学校の怪談ー「K高校七不思議」

K高校

私は青春の一時期、つまり高校生の頃、新潟県の一小都市に有るK高校の寮で過ごしました。K高校は全県を学区としていたので、遠い所からの生徒を対象にそんな風に寮が有ったのです。尤もK高校は元々は全寮制でした。そして一時期4年制を敷いた時も有ったようです。
その辺のことは、これからの話の展開に関係するのですが、ともかく私が在校していた頃は既に全寮制は廃止されていて、遠隔地の生徒だけが寮に入っていました。

その寮で語り継がれてきた恐ろしい話、「K高校七不思議」の一端をご紹介します。

七不思議」に入る前に、肩慣らしと言うか、少しばかり寮生活の雰囲気を味わって頂き、心の準備をして貰う必要が有りそうです。

試験中の出来事「戸板」

高校ですから少しは勉強もします。そして中間、期末の試験が有ります
寮は普段消灯時間が10時なのですが、試験期間中だけは1週間前から終夜延灯となります。

そしてその時、様々な良からぬ仕業がうごめき始めます。

先ず最初にやるのは、試験の準備が終わって早く寝た者の顔にイタズラ書きをすることです。それも、マジックインクでは強く洗うと落ちるからと言うことで、赤チンで書いたりします。

そーっとパンツを脱がせてイタズラする、というようなこともします。
途中で気が付かれたら?、押さえつけて続行します。

そう言ういたずらの中で、やはり極めつけは「戸板」でしょう。
と言ってもそれだけでは当然、なんのことか分かりませんよね。

夜の終礼(点呼)が終わった後、布団を敷きます(こういう作業は全て1年生がやります)。
その敷布団の下に、本人がいない時を見計らって押入れの戸を敷いて置くのです。その部屋の押入れの戸を使うと感ずかれるので、他の部屋のものを使います。

そして、ではその後どうするのか。
そうです、皆さんご想像の通り、本人が寝た後布団ごと運び出すのです。

ではどこに運ぶのか。
例えば便所、或いは女子寮の廊下。これも起きた時は驚きますよね。でも、これはどっちにしても寮の中です

それに比べ...、
なんと言っても恐ろしいのは、この布団を体育館の真ん中等に運ばれた時です。
当時の寮でパジャマ等着ているものはいません。パンツと下着シャツ位です。起きてそんな格好で体育館の真ん中で寝ていた自分に気が付いた時、皆さん、どうしますか。

実は私も、すんでの事で運ばれそうになりました。
寝ようと思って布団にもぐりこんだ時、なんと無く感じるものが有り、布団の下に手を入れて見ると、有ったんですよ、戸板が。
実はその少し前に隣の部屋に用事が有り、その時その部屋の押入れの戸が無いのに気が付いていたのです。
その時は特におかしいな、と言う問題意識も無かったんですが、布団に入ってからピンと来たのです。
あの時は危なかった。

 

K高校七不思議

「七不思議」ですから話も7つ(以上)有りますが、全部は紹介しきれません。又現地を知らない人にとって、聞かされても興味の無い話も有ります。そう言う話は割愛して.........、

奥から二番目

寮生の一人が賄いのおねえさんと、いわゆる出来てしまいました。で、女性が妊娠してしまったんですね。それまでは夢中だった男も、途端に冷たくなってしまいました。(よく聞く話の展開です)
女性は途方に暮れたのですが、誰に相談することも出来ず(当時は今と違い、そう言うことに対する世間の目が、格段にきつかった)、段々お腹が大きくなるにつれ、回りからは好奇の目で見られるし、半狂乱になった親からは激しく詰問されるし、

で、とうとう臨月になったある日、女性は寮のトイレの奥から二番目の「個室」で赤ん坊を産み落とし、自分はそこで首を吊ってしまいました(当時は当然ポットントイレでした)。

さて、それから......、

奥から二番目のトイレの扉が、いつも半開きになっているんですね。閉めた、と思っても、ふと後を見ると自然に開いている。
又そのトイレで用を足そうとしてしゃがむと、下から赤ん坊の手がニューっと出て、その...、なににしがみつくんですね。
そして苦しそうに「出してくれー」と叫ぶんですよ。赤ん坊が喋る筈は無いんですが、そう聞こえるらしいんですね。

