物質運動の階層性、結節点

 

物質の、或いは現象の結節点

人間がヒトとして他の生物との連続・延長線上に有ることは自明のことです。「生物学的連続」で述べた通りです。同時に人間の全面的な理解には、その枠内だけでは無理です。
生物との連続・延長は、それとしてキチンと押さえつつ、その枠からの「飛躍」的見地がどうしても必要です。それが「社会的存在としての人間」理解です。

科学の或る領域・階層と、別の領域・階層にまたがって現象する問題(今のケースで言えば、生物学と社会科学)について、その枠を超えた見方、弁証法的観点が必要とされます。
これは特に、日本物理学界の巨人である故坂田昌一博士が、「結節点」の言葉と共に強調したことです。

 

物理学における結節点と弁証法

「結節点」或いは「飛躍」の素晴らしい例を、坂田昌一博士や益川敏英博士が活躍した物理学に見ることが出来ます。

 

古典物理学から相対論、量子論への飛躍

19世紀には、物質とその運動に関する理論=物理学は既に完成されてしまったと言われました。ニュートン力学やマクスウェルの電磁気学で全ての説明が付く。これ以上の新たな知見は無い、と迄言われた訳です。
しかしその後、その知見を裏切る幾多の現象が発見されました。例えば、電子と陽電子の対消滅は、確固不動のものとされていた質量保存の法則を、否定するもののように思われました。
物理学者の中には、それまで信奉していた物理学の枠内(今で言えば古典物理学)では理解不能な現象の相次ぐ発見に、自身の思考上の結節点を超えることが出来ず自殺をした人も有ったようです。

その結節点は、相対性理論と量子論の登場によって超えることとなり、「古典物理学」と称される枠組みから、現代物理学への飛躍が行われたのです。その後物理学は怒涛のような勢いで新たな領域に踏み込むことになりました。20世紀はまさに物理学の世紀となったのです。
その中で湯川秀樹を始めとする、仁科芳雄、朝永振一郎、坂田博士、その門人とも言える南部陽一郎博士、小林誠博士と益川敏英博士など、世界に誇れる日本の理論物理学者が大勢輩出されました。
この背景には、日本の理論物理学界に伝統的に受け継がれて来た、弁証法的唯物論の系譜が大きく貢献したのでしょう。特に益川博士はことあるごとに、師匠である坂田博士の存在と共に、弁証法的唯物論、特に思考における弁証法の重要性を強調しています。
(弁証法に付いてはこちら参照)

※ 勿論この場合、ニュートンやマクスウェルの古典物理学が、現代物理学によって否定された訳ではありません。古典物理学からの「連続」はキチンと踏まえつつ、それを土台に、しかしその枠の限界を確認し、より高い階層に思考の枠を設定したのです。

 

進化生物学、特に「人間理解」における結節点

物理学では超えられた結節点が、一部の、特にアマチュア進化生物学フェチの人たちには、超えることが出来ないハードルのようで、上でも見たように変わることなく「古典論」で、ご都合主義的議論に終始しています。

物理学における結節点は、超えるのに相対性理論や量子論等、物質の難解な理解を必要としました。
しかし人間の「社会的存在」への結節点超えは、逆に今目の前に展開している、人間と他の動物との違いを、有りのままに素直に受け入れればそれで済む問題です。
違いを素直に見た時、チンパンジーにしろニホンザルにしろ、或いは他の全ての生物との、単に程度問題で説明のつかない、質的な違い、飛躍が直ぐに理解できる筈なのです。

しかもこう言う人も含め、日常的には人間を他のサルや動物とハッキリ区別し、自分達だけを特別な存在として全く疑問を感じていないのです。例えば………、

  • 新宿やニューヨークの高層ビルに勤めていながら、自分達と、何百万年も森の中から離れないチンプやゴリラと、その差は「程度問題」だと意識しているだろうか。
  • 生物学的には人間と殆ど同じチンパンジーを含め、ゴリラやサル達を檻の中に閉じ込め、動物園として見物の対象にしています。これが自分達だけ特別だとの意識以外の何だと言うのだろうか。
  • 同じくサル達を医学の実験材料に使っています。このことに批判も抗議もせずに、「人間と他の動物の違いは程度問題」だと言うなら、これは完全な二重基準です。

 

宇宙全体の歴史の中で人間の存在を考える

人間の存在を、ビッグバンに始まる宇宙の歴史全体の中に位置づけて説明する書籍が、最近目に付きます。
宇宙誕生のシナリオについては今、相当詳細に記述出来るようですが、大幅に端折って言えば次のように概観出来ます。

