視力
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視力、見えることの常識・非常識
「見える」と言うことは、実は、非常に複雑なシステムです。
眼の光学的なシステム、脳での処理を含めたより複雑な「視機能」としてのシステム、およびその時そのときの心理的な状況を含めた、より高度で、かつ人間的なシステム。
しかしあまり問題を広げず、深めず、「目玉」の周辺に問題を限って、少し考えて見ましょう。
視力
視力の定義
最初に「視力」の定義をしておきましょう。
視力(Visus)は、物体の存在や、形状を認識する眼の能力である。
視力の単位は、第11回国際眼科学会(1909年)による協定で、
「直径7.5mm、大きさと切れ目の幅が、おのおの、1.5mmのランドルト環の切れ目の所在を、5mの距離から見分けることが出来て、それより遠距離では見分けることが出来ないか、又は5mの距離からは、それより小さい指標を見分けることが出来ないような視力を、1.0とし、端数は少数で表す。
となっています。
実際の視力は、明るさなどによっても大きく差が出ます。
ランドルト環
- 直径7.5mm
- 太さ1.5mm
- 切れ目の幅1.5mm
この切れ目を5メートルの距離で識別できれば視力1.0 。
10メートルの距離でも識別できれば、視力2.0。
反対に2.5メートルに近づかないと識別できない場合、視力は0.5としますが、いちいち距離を変えて測定するのも大変なので、指標のサイズを変えて一覧表にし測定します。
0.0066mmの超能力
私の視力は1.2くらいですが、弱視などが無い限り、近視であれ遠視であれ誰でもメガネで矯正すれば、必ず視力1.0は出るそうです。
ところで.........、
視力1.0とは、上記「視力」の定義によると、「1.5ミリメートル幅の切れ目を、5メートル離れて識別できる」能力です。 5メートル離れた位置の1.5mmって、網膜上ではいったいどのくらいのサイズで写っているのでしょうか。
計算すると、0.0066mmつまり6.6ミクロンになります。100分の1mmにも満たないんですね。
しかもアフリカやモンゴルでは4.0とかの視力を持った人もいるそうですね。信じられない気もしますが。
人間の能力って凄い!!と、つくづく感じる次第です。
中心視力と中心外(周辺)視力
我々は日常的に、視野の範囲全体で視力の格差を意識することはあまり有りません。大体一様に、同じような状況で見えていると思っています。しかし、ご存知の方も多いと思いますが、これはとんでもない「非常識」です。
上記の「視力」は「中心視力」です。その中心視力は黄班部中心窩とよばれる、網膜上の極めて限られた範囲でしか得られません。それを下図で示します。
下図の緑線が網膜上の視力曲線です。赤丸で示した中心部(黄班部中心窩)に視力のピークが有りますが、中心からホンのわずか外れただけで視力は急激に低下します。
普段それをあまり意識せずにすんでいるのは、見ようとするところに瞬時に、無意識に視線を向けて、見ようとする対象に黄班部中心窩をあわせているからです。
錐体と桿体の散布状況
網膜視細胞には、「錐状体(錐体)」と「桿状体(桿体)」の二種類が有ります。
桿体は、感度は非常に良いのですが、色を識別できず明暗だけを感じます。錐体は、色覚と動きを感じます。
桿体と錐体は、網膜上に一様に分布している訳ではなく、領域によって分布が偏在しています。
※下図、上は網膜上における、錐体と桿体の散布状況(赤=錐体,青=桿体)と、下図、下はそれによる視力の偏りを表したものです。
黄班部中心窩から、やや鼻側方向15度、下方3度の位置に、直径5度の大きさで円形の、視野欠損があります。いわゆる盲点(マリオット盲点)と言われ、 視神経、血管などが眼の外に抜ける、視神経乳頭の部分に当たります。ここは網膜上の「穴」で、視神経が無い領域です(下図「マリオット盲点」参照)。
※中心視力と周辺視力を確認して見ましょう。
日本国憲法の前文です。(ただし一切の句読点を削除しています)。
ほぼ真ん中の「平和」の文字を注視して下さい。 「平和」を含め、どの程度の範囲が識別できるでしょうか。
上の行の「一切」や、下行の「深く」位は読めるでしょうが、視線を動かさない限り、おそらく読み取れる範囲は『平和』を中心として、10円玉の大きさ程度の範囲ではないでしょうか。
「良い視力」が発揮されるのは、本当にごく限られた範囲に過ぎません。
逆に視野の隅々まで鮮明に見えたら、新幹線や自動車に乗って景色を見ているときに、目を回すかも知れませんね。
ただ、視力が良くない周辺部にしても、動くものについては敏感です。視界の縁をかすめて動くものについては注意を喚起され、必要に応じて視線を向け、良い視力で見ようとします。
つまり、変化には対応できるようになっています。
暗所視時の中心窩視力
上記のように中心窩には錐体が集中しており、網膜の解像度は最も高い。しかし杆体は中心窩には存在せず、その周辺にリング状に偏在しています。
次のページで詳しく述べますが、錐体は光が弱いと機能しないため、暗い所では中心窩での視覚に欠けることになります。
従って弱い光をハッキリ見ようとしたら、視線を対象に直接向けるのでなく僅かにずらし、リング状に偏在している杆体に合わせると良く見えることがあるそうです。
盲点
黄班部中心窩から、やや鼻側方向15度、下方3度の位置に、直径5度の大きさで円形の、視野欠損があります。いわゆる盲点(マリオット盲点)と言われ、 視神経、血管などが眼の外に抜ける、視神経乳頭の部分に当たります。ここは網膜上の「穴」で、視神経が無い領域です(下記参照)。
マリオット盲点
視神経乳頭の部分は、神経束が眼球の外に出る穴で、この部分は視神経が無く、視力が欠損しています。 この部分を「マリオット盲点」と言います。
左目を閉じて、右目で左側の青マルを注視してください。
そのまま50cmくらいの距離から、徐々に近づいてゆくと、ある距離(モニタの表示解像度による図の大きさで、距離が変わってきますが、30cm前後)のところで、右側の黄色の星が消えます。つまり盲点に入った訳です。
普段、盲点を感じない理由
普段は、視野内に、欠損領域があることを全く意識しません。その理由は次の通りです。
-
両眼視
人間は左右の両眼で見ているので、片方の眼の盲点は、もう片方の眼で補われる。 - 盲点の部分は光を受け取っていないので、本来は欠損部分として黒く抜け落ちる筈なのだが、その回りの情報を元に脳が勝手に補ってくれる。
-
網膜固定点
網膜上で、全く動かない像は、実は見えないと言うことが有ります。我々はものを凝視しているつもりでも、つねに微振動していて、それで見えている訳です。
網膜上の血管などは、網膜上で固定しているので、我々には見えていないのです。盲点も又網膜上の固定点であるため、視野において意識しないのです。
※ 進化の過程で生じた不合理
上記したように盲点は視神経が眼球の外に出る穴の部分です。像が写る網膜の表面側に神経細胞が走っている訳です。考えてみると不思議と言うか不合理な構造です。
網膜細胞の裏側に神経が繋がっていれば、網膜の表面はきれいなスクリーンの状態でいられる訳だし、改めて神経の束が外に出る穴など必要としません。したがって盲点も無くて済んだ訳です。
デジタルカメラで言えば、結像センサーの、像が結ぶ側に電線が張り巡らされているような状態です。
生物の進化と言うのは、その時有り合わせのものを転用しながら、新しい機能を付け加える場合が往々にして有ります。つまり場当たり的なんですね。
この視神経もそう言う過程で出来た、言わば場当たり的構造であると言えます。
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