の変異は、従ってもっと多くカウントされることになる筈だ、と言う訳だ。それがどの程度の意味を持つか、私には分からないが。
25%の共通性
もう一つ。DNA分子の比較と言う点で、任意の二つの種、例えば人間とナメクジ、或いは人間と大腸菌で対応するDNAの塩基配列を比べたとき、どんなにかけ離れてもその差異が75%以上になることは無いと言うことである。
例えば、ヒトと大腸菌のシトクロムc(チトクロームc)に関わるDNAを比較したとき、最低でも25%以上の共通点を持っていると言うことだ。それは同じ共通の祖先に由来する、全ての生物の土台と言うことだろう。
だからと言って、人間が25%大腸菌的だということではないし、25%ナメクジの性質を持っていると言うことではない。
ヒトとチンプ、或いはゴリラの遺伝子的差異を考える際にも、その辺の「共通の土台」を留意しつつ数字を見てゆくことも必要だろう。
分子時計と化石から見る、ヒトとチンプ・ボノボの分岐年代
ヒトと、チンプ、ボノボが共通の祖先種から分岐した年代は、分子生物学の知見を最初に人間に適用した、ヴィンセント・サリッチとアラン・ウィルソンによって、最初480万年前、或いは500万年前とされて来ました。
その後、チャールズ・シブリー、及びジョン・アールクヴィストによる、DNA交雑法を使っての別個の測定、及び分子生物学の更なる発展等により,タンパク 質やゲノム分析の技術が向上し,分子時計による人類進化の道筋の推定がより正確なものとなって、今では100万年ほど遡った、およそ600万年前と主張さ れるようになっているようです。
しかし最近、古い地層からの猿人化石の発掘が相次ぎ、この分岐年代さえも見直しが余儀なくされているようです。
特に、2000年発見のオロリン・ツゲネンシス(600万年前)、2001年に発見された、サヘラントロプス・チャデンシス(愛称 トゥーマイ、600 - 700万年前)の意義は大きく、今では更に100万年も遡った700万年前辺りを分岐年代として視野に入れる必要にせまられているよ うです。
しかもオロリンにしてもトゥーマイにしても、発見された化石には既に直立二足歩行の痕跡が見られる訳で、ヒトはチンプなどと分岐して殆ど間を置かずにこの、直立二足歩行を獲得したことになります。と言うか直立二足歩行したからヒトとして分類されている訳ですが。
この600万年とか700万年とかの古さが逆に、オロリンやトゥーマイの化石を、ヒトに分類すべきか否かについて、一部論争になっている模様です。
私としては、歪みを修正したトゥーマイ頭蓋骨化石にハッキリ認められる、大後頭孔の位置と角度から、直立二足歩行をしていたことは間違いないと推定され、これをヒトとして認めるに些かの疑問も無いのですが、この決着は新 たな化石の発見や専門の研究成果に委ねるとして、いずれにしても700万年前程以前には、ヒトと、チンプやボノボが同じ動物であったことは間違いないところです。
そして1000万年余り遡った過去には、ゴリラとも又祖先を同じくしていたのでしょう。
本能
現在「本能」と言う言葉は、専門家の間ではあまり使われなくなったようですね。
「本能」とは一般的に言って、「遺伝子DNAの情報に基づき、生後の学習(模倣・練習など)を必要としない、生得的な行動様式」とでも定義できるかと思います。
「本能的(instinctive)」の 語は、生得的とほぼ同じ意味で使われている。と、岩波「生物学辞典」にも記述されています。
取り合えずここでもそのような意味合いで使っておきます。
しかし色々な観察の結果、従来「本能的」とされていた行動パターンが、実は生後の環境と深く係わっていたり、"素材"としては「生得的」なのだが、その発現には生後の環境や学習が必要だと言う行動パターンが各種見出され、一筋縄ではいかないことが分かって来ました。
現在では、本能は記述の為の概念としてのみ用い、説明概念としては用いられていない(岩波生物学辞典)、そうです。
昆虫の本能
この「本能」を極端に発達させた動物が、昆虫です。
昆虫はは殆ど、親による子供の世話が有りません。つまり子供からすれば、親からの学習の機会が有りません。
モンシロチョウは、緑の葉っぱに卵を産み付けるだけで、後は全くのホッタラカシです。子供が卵から孵化したとき、殆ど、親は既に死んでいます。
それに昆虫の寿命は、ワンシーズンと言うのが大半です。 蝉やトンボなど、幼虫で土や水の中に何年か過ごす場合がありますが、成虫になってからは数日の寿命です。学習してもそれが蓄積されると言うことは有りません。そもそも体、それに伴う脳も小さく(例えばアリ)学習や思考能力に期待できません。