宇宙の歴史そのものが、正に何層もの「結節点」超えの、見事な見本です。

  1. 宇宙の誕生
    ビッグバン、インフレーションを経て誕生した宇宙は、誕生直後エネルギー(光子)だけで、電子さえも無かった状態から、最初に水素、その後僅かなヘリウムも出来た。
     
  2. 恒星の誕生
    水素ガス分布の僅かなゆらぎ、それによる重力の不均衡によって宇宙に物質的な粗密が出来、密の領域は重力によってますます周囲の物質(水素)を集め、やがてこの部分が星となる。
     
  3. 核融合反応-鉄までの元素合成
    星の内部での核融合反応により、水素からヘリウム、炭素、酸素、ケイ素等、順次重い元素が生成されて行き、最後鉄が合成される。核融合反応で造られる元素は鉄まで。
     
  4. 超新星爆発-鉄以上に重い元素合成
    星の寿命と経過は主にその質量によって違う道を辿るが、一部の星は核融合反応の燃料を使い果たした時、自分の重力を支えきれず、重力崩壊を起こし大爆発を 起こす。これが超新星爆発であり、この爆発による超高温、超高圧の中で、鉄より重い元素が合成され、宇宙空間にばらまかれる。
    ばらまかれた元素は又、星の材料となり、この過程を何回か繰り返し、現在に見られる物質世界が出来た。

    ― ここまでは物理的階層 ―
     
  5. 地球の原始海洋での化学進化
    およそ46億年前、太陽系と共に地球も誕生。マグマオーシャンの時期を経て、地球に海が出来る。今から見れば地獄のような原始海洋の中で、化学反応が進 展。単純な物質から徐々に複雑な物資が作られて行き、10億年位の時間経過の中で複雑な有機的高分子化合物が作られた。

    ― 化学的階層 ―
     
  6. 生物の誕生
    およそ38億年前とも言われる地球の海の中で、自己複製能を持った高分子化合物が、1個誕生。これが現在の、ウイルスを含む地球上の全ての生物の祖先です。
     
  7. 生物進化
    一旦地球上に生物が出現すると、後は生物進化の法則に基づき急速に増殖、分岐・進化を繰り返し、地球は生物の星となります。
  8. ヒトの誕生
    およそ700万年前のアフリカのどこかで、直立2足歩行に移行した類人猿の1種がいた筈です。これが様々に枝分かれしながら、現在の人類に繋がって来た我々の祖先です。

    ― 生物学的階層 ―
     
  9. サルの群れから人間社会への飛躍
    ※ 社会的階層
    これについては、当サイトの中心テーマでも有り、別に詳述します。

この経過は概ね現在の宇宙論、地球科学で承認されていることです。
これをザッと見るだけでも、人間が幾重もの科学分野の枠を超えた「結節点」を経て、今ここに存在していることが分かります。

上記4 迄は物理的運動・現象です。ここに化学反応は一切なく、勿論生物のひとかけらも存在していません。
5 で化学反応が現れます。6 以降が生物の誕生とその進化。8 で人間の誕生(このこと自体は生物学的な枠内)と、9 で社会の成立です。

現実が、幾つもの階層を経て、結節点を超えて進化しているとき、その理解には思考上の結節点も又超える必要が有ると云うことです。20世紀の物理学のように、人間の社会も又。

 

人間に見る「生物学的延長」と、人間だけの「社会的飛躍」

  • 人間は生物として、他の全ての生物と共通の土台、延長を持っています。
    代謝、細胞分裂、生殖、遺伝等など………。その点で正しく生物学的運動体です。
  • 同時に人間の、例えば代謝には化学反応が大きく作用しています。全ての酵素活動も同様です。つまりは化学的な運動体でも有ります。
  • 又人間の身体は電導体であり、熱の伝導体でも有り、物理的な法則も作用しています。物理学的運動体でも有ります。
  • 更に言えば、人間が動き、仕事をする時、力学の法則もそこに作用します。力学的な運動体でも有る訳です。
     
  • しかし同時に人間は社会を構成し、その中で社会的な活動をしている、社会的な運動体です。
    この社会は、他の動物の群れとは質的に異なります。動物の群れは生物学的な法則、つまりは遺伝子DNAに依存した、その種特有な言わば本能に従ってのものです。
    しかし人間の社会はそうでは有りません。
    だからこそ、同じ民族、時には肉親同士で有りながら、38度線と言う自然的には何の意味も無い人為的な直線を境に、北朝鮮と韓国で全く違う社会体制が存在すると言うことが有り得るのです。

