玉川上水-11(代田橋から四谷大木戸)

 

玉川上水43㎞、最後の区間

往時を偲ぶ、3ヶ所の開渠部分

羽村堰で取水されて始まった玉川上水の最後の区間である。
新宿新都心を経て四谷3丁目に至る、日本の正に中心部の一角を通る今回の区間には、距離的には僅かながら3ヶ所、開渠としての玉川上水が顔を見せる。往時の姿を彷彿とさせるその姿は、大都会である現在の周囲との落差を感じさせて「これが東京か?」と唸らせる。

 

山の手台地の複雑な地形

又この区間は、いよいよ本格的に山の手台地の複雑な地形、台地の間を鹿の角のように谷が入り込んでいる地形に差し掛かることになる。その為この区間では、下のMapを見て分かる通り、特に今の笹塚周辺以降で奇妙なコース取りがされている。それはただ地図を見ただけでは何故そうなったのか分からないし、実際に歩いただけでも直ぐには理解しにくい。

水は常に一番低きを流れる。先人達がこの複雑で起伏の激しい地形とどう苦労して折り合いをつけながら、、兎も角も目標である四谷大木戸まで水を流したか、その辺の事情を、地形図も参照しながら堪能していただきたい。

 

地形図

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撮影マップ

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甲州街道を越えて

前回の最終地点、玉川上水公園、和泉給水所迄、甲州街道の左側を(暗渠で)通って来た玉川上水が、この地点で甲州街道を超える。
玉川上水公園、和泉給水所を隔てる井の頭通りとの交差点から、約300メートル程甲州街道を下った、京王線代田橋駅付近で、玉川上水は甲州街道の右側に顔を出し、甲州街道から一旦離れるようにコースを取る。
代田橋も玉川上水に掛っていた橋の一つで、代田の名前は「ダイダラボッチ」に由来するとのこと。

※ 街道と上水

徳川家康が江戸に幕府を開いたのち、五街道を開設した。甲州街道もそのうちの一つ。
街道開設の際留意したことの一つが、その標高。つまり出来るだけ高いところを選んで道を付けた。低いところは大雨の際水に浸かってしまう危険などが有った為。その点で、玉川上水等、人口の上水と共通点が有る。

何度も述べていることだが、遠くに水を流そうとしたら極力標高の高い地点を選んでコース取りする必要が有る。一旦低いところに水を導いてしまえば水はそこで滞ってしまうからだ。事実玉川上水は武蔵野台地の尤も標高の高いところ、分水嶺を通るようにコース取りされている。
高井戸で甲州街道と合流した後も、玉川上水は甲州街道とほぼ並行してその脇を流れて来た。それは上水も街道も、共に標高の高い位置を選んで作られたと言う共通点が有った為。

しかし今回の地点から玉川上水は一旦、甲州街道と離れてこの後、不思議なコースを通る。そこには山の手台地の複雑な地形が関係している。
掲載の地形図と照らし合わせながら見て頂くとその辺の事情が見えてくる。

 

代田橋駅前の跨道橋上から

下の道は国道20号線(甲州街道)、上に首都高速4号新宿線が通っている。
写真のほぼ中央、小公園風な脇から右側に玉川上水が顔を出している。

地形図を見て頂けば分かるが、直ぐこの先、甲州街道と環七が交差する辺りに若干の窪地がある。それを回避する為の迂回コースであろう。

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玉川上水、往時の面影

右側小公園の直ぐ先、青いフェンスの間を国道からそれて、右に入る。

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開渠部分

甲州街道から外れて直ぐ開渠部分が見える。まるで異世界。甲州街道を走る車の激しい交通量と、その落差が大きい。
この区間を含めて、これから開渠区間が3ヶ所ある。いずれも短い区間だがかっての面影を偲ばせる。
玉川上水に限らないが、こう言った史跡をふんだんに持ち越しながら、開発と保存の狭間で展開して来たのが江戸―東京かも知れない。

 

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上水開口部

上の写真のスタート地点。柵の直ぐ先は甲州街道になっている。
僅かに水が流れている。浅間橋で玉川上水の水(下水処理水)は全て吸い上げられているから、ここに玉川上水系統の水は無い筈だと思うのだが、この水は何処由来なのだろうか? 地下水か?
そもそもこの上流部は、どこまで続いているのか?
……と思っていたら、この水は付近の地層から湧出したもので、上流の処理水より水質がいいのだそうだ。

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開渠部は100メートル余り続く

この区間が、3つの開渠部で一番鬱蒼として、近代的な周囲との落差が大きい。

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  京王線代田橋駅

前方直ぐに京王線高架と交差。上水と遊歩道は線路の下を通る

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  ゆずり橋

京王線をくぐると直ぐ、代田橋駅近い所にレンガ作りのゆずり橋が掛かっている。現在のゆずり橋は1991年(平成3年)建て替えられたもの。
ここ迄がつかの間の開渠部分。ここから玉川上水は一旦地下に潜る。

