覚書- 03-2 弁証法についてのスケッチ-2
■ 弁証法と唯物論 ― その1、「発展」
観念論的体系の中に、弁証法が窒息死してしまう例を前ページで、ヘーゲルに見てきました。つまり観念論的立場に立つ時、あのヘーゲルでさえ、自分の弁証法を素直に展開することがが出来なくなってしまったのです。
同時に弁証法が欠如したとき、唯物論さえ貫けなくなります。次にここで弁証法の二つの側面、「発展」と「連関」の両面からこのことを見てゆきましょう。
発展的見地の欠如
始めに「発展」の見地を欠如したときの例を、本講座を引用しながら見て見ます(以下、参照のこと)。
本講座「弁証法的唯物論とはどんな哲学か」参照
フランス革命を思想的に準備した18世紀のフランスの唯物論哲学者たちは、自然を徹底的に唯物論的に理解し、霊魂の不滅や神の存在を否定しましたが、しかし未だ社会を唯物論的に理解することができませんでした。
その理由の一つは、かれらの唯物論が形而上学的であった、つまり、発展の見地に立っていなかった、ということです。それは当時の自然科学の制約とその影響がありました。
自然科学は古代ギリシャに始まりましたが、古代ギリシャの哲学者達は、自然を全体として連関と運動・変化において捉えており、素朴では有るが弁証法的な世界 観を持っていました(逆に言えば自然を未だ、「分析的」に理解するまでに至っていなかった、と言うことでも有りましょう)。
しかし自然を深く研究するには、その全体の姿を捉えるだけでなく、それぞれの部分・要素を全体から切り離して、細部を個別に緻密に研究する必要が有りま す。そう言う分析的研究手法が17-18世紀の諸科学、特に自然科学に持ち込まれ、そのこと自体は自然科学を大きく前進させました。それによって当時の自然科学に形而上学的思考方法を主流とさせたのです。
そしてその考え方が哲学にも持ち込まれることになりました。
自然も当然発展しているのですが、自然の変化・発展には非常に長い時間が掛かるので、発展の理論を持っていなくても、つまり弁証法的な考え方をしていなくても、自然をある程度まで正確に(勿論完全にではないけれども)研究し理解することが出来ます。
だが社会は、わずか数千年のあいだにも非常に大きな変化・発展をするので、弁証法的な考え方に立たない限りこれを正しく唯物論的に捉えることができません。
18世妃、フランス革命を思想的に準備した啓蒙主義者たちは、哲学的立場としては唯物論者であり、革命的な人達でしたから、現存のフランスの社会制度を誤ったものと考えており、これを変革しようとして闘っていました。
しかし、上記の事情から彼らは弁証法的では有りませんでした。つまり歴史を発展過程として捉えなかったので、過去の一切は誤りであり、不義・不正であると考え、それを一挙にくつがえして、理性的な正しい社会を作ろうとしたのです。
ではどうすれば正しい社会が作れるのか。
過去が不義・不正の歴史であったのは、人々が迷信など正しくない観念を持っていたからである、だからこれらの正しくない観念を一掃して、人々が理性的な考えを持つようになれば、正しい社会が生まれる ―― 彼らはこう考えました。
つまり、人々の観念が変われば現実の社会制度が変わるという訳です。これが、観念が元のもの、支配的なものだと考える、観念論的な歴史観であることは、言うまでも有りません。
この考えに、彼らの第二の誤りが結びついています。
それは、彼らが大多数の人間をどう見ていたか、と言うことに関係しています。
彼らは、人間にとって生活条件・生活環境がどんなに大切かと言うことを知っていました。長時間で過重な労働、狭くて不潔な住居、貧しい食物 ―― このような 条件のもとで多くの人々が生活している限り、盗み、泥酔、喧嘩などの道徳的退廃が大衆の中に広がることは避けられません。
つまり、環境が悪いと人間は悪くなるのです。これは確かに、唯物論的な人間の理解です。生活条件を改善しないで、ただお説教を聞かせても人間は良くならないのですから。
し かし、この重要な生活条件の改善を誰がやるのか、という問題で、フランスの唯物論者はつまずきました。彼らの考えは、先に述べたように、人々の観念を変え る事によって、歴史・社会を変えようとしていたのですから、大衆はただ環境の作用を受ける受動的なものと見なされており、すぐれた少数の識者によって良い 法律が作られ、これによって社会環境が変えられることに期待せざるを得なかったのです。
つまり、発展の見地が欠如したとき、唯物論もどこかに行ってしまうのです。
マルクスとエンゲルスによる、唯物論の弁証法的理解
さて、マルクスとエンゲルスの時代は、前述のフランスの唯物論者たちが活躍した時代より約100年後です。
