老眼

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老眼 の常識・非常識

  • 遠視の人は早く老眼になる?
  • 近視の人は老眼になるのが遅い、または老眼にならない?
  • 老眼になると近視が治る?等など

    

 

いよいよお待ちかねの「老眼」です。
長生きをすれば誰でも必ず経験する「老眼」、それだけにまた誤解・非常識も多いですね。そしてそこにもやはり「調節力」との関係が絡んできます。

老眼と調節力

最初に「老眼」を定義すると.........、
加齢に伴う調節力の衰えで近点が遠くなる現象」と言うことですかね。
要するに、歳をとって、調節力が衰え、近くが見えにくくなった眼、 と言うことです。

年齢の違いによる調節力
年齢 調節力 近点
10歳 12D 8.3cm
20歳 8D 12.5cm
30歳 7D 14.3cm
40歳 4D 25cm
50歳 1D 100cm
60歳 0.5D 200cm


「年齢毎の調節力と近点」表を再掲して置きます。

40歳位から、急速に調節力が衰えて来るのが理解出来ます。
65歳位で殆ど調節力が0に近くなります。逆に言えば老眼の進行も65歳位で止まります。

 

50歳の人は1.00Dしか調節力が無く、フルに調節しても1メートル離れないとピントが合いません。本を読むときに1メートル離れてはページをめくるにも不便だし、仮にピントが合っていても字が小さくしか見えず読めません。
そこで老眼鏡(凸レンズ)を掛けてピントの合う距離を短くするのです。

老眼と近視、或いは遠視

上記の事情は、正視の人について述べたものです。近視や遠視の人の場合、又事情が違ってきます。そしてそれに絡んだ誤解や非常識が世上に流布されています。

例えば、冒頭で述べたことを繰り返すと.........、

  • 遠視の人は早く老眼になる。
  • 逆に、近視の人は老眼になるのが遅い、または老眼にならない。
  • 或いは老眼になると近視が治る。

等など。

現象面だけ見た時、これらは一面では当たっています。
しかしやはりこれは、誤解・非常識です。

  1. 遠視の人は.........、
    遠くを見るときにも常に所定の調節を必要とします。近くを見るときはそれにプラスして距離に応じた調節が必要になります。

    40歳の人は、+4.00Dの調節力を持っています。
    正視の人の場合、この調節力で25cmの距離まで近づけてピントを合わせることが出来ます。
    しかし、例えば+2.00Dの遠視を持っている人は、既に+2.00Dの調節力を遠方視のために使っていますから、残っているのは+2.00Dです。フルに調節しても50cmまでしか近づけられません。
    やはり遠視の人は、その度数分だけ早めに老眼鏡が必要となります。
  2. 近視の人の場合.........、
    もともと屈折の強すぎる眼です。いわばその分だけ、近くを見るときに調節を必要としない眼だといえます。
    -2.00Dの近視を持っている人は、それだけで50cmの距離にピントが合っています。そこに1.00Dの調節力を加えれば、合計3.00Dの屈折となって、33.3センチメートルの距離にピントを合わせることが出来ます(30cmと言う距離はいわゆる読書距離です)。

    つまり50歳になっても老眼鏡無しで本が読める、と言うことになります。
    その意味で、近視の人は老眼になるのが遅い、と言うのは間違い無いと言えるでしょう。

※ 繰り返しますが、近視、遠視の眼を表すとき、それを矯正(中和)するレンズの度で記述します。つまり眼そのものの屈折の状態とは逆になります。説明を書くほうも読む方もややこんがらがる場合が有ります。と言うことで、あえて+、-の符号を付けないで記述した箇所もあります。

その辺を斟酌しながらお読み下さい。

    

 

老眼は調節力の衰え、特に、近視・遠視との関係

老眼の本質は「調節力の衰え」

上記のように現象面から言えば、近視と遠視の違いで「老眼年齢」が大幅に違って来ます。-3.00Dの近視を持っている人は、一生老眼鏡は必要ないかも知れません。
しかし現象面はともかく、本来、老眼の本質は「調節力の衰え」です。その切り口で見直してみましょう。

確かに-3.00Dの近視の人は、一生メガネ無しで33.3cmの距離が見えるかも知れません。しかしその人は、メガネ(近視用のメガネ)無しでは遠くが見えません。
つまり、-3.00Dのレンズを必要とする近視の人がそのメガネを外すと言うことは、+3.00Dのレンズを装着すると同じことです。