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送水管

橋に並行して巨大な送水管が通っている。この地点から200メートル程に有る和田掘給水所からの送水管。

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代田橋駅に向かうゆずり橋

ゆずり橋の名前の由来は、かって昔の橋は幅が狭く、譲り合いしながら通行していたことによるとか。今、自動車の通行は出来ないが人が譲り合う程のことも無い幅。
この橋を渡って直ぐ右に代田橋駅。

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下流側からみたゆずり橋

ここで開渠部は一旦終わり。

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第一緑道

再び暗渠に

ゆずり橋を越えると、玉川上水は暗渠となり、地上部は緑道・児童公園となっている。この辺世田谷区管内で「第一緑道」と呼ぶらしい。

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環七を越えて、コースも変わる

 小公園になっている緑道は直ぐに終わり、環状七号線にぶつかり、その下をトンネルでくぐる。長さは15メートル程か。
この環七地点を頂点として、上水は小さく北(左側)にVターンをし、現在の笹塚駅に向かうコースを取る。

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再び緑道

トンネルを抜けると児童公園になっていて、家族連れが遊んでいる。桜が植えられ春はチョッとした花見の場所

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2つ目の開渠区間

公園区間が終わり、再度開渠としての玉川上水が姿を現す。ただし両側フェンスで囲まれ、勿論立ち入ることはできない。この辺から渋谷区管内になるらしい。

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稲荷橋

開渠再開

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結構深い

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開渠部一旦終了

京王線高架手前で再び暗渠となり、笹塚駅南口にぶつかる。

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京王線笹塚駅とコース変更

暗渠となった玉川上水が京王線にぶつかる形になるのだが、ここで又不思議な経路を取る。京王線を突っ切ってそのまま進まず(そもそも掘削時、京王線など無かった)、ここで高架沿いに大きくVターンして南にコースを取る。北側から迫っている幡ヶ谷牛窪と呼ばれる大きな窪地を迂回する為(地形図参照)。

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左側、京王線高架。玉川上水(暗渠・緑道)は写真右側にVターンして続く。

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最後の開渠区間

笹塚駅から50メートル程、最後の開渠部分が姿を現す。地元民の運動で暗渠・埋め立てを免れたものらしい。
ここに掛かる橋は「第三号橋」と有った。どこから数えての三号なのだろうか。

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開渠部分は200メートル程

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開渠部終焉

笹塚地区観音通り商店街道路と交差する笹塚橋の直ぐ先で、玉川上水は完全に暗渠化する。これ以降地上に現れることは無い(新宿御苑の玉川上水記念事業によるせせらぎが復活したが、流れる水の系統は当然違う)。暗渠の地上部は緑道となっている。
ここまでは渋谷区管内。

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三田用水

ここで開渠部は完全に終わる。
この辺で三田用水が右に分かれていたようなのだが、痕跡は見えない。

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  第二緑道

この先、一旦世田谷区となり、「第二緑道」となる。

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都道420号線(中野通り)

世田谷管内が終わり、道路を越えた地点から再度渋谷区内に入る。

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※ 玉川上水の摩訶不思議なコース取り

世田谷区和泉地区迄、ほぼ甲州街道に沿って流れて来た玉川上水が、代田橋駅付近で甲州街道を越え、大きく南側に街道から離れたコースを取ったことは既に記した。
その後、環七との交差地点で北に小さくVターン、一旦甲州街道に復帰するかの様なコースを経て、京王線笹塚駅付近で再度Vターンをし、大きく甲州街道から離れる。
その後、中野通りを越えた渋谷区大山地区で三度目の、今度は急角度でVターン、徐々に甲州街道に近づきながら初台駅手前辺りで甲州街道に合流する形となる。その後はほぼ街道に沿って新宿葵通り、葵橋跡まで続き一旦途切れる。その後新宿駅を越えて新宿御苑でせせらぎの道として復活、そのまま四谷大木戸迄進む。

この複雑で不思議なコースはひとえに山の手台地の入り組んだ地形からの制約を受けてのもの。
地形図を見て貰えば分かるのだが、全てその先の低地を避けるようにしてコースが変更されている。特に渋谷区大山地区での急角度でのコース変更は、現在の中野通りと重なる「幡ヶ谷牛窪」を迂回する為だったことが見て取れる。実際この地点に立って中野方向を見ると、中野通りの道路が下り坂になっていることが目でも分かる。又幡ヶ谷牛窪の反対側には非常に深い「狼谷の窪地(渋谷川源流の一つ)」が口を開けていて、この二つの窪地の僅かな隙間をすり抜ける為の、奇跡のようなコース取りを感じる。急角度のVターンもその為だっただろう。
若し、隣接している幡ヶ谷牛窪と狼谷の窪地が、窪地のまま繋がっていたら、このコースは有り得なかったか、窪地を埋める為の大きな工事を必要としたかも知れない。

地形図と照らし合わせてこの玉川上水の川筋を見ていると、なんとなく上質なパズルを見ているような、工事に携わった往時の人たちの苦労が偲ばれる。

 