1831年にはリヨンで最初の労働者の蜂起が起こり、1838-1842年にはイギリスで最初の国民的労働運動である「チャーチスト運動」がその頂点に達していました。
いまや、労働者階級は、他人によってその生活環境を良くして貰うことによって初めて良い人間になれるような、受動的な大衆ではなく、自分の力で社会的環境を変えて行く力を持つ、変革的実践の主体として歴史の舞台に登場していたのです。
マルクスとエンゲルスはこのことに注目しました。これは世界に於ける人間の役割と言う、世界観的な問題の捉え方の転換を意味します。
労働者階級としての人間は、その労働と階級闘争とによって、世界を変革する力を持っている。マルクスとエンゲルスは、先の世界観的問題をこのように積極的・肯定的に解決したのです。
そしてこのことは、彼らが労働者階級の立場に立ち、その歴史的な役割を理解したからこそできたことなのです。同時にこのことは、彼らがフランス唯物論者たちの一面的な人間観を克服したことを意味します。
「人間は環境によって変化させられる」、「人間は環境に働きかけてこれを変化させる」この二つの側面を連関において、すなわち弁証法的に捉えることが出来なかったので、フランスの唯物論者たちは前の方の側面だけを切り離し、これに固執したのでした。
マルクスとエンゲルスがこの一面性を克服できたのは、彼らが弁証法的な考え方をしたからこそです。
更にこのことは、歴史の唯物論的理解と繋がっています。
人間を、その労働と階級闘争とによって世界を変革するものだと捉えたからこそ、歴史は人々の観念の変化によって(これを根本動力として)発展してきたので なく、労働する人間の自然を変革する力の高まりと階級闘争とによって発展してきたのだ、と言う歴史の唯物論的理解が可能になったのです。→史的唯物論の確 立。
■ 弁証法と唯物論 ― その2、「連関」
オウム真理教に見る弁証法(連関)の欠如
次に連関の見地が欠如した時どう言うことになるか、について見てみましょう。
あのオウム真理教のスポークスマンで有った上祐 史浩についてです。一連のオウム事件で3年の実刑の後、アレフ教団代表をしていましたが、その後脱会したようです。
弁証法の連関的見方が欠落するとどうなるか、と言う点で、絵に描いたような例だと思っています。
ネットでの彼のプロフィールを見ると.........、
1962年、福岡県に生まれ、81年に早稲田大学入学し、情報技術、人工知能を研究し、87年に、同大学院を卒業し、宇宙開発事業団に入社したが、その 後、真理の法則の実践に目覚め、出家を決意した、となっています。特に入信の動機として、 麻原 彰晃の「空中浮揚」が大きな影響を与えたとのことです。
大学院卒業と言うことですから、少なくとも一般日本人のレベル以上の科学的知識を持っていた筈です。
特に、「宇宙開発事業団」と言えばロケットや人工衛星を打ち上げることを主な仕事としているところでしょう。ニュートンの万有引力の法則は熟知している筈です。そうでなかったらロケットを軌道に乗せることなど到底出来ません。
若 しそうであれば、当然麻原 彰晃の「空中浮揚」なるものが、万有引力の法則と両立せず、絶対に有り得ない現象だということを、本来誰よりも理解している筈です。明らかに矛盾している 二つの事柄を、なぜ彼は矛盾と思えなかったのか。或いは疑問としてそのことを掘り下げて考えなかったのか。
おそらく彼の科学的知識は弁証法的ではなかったのでしょう。ロケットを打ち上げる時には、その科学法則に依拠していたかも知れないが、それはあくまでバラバラな知識の寄せ集めでしかなく、全て連関しているものとして(つまり弁証法的に)捉えていなかったのです。
従って、本来少し考えれば直ぐ「オカシイ」と思えるようなことが、彼の中では矛盾なく両立してしまったのだと考えるしか有りません。
このように、弁証法が徹底されていない時、折角の科学的知識(その点では唯物論的な立場)が生かされず、結果としてオウム真理教などと言う最悪の観念論的立場に身を置くことになってしまったのです。
全てそうですが、弁証法が徹底されていない時、唯物論も徹底されません。
もっとも上祐が、麻原のいかがわしさを知っていて、なおかつ自分の教団内における立場向上を目指し、それを利用していた、と言うことであれば、それはそれとして(良い、悪いは別として)納得できます。
この事情は単に上祐やオウムだけの問題では有りません。