そこで昆虫は、学習や模倣を必要としない本能を、極端に発達させることで生き残る戦略を選びました。
その、あまりにも見事な例を一つ紹介しておきます。
ヒメバチの産卵
メスのヒメバチは長い産卵管で、地中のイモムシの体内に卵を産み付ける。
イモムシの体内で孵化したヒメバチの幼虫は、イモムシをその体内から食べ始める。
ここでヒメバチは驚くような行動を取る。 最初はイモムシの貯蔵脂肪や結合組織などだけを食べ、イモムシにとって致命的な器官は残しておくのだ。
そして、イモムシの幼虫がさなぎになると、はじめてヒメバチの幼虫はイモムシのさなぎを全て食べつくし、最後にヒメバチの幼虫はイモムシのさなぎから出て、さなぎになる。
成虫になったヒメバチのメスは、同じように又、イモムシに産卵する。
この一連のヒメバチの行動の、どの段階をとっても、ヒメバチは親の行動を見ていません。つまり学習をしていません。
特に、母親が自分をイモムシに生みつけてくれたこと、そして自分も同じくイモムシに卵を産み付ける必要が有ることを、どうして理解しているのか。
これは自然に見られる本能的適応の、あまりに見事な例として有名です。
※ 他の昆虫の幼虫(イモムシ)に寄生産卵するハチはヒメバチに限りません。広く見られます。
こう言った産卵行動を取るハチを、一般的に「寄生バチ」或いは「狩りバチ」と呼びます。寄生バチとその犠牲になる宿主、及び宿主であるイモムシの食害を受ける植物との、複雑に絡み合った三つ巴の生き残り戦略が見られます。
この寄生バチによる余りに見事な適応、或いはミツバチの「8の字ダンス」等を見るにつけ、ダーウィンが言うように「突然変異」と「自然選択」だけで、本当にこの複雑な行動様式が可能だったのだろうか、素朴な疑問が湧いてきます。
「還元不能の複雑性」=「創造論」に科学的装いを施したインテリジェントデザイン論者の主張、を完全に否定する私でも、進化についての何らかの方向性の関与を、つい想定したくなる所です。
学習による適応
これに対し、例えば鳥は、学習によって適応能力を高める方向に、ある程度進化した動物だと言えるでしょう。
飛行はなかなか複雑な行動だと思われるし、失敗すれば地上に叩き落ちる危険な行動でもあります。卵から孵化したばかりの幼鳥はこの飛行が殆ど出来ず、勿論餌を摂ることも出来ません。
生きる為、基本的に必要なこれらの機能は親からの訓練によって学習します。
これは、親からしてもなかなか大変な事業で、その為鳥類の多くの種は、 父・母共同で力を合わせ、子育てをする必要に迫られます。多くの鳥類がペアで巣作り、子育てするのはその為です。
又、鳥の鳴き声にしても、素材としての能力は生得的に持っているとして、種本来の鳴き声に洗練するのは親鳥の鳴き声を模倣・学習することで初めて可能になるらしいことが分かってきました。
しかし、「学習によって適応能力を高める」と言う、この行動様式そのものが、鳥類の本能だ、と言われれば、或いはそうかも知れません。
ピルトダウン人=20世紀最大の、科学的スキャンダルとされている捏造人骨化石
経過
イギリスの若い軍人にしてアマチュア古代史研究家である、チャールズ・ドーソンが、1908年から1915年にかけて、イギリスのサセックス州、ピルトダウンの下部洪積層から「発見」したとされる、1個体分の頭蓋破片、下顎1点、何本かの歯を含む、人骨化石。
大英博物館地質学部門長で古生物学者の、アーサー・スミス・ウッドワード卿、大英帝国を代表する解剖学者、A,キース等、当時を代表するイギリスの人類学者によって、ホモ・サピエンス系統の最古の祖型として受け入れられ、世界中の学者の多くがこれに従った。
この「人骨」に対し、当初から疑問を差し挟む者もいて、主にアメリカの研究者たちによって、下顎と頭蓋は別物だとの主張もされたが、キースらの見解を覆すまでには至らなかった。
1953 年、オックスフォード大学、大英博物館双方の科学者による化学的試験の結果、前頭骨だけは更新世に由来する可能性が有るが、後頭骨は現代人、下顎骨は現生 オランウータンのものだと結論付けられ、問題の発端となったイギリス科学界自身の手によって、ピルトダウン人は完全に否定された。発端から解決まで、約 40年を要したのである。
ピルトダウン人が受け入れられた背景と影響
このようなおぞましい代物が、当代一流の専門家によって受け入れられ、広く世界の学者たちによって支持されたのは何故か?、解決までの40年の間、何故信憑性を持ち得たか?
