木曾・美濃・飛騨の、自然と歴史に魅せられて

 

「木曽路はすべて山の中である」、飛騨路にしてなお

 

列島の背骨

岐阜県の大半(ほぼ8割)は山地で、低地(平地)は、濃尾平野に繋がる県の南側2割程度に過ぎない。
通称「北アルプス」と呼ばれる飛騨山脈・「中央アルプス」とされる木曽山脈の、いわば日本列島の屋根に北と東を囲まれ、西側を両白山地(白山・能郷白山)及び伊吹山地・養老山地に囲まれた、日本列島の背骨の位置に岐阜はある。それら山嶺の多くは県境と共に分水嶺となっている。

列島最古の岩石

「列島の背骨」に位置するこの地は、同時に日本列島形成の謎・歴史を知る上で非常に貴重な地質学的特徴を見せているのだそうだ。総じて古い岩石によってこの地は形成されている。
「飛騨帯片麻岩類」と言う、日本列島でも最古に属する岩石層が、富山県南部から岐阜県飛騨北部に広がっている。又1970年3月、岐阜県中部の七宋町飛騨川河床から、20億年前に出来たとされる日本最古の石が、上麻生礫岩と呼ばれる岩体の中から発見されている。

※ もう1ヶ所同じものが、島根県隠岐島後で見つかっている。
※ 日本最古の鉱物は、富山県黒部市宇奈月温泉周辺の花崗岩で見つかったジルコンで、約38億年前。岐阜県天生峠の飛騨片麻岩から見つかったジルコンが、約33~32億年前。なお世界最古の鉱物(ジルコン)は44億年前。

これらの古い岩石層は安定大陸由来としか考えられず、事実同じ岩石層が朝鮮半島で見られる。このことから日本列島は元々ユーラシア大陸の端に属していたものが、3000万年前頃からの地殻変動で大陸から剥ぎ取られ、裂け目に日本海を形成しながら、約2000~1500万年前頃には現在の位置に移動してきたと考えられている。
「列島の背骨」は同時に「列島の歴史」の証人で有るらしい。

山岳美と渓谷・清流

列島の形成について、これ以上立ち入る積りはないし、その知識もないので、興味のある方は別途お調べ願いたいのだが、列島の背骨は当然日本でも屈指の景勝地でもある。
北アルプスの名所としては長野県の松本、特に上高地がメッカとされるが、反対側の岐阜から見るアルプスも決して負けていない。穂高ロープウェイも乗鞍スカイラインも岐阜側にある。

古くて硬い岩石層に幅広く覆われている岐阜の地は、同時に「渓谷と清流」の地でもある。特に木曽川とその支流の飛騨川は、その河川規模としてはおそらく日本でも珍しくコンクリート護岸の少ない川だろう。両岸を天然の岩石護岸が続く。この2本だけでなく数多くの支流で同じように岩に挟まれた流れが見られる。水による侵食は硬い岩に阻まれて外側に広がらず底をえぐることとなり、狭く切り立った谷を形作る。そこを流れる水は土による濁りが無い。
「………渓谷」「………峡」「………ブルー」と呼ばれる絶景や清流が至る所に見られる(飛水峡、阿寺渓谷、川浦渓谷、付知峡等など)。

 

歴史の地

岐阜は又、人の歴史を辿る史跡にも事欠かない。特に安土桃山時代に始まる近世の表舞台として。
斎藤道三の居城にして、後に織田信長の本拠地となった岐阜城が金華山山頂に築かれている。天下分け目の戦場、関ケ原も県の南部にあるし、至る所に特徴のある山城やその跡が点在する。高山や郡上八幡など、かっての面影を今に色濃く残している街並みもある。

中山道

何より、管理人の興味から言えば「中山道」がこの地を通っている。
中山道は江戸から京都に続く道だから岐阜の専売特許と言う訳ではないのだが、多くが現在の自動車道や市街化に埋もれている中、北隣の長野・木曾と併せ一番昔の風情を残している場所だろう。
おそらく山の中と言う地理的事情も有ってのことだろうが、その山を縫って、かっての姿をそのまま残す石畳の旧道や峠が至る所に残っている。奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿など、住民の大変な苦労と共に整備・保存されている。

 

岐阜の地に移住して

2019年3月、それまで30年近く住んでいた渋谷からこの岐阜・美濃の地に移住してきた。
ここを拠点に、その自然と歴史を自分自身多いに楽しみたいし、その感動を少しでも発信出来たらと、拙いサイトを展開するものです。

 

 

岐阜の地形図

巨大な図です。スクロールしながらご覧ください。

gifu_tikeizu.jpg

 

 

 

 

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