武蔵野台地の縁に建つ皇居 -1(北側半周-大手門から北の丸公園周辺)

 

皇居と地形

誰でも知っている皇居。
一般に「お濠」と呼ばれている内濠内(下図のエリア)だけでも、明治神宮と代々木公園を合わせたよりも広い敷地を持つ。更に神田川や現在一部残っている外堀に囲まれたエリア全体で言えば、おそらく世界一の城郭都市だったと言えるだろう。

現在内堀通りが真中を通っている外苑はもとより、一般公園として開放されている北の丸公園と併せ、かって江戸城だった頃の本丸、二の丸、三の丸跡も、>東御苑として一般に公開されている(但し東御苑は北の丸公園と違って、入苑の時間制限と入り口チェックが有るし、飲酒は禁止されている)。東京駅からも近く、骨太の江戸を味わえる場所として外人観光客の比率も高い。逆にここを知らない日本人も多い。一つの穴場とも言えるだろう。
又2014年から、桜の春と紅葉の秋の2回、坂下門から乾門に至る>乾通りが公開され、おびただしい見学者で賑わっている。
更には新年や天皇誕生日などには、宮殿前の参列が許可されている。

 

武蔵野台地(山の手台地)と東京低地

文化遺産として、或いは大都会東京のど真ん中のオアシスとも言える緑豊かな景観などと併せ、皇居は地形的な観点からも非常に興味深く奥が深い。

皇居は>武蔵野台地の東の端>(山の手台地と区分される)に位置する。武蔵野台地は多摩川によって押し出された土砂が堆積した扇状地層で、山の手台地はその東側末端になる。複雑に入り組んだ崖がその東側の低地(沖積面-東京低地と呼ばれる)とハッキリした境界を持って、15~30メートルの高さで南北に繋がる。皇居はこの山の手台地と東京低地を跨ぐ形で、その地形を巧みに生かしての築城、曲輪設計となっている。

この山の手台地と東京低地との境界は皇居でもハッキリ見てとれて、東御苑最高地点の展望台から三の丸方向を見た時、その>高低差と崖の急峻な勾配が確認できる。
この台地と低地を繋ぐ位置に有るのが、皇居周辺で言えば九段坂三宅坂で有る訳だし、皇居敷地内で言えば、三の丸から中の門を通って本丸に至る坂、本丸と二の丸を繋ぐ汐見坂、梅林坂等。
今の外苑、日比谷、銀座などはかって日比谷入江として海が入り込んでいた場所であり、家康入府以来埋め立てによって陸地とされたところである。和田倉濠、日比谷濠などはその時の名残。

 

皇居を囲む内濠

内濠とは、一般の立ち入りが出来ない皇居エリア、一般に開放されている北の丸公園、東御苑、或いは外苑等を囲む、いわゆる「お濠」と呼ばれている濠の総称である。
Google map等で見る限り、これらの濠は皇居を囲んで一繋がりのものに見える。しかし実は、皇居(江戸城)が置かれている山の手台地と東京低地の高低差も反映して、水面標高も成り立ちもそれぞれ個別的な経過を持っているようだ。

 

千鳥ヶ淵と半蔵濠、牛ヶ淵

千鳥ヶ淵とその南隣の半蔵濠は、土手で区切られているが水路で繋がっている。つまり二つの濠の水面標高は15.98メートルで同じであり、かつ内堀の中で一番高い。
実は千鳥ヶ淵は内濠整備の際、地形をそのまま生かして作られたダムで、その水源は西側の麹町、番町など、山の手台地からの二本の谷筋である。今その谷は痕跡さえも定かでは無いが、地形図にはその谷筋が微妙に確認できる。
こうやって台地に刻まれた谷の地形を利用して、半蔵濠も含め比較的労せず、長さ1300メートルの濠が出来あがった訳である。