 

低次の運動形態から、より高次の運動形態への飛躍

くどいようですが、これは次のように一般化することが出来ます。

力学的運動すなわち空間の中での物体の位置の変化は、最も低い運動形態です。
位置の変化と言うことは、例えば地球の表面に対して人間が動くと言うように、二つ以上の物体の相互関係としてのみ意味を持ちます。

二つの離れた物体が位置を変えた結果、衝突する場合があります。又二つの物体が部分的に接触しながら位置を変えると、摩擦がおこります。衝突と摩擦は熱を生じ、又ある条件のもとでは、音、光、電気、磁気を生じます。
つまり、力学的運動形態から物理的運動形態への移行が起こります。

力学的運動は力学の法則に従っています。だが電磁気学的現象は、もはや力学の法則では説明できません。運動形態が変わると、物質は新しい法則によって運動するようになるのです。
それ以前の運動形態で作用していた法則(今の場合には、力学の法則)が、相変わらず作用し続けますが、それだけでなく、その運動形態に固有の法則(今の場合、物理学の法則)が付け加わるのです。

さて、炭素と酸素を高温にすると、化合して炭酸ガスになるように、物理的運動(この場合、加熱)形態にある物質は、一定の条件のもとで化学的運動形態に移行します。
複雑な化合・分解の過程で高分子の化合物が作られてゆき、原初的地球の海の中で、淡白体が合成されました。蛋白体は、物質代謝という生物体に特有の機能を持つ高分子化合物であって、こうして極めて初歩的なものではあるが、最初の生物が生まれました。
すなわち、化学的運動形態から生物学的運動形態への移行がなされたのです。

地球上にひとたび生物が生まれると、それから後は進化論でよく知られているように、下等の種から高等の種への進化が次から次へとおこり、ついにはある種の類人猿から人間への進化が行われました。
これは同時に、サルの集団が人間の社会になったことを、すなわち生物学的運動形態から社会的運動形態への移行が行われたことを意味します。

社会的運動形態で運動している物質とは、人間に他なりません。
人間は生物であり、したがって生物特有の諸法則(物質代謝の法則、細胞分裂、生殖の法則、遺伝の法則など)に従っています。又人間の体内で行われている消 化などの過程では、化学の法則にも従っていますし、熱伝導や電気伝導の法則のような、物理学の諸法則も人間の身体内で作用しています。
更には、歩いたり腕でものを持ち上げたりする場合には、力学の法則も作用しています。
つまり、人間は社会的運動形態よりも低次の、あらゆる運動形態で作用している法則に従います。だがそれだけでなく、社会的運動形態に特有な諸法則、すなわち社会法則にしたがっているのです。

 

機械論への批判

このように、高次の運動形態では、それよりも低次の運動形態には現れなかった新しい法則の作用が現れます。
このことを理解しないで、高次の運動形態における物質の運動を、それよりも低次の運動形態における運動法則だけで説明できると考えるのは、間違いです。

かって18世紀、フランス唯物論哲学者の間で、人間の体の仕組みや行動を機械になぞらえて説明しようとした潮流が有りました。当時、科学と言えるものは力学だけだったのでその力学の応用範囲である機械で全てを理解しようとした訳です。
このように階層の違う高次の科学を、低次の科学法則で説明しようとする態度を機械論、或いは還元主義と呼びます。

 

創造論的立場と、社会ダーウィニズム的立場への、批判の足場として

人間は単に生物との連続・延長に限らず、宇宙の歴史に見られる全ての運動法則との連続・延長を持っています。
このことを理解することで、人間だけを他の動物から切り離して特別視する「創造論」などへの批判の足場を持つことが出来るでしょう。

同時に人間社会を、単に動物の群れの延長、人間と他の生物との違いは「程度問題」だとの、機械論的な見方から解放し、人間とその社会を生物学的な存在からの飛躍だと理解することが重要です。これによって、例えば人間社会に、生物学的法則である「淘汰の理論」を恣意的に適用して、「弱肉強食」「優勝劣敗」などを合理化しようとする、社会ダーウィニズムに対抗する足場を持てることになります。

なお、この辺の理解に、下記URL、特に後段を是非ご覧ください。一部そのまま引用しています。
http://y-ok.com/philosophy/philosophy-1/contents-5.html

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