一つは、骨を古く見せる為の巧妙な工作が有る。骨の多くはクロム酸塩で着色され、歯はやすりをかけてヒトの歯に似せるなどの加工がなされていた。
しかしそれ以上に重要なこととして、当時学会で主流であった、初期人類に関する先入観が有った。アーサー・キースは、既にその前に200種類もの霊長類の頭蓋を、1年かけて研究し、ヒトであることの必須事項は、身体の大きさと比べて大きな脳を持つことだと結論していた。つまりヒトは、全てのヒト的指標の前に、先ず脳容量の増大が先行した、と言うことである。
ピルトダウン人を捏造工作した人たちは、このキースの見解を熟知し、そのイメージに合うよう、骨を組み合わせ加工したのである。
当時進化人類学は未だ黎明期で、充分な知識の蓄積が無かったことが有るし、又、キースの主張に代表される当時の風潮は、人類の祖先はヨーロッパにあって、白人はその直系の子孫である、と言う、ヨーロッパ、白人優位の思想も背景にあったのだろう。
今でもよく見る「人類の歴史」図は、サルから前かがみの猿人、その後、ネアンデルタール原人、クロマニヨン人を経て、最後、直立した白人で終わるのが普通である。人類発祥の地がアフリカだと言うことが明白になった今、この図は明らかに間違いなのだが、普段われわれは特に不自然に感じることなくこれを見てい る。
ピルトダウン人は、ヨーロッパ、特に当時その中心であったイギリスにおいて、白人に繋がる「祖先化石」の発見として、抵抗なく受け入れられる素地が有ったと思われる。現生人類の最初の祖先が知恵と知性を身にまとい、イギリスから生まれたと言う「事実」は、当のイギリス人に取って多いに心地よいものだっただろう。実際ピルトダウン人の偽造を解明した学者の一人、オークリーに対し、ロンドン市民の一人が大英博物館に来て、イギリスの誇りを打ち砕いたとして彼の解雇を要求したという話も有ったと言う。
又当時の教会、旧約聖書の創世記の影響も有っただろう。
人間は神によってその似姿として創られたものであり、西洋人にとって人間は特別な存在だった。その人間がサルの仲間から進化し、サル並みの脳しか持たなかったとする考えは受け入れがたいものが有っただろう。
この当時の風潮とそれを背景にした「ピルトダウン人」は逆に、それ以外の地での初期人類化石の発見に対し、正当な評価を下す深刻な障害となった。
例えば、当時既に1891年、ウジェーヌ・デュボアによって発見されていたジャワ原人化石が、ヒト化石だと認定されるのを遅らせた。発見された場所がヨーロッパで無かったし、その化石がピルトダウン人のイメージに合わなかったのである。
より深刻で重要な影響は、レイモンド・ダートによってアフリカで発見された最初の初期人類化石、アウストラロピテクス・アフリカヌス(タウング・ベイビー)の扱いである。
ピルトダウン人に目を惑わされていた研究者にとって、それとほぼ正反対の特徴(脳は小さく、歯が進歩)の特徴をもち、しかもアフリカで出土したタウング・ベイビーは、ヒトと言うより類人猿にしか見えなかった。
ダートは失意のうちに、化石発掘の情熱を失ってゆく。
アフリカが人類のゆりかごの地であることが一般に認められるようになるのは、その後アフリカにおける、化石ハンターの王朝とも言うべき地位を築くことになる、リーキー家の長であったルイス・リーキーの挑戦を待たなければならなかった。
※ 捏造にかかわった人たち
キースの見解に精通し、当時の風潮に合うよう、巧妙な工作をした人物について、現在も確実には特定されていないようだ。
「発見者」のドーソンは最有力の容疑者だが、事実を認める前の1916年に死んでいる。又、シャーロック・ホームズの生みの親、作家のコナン・ドイルも関与が疑われている。
オランウータンのゲノムを初解読、予想以上の「多様性」ネイチャー紙
こちらから転載(個人的バックアップ用として)
1月30日 AFP】絶滅が危惧されているオランウータンのゲノム(全遺伝情報)を初めて解読したとする論文が、27日の英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。遺伝的な多様性が予想よりはるかに大きく、このことが種の存続に有利にはたらく可能性があるという。
米ワシントン大(Washington University)などの国際研究チームは、スマトラ(Sumatra)島に住むメスのオランウータン「スージー(Susie)」のゲノム配列の全解読を行った。
その結果、オランウータンのゲノムは、ヒトやヒトに最も近いチンパンジーとは異なり、過去1500万年の間にほとんど変化していないことがわかった。す べての類人猿は1400万~1600万年前に共通祖先から分かれたと考えられていることから、オランウータンは遺伝的にはこの共通祖先に極めて近いと考え られる。
また、オランウータンのゲノムの遺伝的多様性はヒトよりも大きかった。ちなみに、ヒトとチンパンジーのゲノムは99%共通しているが、ヒトとオランウータンでは約97%が共通していることが確認された。
■スマトラ島のオランウータンの方が遺伝的に多様
オランウータンはかつて東南アジアに広く分布していたが、現在はインドネシアのボルネオ(Borneo) 島とスマトラ島だけに生息している。ボルネオ島の個体数は4万~5万頭、スマトラ島では森林破壊や狩猟により約7000頭にまで減少した。なお、それぞれ は別種で、ボルネオオランウータン、スマトラオランウータンと称されるが、今回の研究で、2つは定説よりもっと後の約40万年前に分かれたことが推定され た。
研究チームは、各5頭でゲノムの概要を解読し、比較してみたところ、個体数がはるかに少ないスマトラオランウータンの方が、ボルネオオランウータンよりもDNAの多様性が大きかった。
研究チームは、DNAの大きな多様性は、種の存続のチャンス拡大に貢献した可能性があると指摘している。(c)AFP/Marlowe Hood
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