更にこのダムが満杯になった後、その水を田安門地点から東隣に流れこませ牛ヶ淵が出来た。牛ヶ淵の水面標高は4.17メートル。千鳥ヶ淵のオーバーフローを牛ヶ淵に導く形になっている。

半蔵濠と桜田濠

半蔵濠の南側に位置する桜田濠の水面標高は3.82メートルで、北側の半蔵濠とは10メートル以上の高低差が有る。つまり半蔵門土手が半蔵濠のダム堰堤のような役割を果たしている訳だ。確かに意識しながらその脇を通って見れば隣り合った二つの濠の高低差が見て取れる。

東京低地に位置する濠

皇居東側を囲んでいる幾つかの濠、これらの濠の水位は標高が1メートル前後で、上でも触れたように日比谷入江等を埋め立てた際に構築された濠である。それでも個々に微妙に水面標高が違う。
清水濠、大手濠は1.87メートル。和田蔵濠、馬場先濠、日比谷濠は1.43メートル。凱旋濠は2.85メートル。

※ 淵と濠
千鳥ヶ淵のように「淵」が付く場合、大手濠のように「濠」が付く場合が有るが、この違いは、流れる水を堰き止めて言わばダム湖としての由来を持つものを淵、そうでないものを濠と呼ぶのだそうだ。

※ 山の手と下町
漠然としたイメージとしては「山の手」は文字通り山の手台地上のエリア、下町とは東京低地に広がるエリア、と言った感じである。実際、上野・浅草辺りから北側の地ではそのイメージと地形が一致していると言ってもいい。
だが下の地形図を見て貰って分かるように、皇居の東側に広がるエリアは、地形的には東京低地に属するが、ここに広がる大手町や日比谷、銀座などを下町とは普通言わない。又このエリアは江戸幕府によって多くは埋め立てられた場所だが、その後大名屋敷が軒を連ねた場所でもあるし日本橋には日本一の豪商越後屋が店を開いた場所でもある。

 

 

撮影Map

皇居を囲む内堀に沿って1周。周辺の特徴的な施設や建物も併せて簡単に取り上げてみた。
なお、実際歩いたコースは行ったり来たり、同じ道をダブって歩いたりで、掲載の写真は必ずしも順番に一筆書きのように掲載されていない。下記撮影Mapと併せてご覧ください。

クリックするとGooglemapで開きます。

>kokyo-photomap.gif

 

地形図

クリックすると拡大表示されます。

北の丸公園から東御苑の白鳥濠を経て、桜田門を貫く形で、西側の武蔵野台地(山の手台地)と東側の沖積面(東京低地)を分ける崖が走っているのを明確に確認できる。

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大手濠に沿って

東御苑大手門に面した濠。水面標高は1.87mで、かっては日比谷入江であった場所。

大手門

今回ここからスタートで、内濠沿いに皇居を回る。
皇居の周囲はご存じの通りランニングコースとしても有名。お濠に沿って皇居の景観を眺めながら、信号も無く立ち止まらずに済むコースが整備されている。衝突等を避ける為だろう、反時計回りに走ることになっていて、私も同じコースを同じ反時計回りで歩いてみた。

東御苑への一般出入り口は3ケ所あり大手門はその一つ。他に平川門、北桔橋門。その中でJR東京駅や地下鉄大手町駅から一番近く、格式から言っても言わば江戸城正門と言えるだろう(現在の皇居正門は、二重橋となる)。
今回修復中で覆いが掛かっていた。

三ヶ所の門とも、開門は9時から。

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下掲写真は以前撮った、覆いの無い大手門

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東京消防庁(正面)、気象庁(奥)

大手町オフィス街に面し、視界も広い。

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大手濠公園

銅像は和気清麻呂。
マラソン同好会と見られる一団が、大会かなんかの報告会で集まっていた。

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平川門と毎日新聞社

前方、平川門に繋がる平川橋。平川橋から先は清水濠となる。
右側建物は大手濠の象徴ともなった、毎日新聞本社。

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平川門と平川橋

平川門は江戸城の裏門。本丸・大奥とも近く、大奥女中など出入りする通用門としても使われていたらしいが、同時に御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもあったようだ。
平川橋は皇居唯一の木橋。

