駄文シリーズ
泊ると晒す、妾と姿
中学の時、国語の先生から、「泊と晒は、昔の国語の学者が間違えたんだ」と聞かされたことが有る。
どう言うことかと言うと、泊は、水に白だから、本来「晒す」の意味だし、晒は、日が西に、と言う字づらだから、本来「泊まる」の意味になるべきで、そこを双方入れ違ってしまったと言う訳。
先生の話の、一つひとつは殆ど覚えていない中、この話だけは大人になってもずーっと覚えていたし、実際そう信じていて、回りにも何かの機会に「智的な受け狙い」として披露して来た。
しかしある時、相手の人から「その『都市伝説』は間違いで、入れ違った訳でも何でも無い」と言われて、実際ネットなどで調べなおしてみた。やはりこの「泊る」と「晒す」は間違っている訳ではなく、これでいいらしい。
元々は漢字のふるさと、中国からこの二つの文字も伝わった訳だが、その時にはもっと難しい字だったのが、日本で言わば略字となったものだ。と言った事情がそこに有るらしい。
なるほど、「昔の国語の学者が間違えた」と言う、気を引く話じゃ無く言わば偶然の話になってしまったが、それでも中々面白い関係ではある。
ネットで調べている内、「妾」と「姿」も同じような関係だって事が分かった。
「姿」は次の女と書くから、めかけにぴったりだし、「妾」は立っている女だから、こちらの方がすがたに相応しいって訳だ。
他にないのかな。
母乳のメリット
子供に取って
- 栄養のバランス
- 免疫の継承
- 母親とのスキンシップ
等など
母親に取って
- 携帯に便利
父親に取って
- 容器が魅力的
「智的な受け狙い」から始まった今回の閑話休題も「乳的」な話で終わってしまった。
泊と晒の話は既に「知的」な話だし、おまえの話は「痴的」過ぎるって?、スンマセン、「恥的」でした。
「血的」になる前に退散したほうが無難なようだ。「遅的」にならないうちに。
歳をとると何故1年が短く感じられるのか
何故歳を取ると共に一年が短く感じられるのか?
それはね………、
3歳の子どもにとっての一年は、自分の人生の1/3だし、10歳の子どもにとっての一年は人生の1/10なのに対し、60歳のジジイにとっての一年は、人生の1/60に過ぎない。
故、キンさん・ギンさんにとっての一年は、人生の1/100にも満たないホンの瞬間的なものだから、って………、????
まあしかし何だ、「時間」は「空間」と並んで、現代物理学でも最大の難問の一つらしい。ビッグバンの前は、時間も空間もなかったと言うのだが……、これを理解するのが難しい。
「永遠の過去」をイメージするのも難しかったのだが、「時間が無い」と言う現象をイメージするのは、その何倍も難しい。
ん、いや「時間が無い、と言う現象」そのものが無い訳で。
若しかしたら「時間」は、一人ひとり、その時そのときで、進み方がみんな違うのかも知れない。
Sexで、気持ちが良いのはオトコか、オンナか?
当然オンナである。
耳の穴を掘ってもらうとき、気持ちが良いのは耳掻き棒ではなく、耳の方だから。
………って、言葉に触れたとき、これは「真理」だと思った。
ところが………、
これには、女性からの反論がありました。
「お風呂に入っているとき、気持ちの良いのは入っている人であって、風呂桶では無い!!」
成る程。
枝豆の上手な食べ方
枝豆のおいしい食べ方"ではなく、「上手な食べ方」
一皿の枝豆を何人かで一緒につまむ場合を考えます。
食べるときに、先ず一粒だけ口の中に入れ、残りは鞘のまま横に置きます。
そうやって取り分けて行き、皿の中の枝豆がすっかり無くなってから、自分だけ、残しておいた豆をやおら食べる、と言う寸法です。
他人が食べられないとき、自分だけ食べると言うのはなんとも言えず幸せなもんです。
ただ豆は「上手に」食べられても、友達は間違いなく減って行きます。
枝豆の為なら、友達の一人や二人………、と言う人向きです。
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