皆さん、特に女性の皆さん、奥から二番目のトイレでしゃがむ時は気を付けましょう。
すっかり癖になり、やみつきになった女性を何人か知っています。

K高校は、昔火災に見舞われました。夜のことでも有り、校舎の半分くらいが焼失してしまいました。全寮制の頃、実際に有った出来ごとです。
寮は廊下で校舎と繋がっていたのですが、結構長い廊下で、廊下の突き当たり、つまり校舎に繋がるところに60センチ×1メートル位の鏡が掛かっていました。
廊下の片側には寮の食堂や厨房が有り、その一隅に当時、賄いのオバサン(と言うより、老婆)が一人、住み込みで暮らしていました。朝食のご飯の火を入れる、等の仕事が有ったんでしょうね。

火は、その厨房から出たらしく、寮本体は火災を免れましたが、廊下を含めたそれら食堂や厨房は燃えてしまいました。

老婆が火災に気が付いたのは、大分火が回ってからのようです。
廊下の突き当たり、鏡の前で煙と炎に包まれました。髪に、着物に火がつき、老婆は鏡にへばり付くように息絶えました。
老婆の身体が盾となったのか、奇跡的に鏡は残ったので再建後の廊下の突き当たりにそのまま掛けて置く事にしました。

さて、それから......、

夜、何かの用でその廊下を歩いていると、真っ暗い中、ずーと向こうの突き当たりに、なんか赤いものがチラチラしている。
訝しがりながら、さらに歩いて行くと、どうもそれは鏡の中かららしい。気持ちは悪いが、怖いもの見たさにさらに近づくと......、

鏡の中は真っ赤な火の海。
それを背にこちらに向かって物凄い形相でしがみついている老婆の姿。鏡はその時の様子を写し取っていたのです。
髪に火がつく、着物にも...。そのうちに皮膚が焼けて来る、「助けてくれー」、いくら叫んでもどうすることも出来ない。生きながら焼かれて、しがみついている姿、それが全て鏡の中に残っていたのです。

......と言うことで、この「鏡の前」も、後から話をする「肝試し」ツアーの人気スポットの一つでは有りました。

所で、最初に書いたようにこれは本当の話です。
その証拠に、ここまで「身を入れて」読んできた貴方、特に女性の貴女、貴女にはこの老婆の怨念が乗り移っています。
今日以降、貴女が鏡を覗く度、必ずこの話を思い浮かべます。そうすると鏡の奥にチラチラと赤いものが.........。
特に夜のトイレの後、洗面所で手を洗い、ふと目の前の鏡を見ると、自分の顔にオーバーラップして、あの老婆の顔が.........。

k高校七不思議-2 

※ K高校のロケーション

話を続ける前に、K高校のロケーションについて簡単に説明しておく必要が有ります。
K高校の裏に里山があります。山に一番近い所に、第三校舎と言う、当時最も古い棟が建っていました。

※ 写真をクリックすると少し拡大表示されます。

K高校ロケーション.png

実はこの第三校舎というのは、かって寮として使われていた建物です。
K高校は昔全寮制だったのでその建物を全寮制が廃止された時、教室に転用した訳です。ですから教室の後ろの方に、寮の時代の名残とも云える押入れの痕が有ったりしたものです。

この第三校舎から、10メートルも行くと山に続く石垣にぶつかります。
石垣を登るとちょっとした平場があり、当時そこに 蒲原鉄道(仮称)と言う、今は廃線になった私鉄の単線が走っていました。
線路に出て左を見ると、そこにトンネルが見えます。 我々は「蒲鉄(かんてつ)のトンネル」と呼んでいました。
それほど長いものでは有りません。7、80メートル位でしょうか。ゆるいカーブになっているので、向こうが見通せると言うことでは有りませんが、両方からの光で、昼なら中が真っ暗と言うほどのことも有りません。

線路を右に30メートルも行くと、線路から少し下がったところに、松の木に囲まれて小さな塚みたいなものがあります。「朝鮮人の墓場」と呼ばれていました。

蒲原鉄道のトンネル

このトンネルが作られたのは、太平洋戦争の末期とのことです。
短いトンネルですが、地盤の関係で掘るのに大変苦労したと言うことです。戦争末期の、国策上の理由も有ったのでしょう、このトンネルの早期開通が厳しく要請され、この工事に朝鮮人の囚人達が人夫として投入されました。
囚人とは言いますが、当時は植民地の朝鮮から強制的に連れてこられ、女は慰安婦、男は兵隊や労働力として、鉱山や工場で強制的に使役させられていました。
それに抗議をしたり、ケツを割ったりした(逃げ出した)人はみな「囚人」とされた訳ですね。