※ 和田倉橋は欄干が木造だが橋(歩く部分)はそうでない。

不浄門

平川門は又、不浄門とも呼ばれる。
不浄門とはし尿の搬出、或いは罪人等の出口としての門。浅野内匠頭、絵島事件の絵島等もここから出されたらしい。

※ 最初、隣接している帯曲輪門(下、参照)が不浄門かと思ったが、どうも平川門全体をそう言うらしい。

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平川橋から竹橋方向

この辺はまだ水面と右側の陸上部分の高低差があまりない。竹橋を過ぎた辺りから徐々に水面との高低差が顕著になる。つまり山の手台地に差し掛かることとなる。

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竹橋

大手濠から続く清水濠(橋の右側)に掛かっている。
竹橋を渡って、写真左側に続く道は代官町通り。東御苑(左側)と北の丸公園(右側)の間を通っている道でさほど広くはない。ランニングコースはこの代官町通りに沿って続く。

竹橋手前で右に行けば、清水濠沿いに清水門まで北の丸公園に面して歩ける(>後述)。

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代官町通り

先ずは代官町通りを歩く。
左側には平川濠がある。道は徐々に武蔵野台地に差し掛かり、登り勾配となる。

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北桔(はね)橋門

一般公開されている東御苑の、三つある出入り口の一つ。本丸天守閣や大奥に一番近く、本丸から直接外部に通じる門。桔(はね)橋とは、敵が攻めて来た時などの際、いざという時には橋をはね上げる仕掛けになっている。
皇居乾通りから東御苑を繋ぐ「>西桔橋」も同じ役割を持つ橋だが、こちらは一般には公開されていない。

平川門辺りの風景と比較して、濠の水面に対し石垣が高くなっていることに気付く。ここまでのお濠の水面は一定だから相対的に地盤が上がった訳だ。
つまり完全に武蔵野台地の扇状地層に上がっていることが分かる。本丸エリアは山の手台地上に位置し、低位の二の丸、三の丸とは石垣で隔てられる。防御面からも台地の起伏を巧みに取り入れた配置と言えよう。

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東御苑への出入り口として一般に公開されているが、時間(9時から開苑)が早かったので開いていなかった。

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北桔橋からの丸の内方向

東京低地から武蔵野台地に駆け上る、高低差の変化が良く分かる。

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北の丸公園

代官町通りを挟んで、北桔(はね)橋門の反対側(北側)には北の丸公園が広がる

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代官町通りに戻って

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乾門

普段は一般に公開されていないが、2014年、天皇傘寿を記念しての、皇居乾通り一般公開が、春と秋に期限を切って行われることとなった。
おそらく今後も続くのではないだろうか。一般公開の模様は下記参照。

>乾通り、春の一般公開

>乾通り、秋の一般公開

 

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東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)

北の丸公園に建つ。1910年に近衛師団司令部庁舎として建てられたものだが、現在は展示施設に改修され、明治以降の工芸およびデザイン全般をコレクションする美術館として開館している。外観、玄関および階段ホールは、1972年、重要文化財にも指定。

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内堀通りが近づく

ここで少し下り坂になる。

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代官町通りの断面図

竹橋の地点から徐々に標高が上がり、内堀通りの手前で下がっていることが分かる。

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半蔵濠

代官町通りが内堀通りに交差する辺りからの半蔵濠。
水面標高は15.98メートル。

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内堀通り

ここから桜の遊歩道を半蔵濠沿いに歩くのだが、一旦ここで竹橋地点に戻る。

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清水濠

一旦竹橋に戻り、清水濠沿いに北の丸公園東側を回る。

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清水濠

左側石垣の上は北の丸公園。濠に掛かる高架は首都高速都心環状線。
清水濠の水面標高は1.87メートル。

※ なおここから右側のエリアには、御三卿の一つ、一橋徳川家の屋敷跡や一橋門、地名の由来となった一橋の痕跡などが見られるらしいのだが今回は回らなかった。次回の宿題。