旧玉川上水遊歩道

渋谷区大山地区からのスタート地点

中野通りを越えて渋谷区に入る。かってここに掛かっていた北澤橋の親柱が保存されている。現存はこの2本だがかって、新旧合わせて5本有ったと言う。

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四条橋

起点である北沢橋から最初の橋、四条橋越しに下流方向を望む

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六條橋

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常盤橋

道路を挟んで橋の両側に、東京消防学校やその寮が有る。
寮と並んでその奥に「国際協力機構(JICA)本部が有り、その敷地に「狼谷の窪地(渋谷川源流の一つ)」とその池が有る。

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相生橋

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遊歩道の風景

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代々幡橋

代々幡橋の右脇に、次の「山下橋」の、かっての親柱と見られる物が、碑のように立っている

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山下橋

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美寿々橋

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幡ヶ谷駅前通りと二字橋

ここまで来ると大分甲州街道に近づいて来た。
正面二字橋を通る駅前通りを左に、200メートル足らず入ると甲州街道に出る。

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甲州街道に隣接

代田橋駅脇で甲州街道から大きくそれてきた玉川上水が、この辺で又甲州街道に沿って進むようになる。
同時にそこにはのっぴきならない事情もあって、写真中央の道路を右に行くと、代々木郵便局から代々木八幡に続く長い下り坂になる。反対に甲州街道の左側(北側)も谷筋になっていて、甲州街道も玉川上水も、この僅かな峰筋を通すしかなかったのだろう。

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幡代小学校付近

道路を挟んで右に幡代小学校。緑道は児童公園風になっていて、地下を京王線が通っている。

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初台駅前通りに近づく

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伊東小橋

緑道の左側地下には京王線が通っており、通過時はゴーと言う音が聞こえる

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山手通り

上は首都高速中央環状線高架が通っている。緑道は山手通りを越えて続く。
なおこの右側をすこし入ると窪地となっていて、渋谷川支流の一つ、河骨川の源流地点が有る。

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前方首都高速4号新宿線高架

下は西参道。

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西参道

上に首都高速4号新宿線高架が通っている(影が道路に掛かっている)。
実はここまでが緑道としてポピュラーな区間。緑道は道路を越えて続くのだが、実はここから先はあまり通行が無いように思われる。既に甲州街道の直ぐ脇を通っているし、そこにある横断歩道から緑道がやや離れている為も有るのだろう。それに自転車通行禁止となっている点も影響しているのではないか。

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西参道を超えて

見たとおり広い緑道だが、人通りは少なく閑散としている。左側に甲州街道が通り、賑やかな交通量が有るのと比較しても、一種の穴場。

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文化服装学園

この先、緑道は文化服装学園(右側建物)の敷地を通るが木が植えられていて区別できる。だが事情を知ったものでないとおそらく見過ごしてしまうだろう。
天神橋跡の碑が建っている。

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文化服装学園前

玉川上水跡は街路樹の並木で区別されているが、ここがそれだと分かって通る人は少ないだろう。
正面、この先に玉川上水を記念するモニュメントが有る。

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玉川上水記念モニュメント

これが玉川上水関連施設だと思いながら歩いている人が、どれだけいるのだろうか?

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アーチの根本にある、玉川上水の記

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文化服装学園を越えて

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葵通りと千駄ヶ谷橋跡の碑

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緑道終焉-葵橋跡

正面、甲州街道に続く都道414号線が横切っている。正面のビルで玉川上水の痕跡は完全に消える。かって玉川上水に掛かっていた葵橋の記念碑が建っている。
次に(一応)玉川上水として顔を出すのが、新宿駅を越えて新宿御苑。

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新宿駅を越えて

新宿高校

新宿御苑、新宿門の少し手前、新宿高校の敷地内に、かっての石樋が置いて有る。

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下の写真2枚は、2013年6月、高校敷地に立ち入らせて貰って撮影したもの。
説明書きによれば雨水などの下水を、玉川上水に入れない為のものだったらしいが、兎も角こう言った石樋や木樋が江戸市中に張り巡らされていた訳で、これも大工事だった筈。

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新宿御苑

新宿門

右側に入場門が有って広大な新宿御苑が広がっているのだが、玉川上水痕跡は正面左側の通路に沿っている。こちらの通路も御苑の敷地内だが、ここは無料区間。

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玉川上水・内藤新宿分水散歩道

新宿区の広報サイトによると、玉川上水の歴史的価値を次世代に継承していくため、「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」をかつての流れに沿って、新宿御苑散策路に整備、平成21年度から23年度にかけ整備を行い、全区間(全長540m)が平成24年3月に完成したとある。

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整備された流れ

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玉川上水終焉の地

東京都水道局新宿営業所

新宿御苑大木戸門を出た直ぐ先に建っている。四谷区民ホール、新宿区立四谷図書館などが併存している建物だが、この裏にここに玉川上水を記念する、幾つかの碑などが立っている。

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玉川上水最終の地は、ここから約80メートル程先の四谷4丁目付近の四谷大門、水番所まで。そこからは地下の木樋や石樋などで市中に配水していたそうだ。

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この碑は、江戸市中に配した石樋を利用したものだと言う。

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