このトンネル工事は凄惨を極めたそうです。
殆ど食料も無く、又相次ぐ落石などで犠牲者が続出しました。仲間を助けようとすると、日本人の現場監督が銃剣で脅し工事を続行させたそうです。囚人たちは泣く泣く、仲間の身体を踏みながらも掘り進みました。
工事が終了した時には、囚人の大半がこの世の人では無くなっていました。

幾多の犠牲を出しながら、ともあれトンネルは完成しました。
そして......、

めでたく列車が通った訳ですが......、
不思議なことが起こるようになりました。

夜、最終列車がトンネルに入ると、なんとなく車輪が滑るような感じで、自然にトンネルの真ん中で止まっちゃうんですね。
「あ れ、おかしいな」と言うことで乗客は騒ぐ、運転手も首をかしげる。運転手が外に出て線路に手をやると、なんとなく「ヌルッ!」とする。そのうち「ポタッ」 と首筋に冷たいものが落ちる。思わず手をやると、それも「ヌルッ!」。手を機関車の電灯にかざして見ると、赤黒い血。

ギョッっとした運転手の耳に、そして乗客の耳に、線路の下から「助けてくれ?」の絞るようなうめき声。
最初は小さな声だったのが、次第に大きくなり、そのうちトンネル中に響く何十人の「助けてくれ?」「石をどかしてくれ?」「掘り出してくれ?」の声、声、声。

こんなことが毎日続き、当然乗客も居なくなり、運転手も乗るのを嫌がるようになりました。
蒲原鉄道の会社も「これは囚人たちの霊を慰めるしかない」、と言うことになり、掘り起こしたり、拾い集めた遺体や骨をまとめて、線路の脇に作った墓場に入れてお祓いをしました。
これ以降、そう言ったトラブルは無くなったそうです。

これが「朝鮮人の墓場」です。

朝鮮人の墓場-1

K高校が全寮制だった頃の話です。
今は教室として使われている第三校舎が、寮として使われていた時のことです。

大勢の寮生の中には変わった人もいます。
4年生の中に一人、痩せて青白く、殆ど他人付き合いもしない男がいました。
最初は誰も特に気にしていなかったのですが、そのうち、どうもこの男が夜中になると、部屋から居なくなることに気づき始めました。最初はトイレか何かだろう、と思っていたのだが、決まって同じ時間だし、トイレにしては居なくなる時間も長すぎるし.........。

本人に聞けば簡単じゃ無いか、ってことかも知れないが、こういうことは何と無く聞きにくい。特に上級生には。
そこでいつか寮生の間で「あいつ、いったい何処へ、何しに行くか」突き止めてやろう、と言うことになって、柔道部や剣道部の猛者達が、日にちを決めて各部屋で待機していました。
夜もふけて行き、いつもの時間になると、案の定、例の男は掛け布団を上げ、一瞬部屋の雰囲気を伺ってから、音もなく起き上がり、部屋に掛かっていた柔道着の帯を3本ほどつかむと、そのまま部屋を出てゆきました。
廊下に出た男は、(部屋が2階だった為)廊下の窓柱にその帯をくくり付け、3本繋いで外にたらすと、慣れたしぐさでその帯に伝って下に降りたのです。

眠ったふりをして見張っていた同部屋からの伝令で、待機していた男達は「それっ!!」とばかり、その男の後を気づかれないように追いかけました。
例の男は帯を伝って地面に降りると、真っ暗闇の中、山に続く石垣を登り蒲鉄の線路に出ました。一瞬、左右を見て、そのまま迷う様子もなく、線路上を右側に歩いて行くのです。

そして.........、
男は朝鮮人の墓場に降りて行き、又一度周りを見渡すのです。
でも、自分を追ってくる者がいた、など思ってもいないその男は、そのまま墓石を動かし、なんと中から骨を取り出しては、ボリボリかじり出したのです。

昔、人間の骨は結核に効く、と言われたことが有りました。その男は実は結核だったのです。

朝鮮人の墓場-2

真っ暗な中、骨のリンが光るのでしょう。心なし男の口の周りだけ、ボウっと青白く見えます。
聞こえるのは、骨をかじる「ボリボリ」と言う音だけ。
追いかけて来た男達はその光景を見て、もうガタガタ震えだし、思わず「ウッ」と言うような声を出してしまいました。