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武道館遠望

清水濠が、左側の山の手台地と右側の東京低地を分けている。

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清水門を通って北の丸公園へ

写真手前は清水門に続く通路。通路の向こうは牛ヶ淵。ここから先は建物などが有って、堀沿いに歩けない。ここから清水門を通って北の丸公園に入る。
牛ヶ淵の水面標高は4.17メートル。

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清水門(高麗門)

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清水門(櫓門)

他の門と違って通路も舗装されておらず、なんとなく往時の面影を残しているようで、これはこれで貴重。

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田安門から千鳥ヶ淵へ

北の丸公園の西側、田安門。ここをくぐると靖国通りにでる。

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牛ヶ淵

田安門から北側。

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千鳥ヶ淵

田安門から南側に広がる。水面標高15.98メートル
都内でも有数の桜の名所としても知られている。

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千鳥ヶ淵と牛ヶ淵、半蔵濠

元々千鳥ヶ淵は江戸時代初期、北の丸の西側、麹町や番町一帯の谷筋を堰き止めてのダムとして始まった。南側の半蔵濠とは土手で区切られているが、水は水路で繋がっている。従って二つの濠の水面の高さは同じで、かつ全ての濠の中で一番水面標高が高い。
なおこの千鳥ヶ淵ダムを満杯にし、田安門の地点で東に流し込んで出来たのが、上掲牛ヶ淵。但し牛ヶ淵の水面標高は千鳥ヶ淵と比較して10メートル以上も低い。千鳥ヶ淵のオーバーフローを牛ヶ淵に流している。牛ヶ淵には田安台(北の丸公園)からの湧水も流れ込んだ。

今は都市化によって殆ど枯れているが、かって豊富な湧水が流れ込んでいたのだろう。江戸城東側の東京低地は日比谷入江等を埋め立てて開拓したところであり、井戸を掘っても海水が混じったりして飲料に適さなかった。
この千鳥ヶ淵と牛ヶ淵の水を、江戸城では飲料水として利用したそうだ。

 

千鳥ヶ淵から牛ヶ淵への流し込み

千鳥ヶ淵側

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牛ヶ淵側

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靖国神社と国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑

半蔵門から千鳥ヶ淵を越えて出たところに、靖国通りを隔てて靖国神社が有る。又、千鳥ヶ淵沿いに4~500メートル南に行ったところに国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。
片方は国立、片方は一宗教法人。格と言うことから言えば千鳥ヶ淵戦没者墓苑が圧倒的に上だと思うのだが、実際の賑わいはまるで逆。千鳥ヶ淵戦没者墓苑のなんと言う地味なことか。

 

靖国神社

この日(8月9日)は長崎への原爆投下の日でもある。そのせいかどうか夥しい数の右翼の街宣車が参道に並んでいたし、「制服」を着たメンバーが行進・参拝していた。おそらく近辺から総参集したのだろう。15日の終戦記念日はもっと物々しい。
私からすればアナクロニズムの極みに見えるが。

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国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑

普段は参拝者も殆どなく閑散としている。国の政治家が参拝するのなら、本来はこの国立の戦没者墓苑に来るべきだろうし、国としてもこちらで慰霊に意を注ぐべきだろう。

入り口は二ヶ所有って、こちらは北側。

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南側の入り口

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今日も参拝者は殆どなく、おばさんが一人、花を生けたり水を替えたりしていた。

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皇居周辺に戻って

代官町通りと内堀通りとの交差地点に立ち返り、更にお濠沿いに皇居の周りを歩く。

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>武蔵野台地の縁に建つ皇居-2(南側半周-半蔵門から大手門)に続く

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