覚書- 01 討論にとっての「カテゴリー」とは

2005年前後の投稿

■ カテゴリー

カテゴリーとは、諸科学における基本的・一般的概念、用語と言います。
質量、力、慣性などは力学のカテゴリー、価値、貨幣、資本などは経済学のカテゴリーです。 もともとは範疇と言う訳語が有ります。つまり同じ属性を有する諸事物が属する一般概念を指していました。
カテゴリーを正しく、(ある程度)厳密に理解していないと、その科学を正しく理解できません。
又、カテゴリーについての共通の認識がないと、同じ土俵でその科学についての討論が成り立ちません。

勿論立場によって、そのカテゴリーの扱いは違ってきます。
例えばマルクス経済学では、労働者が資本家に売っているものは「労働力」ですが、「労働」を売っているんだ、と言う立場も有ります。
生物進化の主要因を「自然淘汰」に求める立場も有れば、ウイルスや、物質の自己組織化に求める立場も有ります。

科学の違いによっても、カテゴリーの意味合いは違ってきます。
日常的に言う「物質」は、石であり、テレビでありリンゴでしょう。
物理学での「物質」は、原子であり、クウォークであり、プランク紐であったりするでしょう。
哲学、それも弁証法的唯物論で言う「物質」は、「人間に、その感覚に於いて与えられており、われわれの感覚から独立して存在しながら、われわれの感覚によって模写され投影される、客観的な存在」です。

相手を批判し、新しい学説を立てることは勿論自由ですが、その場合、最低限そのカテゴリーを理解し、相手の説を(ある程度)理解していることが必要だと思います。
その上で、相手の説のどこがどう間違っているか、と言うことを言ってもらわないと、共通の議論にならないのです。

マルクスもエンゲルスも、非常な天才だと思いますが、彼らが活躍した時代は100年以上前です。彼らの著作から引用することも当然ありますが、大切なことは「若しマルクスが、エンゲルスが今の日本に生きていたら、どう考えるだろうか」と言うスタンスだと思います。

■ 討論の前提としての、共通のカテゴリー

例えば私とKさんで「恋愛論」を闘わせるとしましょう。
恋愛論が、「科学」であるかどうかは今問題にしないとして、恋愛論が成り立つ為には最低限幾つかの「用語」が必要です。

「恋」「愛」「男」「女」「好き」「独占感情」「性」等など。
これらの用語は恋愛論が成り立つ為にどうしても必要な概念であり、これ抜きで恋愛論を考えることは出来ないし、討論も出来ません(若しできる、と言うならやって見て下さい)。
つまり上記の用語は、恋愛論にとっての基本的なカテゴリーだと言えます。

さて、恋愛についての考え方は人によって異なります。
西村眞吾と言う民主党の国会議員(選良)のように「男は法律さえなければ、みんな強姦する」と言うような女性観、恋愛観を持っている人もいます。
男女の立場の平等を尊重し、お互いのセクシュアリティを大事にしてゆこう、と考える人もいます。
西村某は論外としても、違う意見があることは尊重すべきだし、お互いに討論してそのギャップを埋めたり、違いを認め合ったり、意見の違いを保留したり出来ます。

しかし、お互いに討論できる為には、その前提として少なくとも「カテゴリー」についての共通の認識が必要です。
同じ「恋」と言う用語を使っていても、片方では「主に男女間の思慕の情、相手を独占したいと思う継続した感情」と言う意味合いで使っている人と、全く別の意味合いで使っている人とでは、話が噛み合いません。
討論しても意味が有りません。

特に、科学(社会科学も含め)の分野で、実りのある討論をしたいならなおさらのことであり、各科学分野で、その科学のカテゴリーは厳密に定義されているのが普通です


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