途端.........、
男は、こちらに顔を向けたかと思うと、「みーたーなー!!」

「うわー!!」とばかり、追いかけてきた男達は、暗闇の中、転げまわりながらもと来た線路上をかけ戻り、石垣を駆け下り、飛び降り、在る者は帯を伝って、在る者は階段を登って、兎も角も自分の部屋に戻り、布団を被って息を凝らしていました。

程なく.........、
コツ、コツと、ゆっくりした足音が廊下から、次第に大きく聞こえてきて部屋の前で止まると、入り口の戸を開けて中に入り、一人一人、寝ている鼻の先に手をかざし、その寝息を測るのでした。
そして、寝息が乱れている者が居ると、「 みーたーなー!!」と耳元にささやきながら、その首を絞めてゆきました。

翌朝、惨劇とともに、その男も寮から姿を消したことがわかり、探す、と言う程のこともなく、朝鮮人の墓場で松の木から、柔道着の帯でぶら下がっているその男が見つかりました。

 

肝試し

その1

最初に書いたように、K高校はかって全寮制でした。
私がこのK高校に入学した時は、既に全寮制では有りませんでしたが、私は家が遠かったので寮に入りました。
寮の新入生は大体20人位です。当時の寮は旧軍隊の内務班みたいなもので、もう新入生は虫けら扱いでした。

入寮して半月位した新月の夜中、何の前触れも無く新入生は叩き起こされます、
そして一部屋に集められますが、そこには真っ暗な中、2年生の全員と、話の上手い3年生がいます。その3年生から、ここに紹介した幾つかの話を含め、「K高校七不思議」を全て語り聞かされます。
その後、一人一人順番にその現場のツアーをさせられる訳です。これを「肝試し」と呼び、新入寮生が必ず受ける洗礼でした。

勿論私は三年生の時、その「七不思議」の語り部でした。

 

そのツアーは、一年生のとき、 当然私も体験しました。
私は当時から、幽霊とかお化けとかは信じていませんでしたが、それでもやはり気持ちのいいものでは有りませんでしたね。
「鏡」の廊下を通り、「第三校舎」に行き、階段を降りて石垣を登り「蒲鉄の線路」に登る。
最初に「トンネル」をくぐり、引き返して「朝鮮人の墓場」に参って帰る。

通常こう云った肝試しには、脅かす役回りの人間がいたり、実際に回ったかどうか、確かめる為の見張りがいたりするものですが、こう云った者は全く居ません。真っ暗な中、兎も角自分一人。
一番目のツーリストが、目印になる物を所定の場所、例えば墓石の上に置いてくる。次のツーリストがそれを持ち帰る。それだけ。

やはり最大のビューポイントは、「蒲鉄の線路、トンネル」「朝鮮人の墓場」です。
石垣を登り、真っ暗な線路に出る。線路を歩いてトンネルや墓場に行く訳ですが、敷石の上を歩く自分の足音だけが,真っ暗い中、ザッ、ザッっと異様に大きく響くのです。

その音を聞きつけて、眠っていたナニモノかが目を覚ましはしないか、そしてうごめき出したそのナニモノかが、真っ暗いなか、自分の足の下で真っ赤な口で舌なめずりをしていないか、そして次の瞬間.........、
お化けを信じていない私にしても思わずそんなことを考えてしまうのです。

音が出ないように、枕木を選んで歩こうとするのですが、暗いし、歩幅と会わず簡単ではない。

その2

私が三年生の時、語り部となって、何人かの一年生に肝試しをしたことが有ります。
一人が「観光地」を一巡するには2、30分掛かるので、一晩に出来る肝試しはそんなに大勢単位では出来ないのです。
一通り七不思議を語り、さてツアーを開始しようとしたのですが.........、

そのうちの一人が「ダメです、ダメです、ボク、行けません」と言うんですね。 これには驚きました。
前に書いたように、どんなことにも一年生は絶対服従です。 だからこんなことで上級生の命令を聞かない、なんてことは想定もしていなかったのです。
なだめたりすかしたり、怒鳴ったりと、色々やりましたがとうとうダメでした。

この男、2年生になって、いざ自分が1年生に肝試しをさせる際、どう言うことになるんでしょうね。その時私は卒業していて、顛末を知ることは出来ませんでしたが。

遠い昔の思い出です。 

※ なお、この七不思議はフィクションです。

母校の寮で殺人事件が有ったなどと言うことは無いし、蒲原鉄道のトンネルが朝鮮人の囚人によって掘られた等と言うことも有りません。

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