近視の人が近くを見る為に、近視用のメガネを外すとき、その人は同じ度数の老眼鏡を掛けていると同じ訳ですね。
老眼鏡を掛けたままでは遠くがぼやけます。近視の人が近視のメガネを外したとき、同じく遠くがぼやけますが、全く同じことです。
逆に言えば、老眼鏡を掛ける、と言うことは「近視の眼」を作ることだ、とも言えます。 現象的には全く同じことです。

老眼鏡を付けることには結構抵抗感が有ります。特に若いうちから老眼鏡を掛けると老眼の度が進む、等と言われます。
しかし、近視の人がデスクワーク等する時に、若い人でも往々にしてメガネを外したままですることが多々有ります。
...同じことなんですけどね。

老眼の再定義(本来の定義)

調節力と言うことに着目して、「老眼で無い眼」を再度定義し直して見ましょう。
遠くにピントが合う状態で、そのまま近くも見える眼」と言うことになります。
その意味で、近視の人が近視のメガネを外して、近くが明視出来たとしても「老眼で無い眼」とは言えなくなります。
何故なら、近視のメガネを外した状態では遠くが見えない眼なのですから......。

繰り返します。
近視の人が近くを見る為に近視用のメガネを外すとき、その人は同じ度数の老眼鏡を掛けていると同じ、なのです。

さらに言えば、「調節力は、毛様体筋の衰えと、水晶体の弾力性の衰え」です。
水晶体の弾力性は別として、筋肉は使わないとアッという間に衰えます。
片足にギブスをしたまま1ヶ月も入院していると、その足は反対の足に比べ筋肉が減ってハッキリ細くなっているそうです。
又、その辺の事情が分からなかった初期の有人人工衛星では、わずか1週間位の無重力宇宙滞在で足の筋肉が失われ、地球に帰還したとき自力で歩くことさえ出来なくなっていました。
今は宇宙滞在の際、必ず運動によって筋肉の衰えを防いでいます。

近視の人の方が、老眼の傾向が強い?

遠視の眼は遠くを見る時でも、常に過酷な調節、つまり毛様体筋に負荷を掛けている眼です。
その為、肩こりや首のこり、頭痛などの眼精疲労がつきものなのですが、その分無意識に筋肉を鍛えている、とも言えます。

近視は、逆に調節からは開放されている眼です。
近くを見るとき、本来は調節をして見るのが基本なのですが、すぐ近視のメガネを外して(老眼鏡を掛けて)見てしまいます。
つまり、筋肉に負荷を掛けると言うことが少ないのです。

ですから、「調節力の衰え=老眼」だとすれば、遠視に比べ近視の人の方がより老眼の傾向が有る、と言えます。
実際、調節力は近視の人より遠視の人の方が強いと言うデータが出ています。

近視の人は一度、遠くが良く見える、きちんと度数の合った近視用のメガネを掛けた状態で、そのまま近くを見てください。
自分の老眼度合いが分かるでしょう。

老眼鏡

老眼鏡は調節力の衰えを補う為のもので、屈折力の不足を補う遠視のメガネとは本来メカニズムは違うのですが、実際は遠視と同じく、収束レンズ(凸レンズ)を使います。その点で老眼鏡、遠視のメガネは同じです。

では全く同じかと言えば少し違う点が有ります。
老眼鏡は近くを見る為のメガネです。その距離にピントが合うようにレンズの度数を調整しますが、同時にその距離に視線が向くことを考慮し、レンズの中心を少しばかり内側に、そして下側に配置します。
レンズの向きもそうなるよう、メガネフレームも調整することがベストでしょうね。

40歳台になり、それまで感じなかった肩こり、頭痛、眼の疲れやショボショボ感。そして何より、読書が億劫になり長続きしない、等の症状が出て来たら迷わず老眼を疑ってください。
そしてあまり見栄を張らず老眼鏡を掛けてみて下さい。

パソコン用メガネ、その他

デスクトップを見ていて、眼が疲れると言う場合も同じです。
ただ読書の場合より少し距離が遠いのが普通です。その距離に合わせ少し度数の弱い、その分レンズ中心の内寄せも弱くしたメガネが良いでしょう。

パソコンに限らず、囲碁・将棋、盆栽、或いは広い図表を広げて近くから或る程度遠くまで見る、など、さまざまな視距離に応じた老眼鏡、或いは遠近両用メガネなど、使用目的に応じて考慮した方が良いですね。
今はデスク業務用に、或いは上記盆栽や囲碁将棋、パソコンなどの使用に特化した、「中近両用レンズ」と言ったものも有りますので、視生活の状況に応じ、何本かのメガネを使い分けることも出来るようになっています。

 

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