昨日(※ 2004/9/21)だったかの新聞に、小学生対象の地動説についての質問で、地球が太陽の周りを回っていると言う正解をした割合が、4割だったか6割 (今新聞が手元に無い)と言う記事が有りました。学校教育自体が、基礎科学を軽視し(或いはその余裕を失い)、教育にも「コストと目先の成果」を持ちこ み、本当にバラバラな知識、企業の目先の戦力となるだけの知識教育になっているのです。
自然と社会の真の姿とその連関を全面的に意識に反映する、この弁証法的な立場が今本当に大切だと思っているところです。
■ 唯物論と弁証法は切り離せない
以上、ザッとしたスケッチでしたが.........、
- 観念論と反弁証法=形而上学的教義の影響が支配的だった、鬱屈した躍動感も救いも無い、中世ヨーロッパの雰囲気。
- ダイナミックな躍動感と高揚感に溢れた弁証法的世界観を持ちながら、結局はその中に窒息してしまった、ヘーゲルの観念論体系。
- ヘーゲルの観念論的体系の金縛りから解放し、唯物論を全ての基礎に据えながら、生き生きした討論(つまりは弁証法)を持てなかった為に、結局隠遁生活を余儀なくさせられたフォイエルバッハ。
- 弁証法の二つの柱、「発展」と「連関」が欠如した時、唯物論的立場も貫徹出来ない例として、18世紀のフランス啓蒙思想家と、元オウムの上裕 史浩を挙げて考えてみました。
唯物論と弁証法は切り離すことが出来ません。どちらが欠けてももう片方が不完全にならざるを得ない関係です。
マルクスとエンゲルスは、弁証法をヘーゲルから、唯物論をフォイエルバッハから、その積極的な部分だけを批判的に受け継ぎ、統一した形で、弁証法的唯物論として確立したのです。
弁証法は単なる「方法論」に留まらない、世界を認識する為の思考上の中心的な「道具」だと言えるでしょう。
■ 科学と哲学
かって哲学は、万学の女王として全ての諸科学の上に君臨するものとされていました。
世界についての知識が乏しかった時代、事物とその連関について不明な部分を頭の中で考え出し、その隙間を繋いで行くしかなかったのです。それが哲学だった訳です。
そのため哲学は哲学者の頭の数だけ存在しました。曰く「プラトンの哲学」、曰く「カント哲学」、曰く「ニーチェ哲学」等など。
しかし今、世界の姿はそれを研究する実証諸科学自体の力で、現実の世界そのものの現象と連関の中から明らかにされるようになって来ました。頭の中で「考えだす」理由も必要もなくなって来たのです。
哲学者の頭の中で紡ぎ出される余地が、実証的諸科学の知見によって日々取って変わられるにつれ、哲学は次第に眠り込むようになる、と言うのが弁証法的唯物論の主張です。
後になお、哲学として残るものが有るとすれば、弁証法と形式論理学だろうと言われます。
思考そのものと論理学の研究は、他の実証科学に解消するのでなく、哲学の仕事として残るだろうと言うことです。
「マルクス哲学」とは、マルクスの言ったことを単に暗記して述べることではなく、科学に立脚し、世界のより深く正しい理解を目指す、その立場です。
マルクス自身、自分の主張を「マルクス主義」として教条化されることを何より戒めていました。
大急ぎで弁証法について述べてきました。しかし弁証法はこれだけではありません。
「発展と連関」をより深く、より具体的に理解する為に、「対立物の統一」「量から質への転化」「否定の否定」「真と偽」「必然性と偶然性」「現実性と可能性」「特殊と普遍」等、弁証法の基本的なカテゴリーを充分学ぶことが必要だと思います。
その為にも、本講座、特に弁証法的唯物論について、是非目を通して頂きたいと思っています。
※ 投稿への返信
弁証法の定義として、「発展と連関」より「運動と連関」の方が良い。
と言うご意見・批判・反論が有りました。
それに対する回答です。
「弁証法を一言で言うと『発展と連関』です」と書きましたが、「運動・変化・発展と連関」としても、勿論構わないとは思います。
しかし「発展と連関」で、私は特に問題を感じないのですが.........。
発展は運動を含みます。運動無しの発展は有り得ません。発展は弁証法と切り離せません。
勿論一時的な、或いは部分的な後退は当然有り得ます。しかしそれを克服しての発展は世界の必然です。よく言われる「螺旋的発展」ですね。
その発展の展望を示しているのが弁証法であり、歴史に適用されたのが史的唯物論だと思っています。
逆に 投稿者さんの言われる、「運動と連関」でも間違いとは言えないかも知れませんが、若し「発展」に対立するものとして「運動」を言われるとしたら、これは明らかに間違いだと思います。弁証法に発展は外せません。
つまり発展的方向を否定しながらの運動は、現状維持か後退しか有り得ません。これは弁証法では有りません。末法思想です。
上記本文の中で、一部キリスト教の「最後の審判」について述べました。これはこの限りで巨大な「運動」です。何しろそれまでの平穏な世界がハルマゲドンだ か何だかによって崩壊すると言うのですから。しかしこれは絶対に弁証法では有りません。この「運動」に発展は無いからです。
おそらく 投稿者さんが言われている「運動」は、文面から察するに「選挙運動」とか「革命運動」と言うときの「運動」ではないでしょうか。間違っていたらゴメンナサイ。
哲学で言う運動は、物質のあらゆる変化のことです。
物の位置変化(力学的運動)、熱や音、光(物理的運動)、化合(化学的運動)、進化、生殖、代謝(生物学的運動)、社会の歴史、選挙、革命、労働運動(社会的運動)等全て含みます。
読者からの投稿
>『現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、従ってまたその経過的な側面からとらえ.、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的である。』
「資本論第2巻、あとがき」だと思うのですが、弁証法のキモですよね。
「現存するものの肯定的理解のうちに」は、ヘーゲルの「現実的なものは全て合理的であり、合理的なものは全て現実的である」と同じ立場だと思いますが、つまり 資本主義が存在するのはそれなりの合理的根拠があり、同時に一見磐石に見えるこの体制の中に、それを否定し、次の新しいものへの発展の契機を含んでいる。
世界を出来上がって固定したものと見るのでなく、生成消滅の不断の変化の過程として理解するとともに、この不断の変化と言うのは、表面的にはどんなに偶然 の変化に過ぎないように見えても、又一時的に後退が有ろうとも、それらを通じて結局は必然的な、前向きの発展が貫かれている。
こうした諸過程が結び合って世界は形作られている。
「なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的である」とは、「今日なお幅をきかせている古い形而上学からすれば克服できないものとされるところの、真と偽、善と悪、同と異、必然と偶然と言った対立にも、威圧されない(エンゲルス)」。
つまり、人を殺すこと、戦争は悪いことだが、では、かってのあのベトナム戦争で独立の為に戦ったベトナム人民の闘いはどう言うことになるんだ、と言った、 形而上学では解決不能な問いに対し、弁証法は威圧されてはならないし、弁証法では明確に解答を示すことが出来る、と言うことでしょう。
■ 哲学の命題
上記「運動」についての解釈に関連して、哲学の命題(判断を言葉で言い表したもの)について述べてみます。
哲学の命題は、他の科学的命題と比較しても、もっとも一般的、普遍的なものです。
そもそも「弁証法」とは、と言ったときの、その内容は、例えば日本でもアメリカでもイラクでも、又、古代ギリシャでも現代でも、或いは1000年後でも通用するような定義であることが本来は理想です。
1848年のドイツの特殊事情や、2004年の日本の参院選結果などの、時々の個々の事情によって、その都度、哲学的命題の定義内容が変わると言うことは、有ってはならないと思います。
弁証法そのものと、その時々の情勢とは、全く次元の違うことだからです。
同時に、一般的・普遍的とは言っても、哲学的命題も歴史の或る段階で、誰かが使い始めた訳で、カントの言う弁証法とヘーゲルのそれとは違うでしょう。
私は、マルクスやエンゲルスが規定した内容に沿って、「発展と連関」と言った積もりなのですが。
「ヘー ゲル体系のなかで始めて ―― そしてこのことがこの体系の大きな功績なのであるが ―― 自然的、歴史的、精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち不断に 運動し、変化し、作り変えられ、発展するものとしてとらえられ、提示されたのであり、又この運動や発展のうちにある内的連関を指示しようとする試みがなさ れたのである。」(エンゲルス-空想から科学へ)。
部分的に、或いは一時的に「発展もあるし衰退もある.........」社会ですが、弁証法的発展は真理です。
それはビッグバンに始まる宇宙の物質進化、原始地球の海の中での化学進化、その結果の生命の誕生、その後の生物進化。単純なものから複雑なものへ。
原始共産制から奴隷制、封建制、資本主義へと発展してきた人類の歴史。
創立以来、戦時中の弾圧を越えて、今一時的な後退を含みながらここまで発展してきた日本共産党を持っている日本。
それら全てのことが、弁証法の発展性、連関性を、より豊かに、より普遍的なものにしている訳です。
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