科学・哲学の最近のブログ記事

http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201202230107.html

今回、どうも観測の手違いらしいと云うことになりそうだ。
最初この「光りより早いニュートリノ発見」とのニュースが出た時、そのあまりに重大な事柄に、当然ながら慎重な見解が出されていた。

 

※ 2011年9月23日、光速を超えるニュートリノの実験に成功、との発表が有りました。これが事実なら「光より速い物質は存在しない」としたアインシュタインの特殊相対性理論を覆すだけでなく、現代物理学の基本的な前提を覆す「大発見」となります。

日本の名古屋大、神戸大の研究者も参加する「国際研究実験OPERA」のチームが、ジュネーブの CERNで、人工的に作ったニュートリノ1万6000個を、約730キロ離れたイタリアのグランサッソ国立研究所に飛ばしたところ、2.43ミリ秒後に到 着し、光速より60ナノ秒(1億分の6秒、ナノは10億分の1)速いことが計測された。とのこと。

研究チームは15000回もの実験を繰り返し、誤差を計算に入れても同じ結果が得られたという。チーム も「説明がつかない」と首をかしげており、あまりに重大な結果であり、論評を控え実験データを公表するに留め、世界中の研究者に意見と検証を求めたいとし ている。としている。

研究チームとしても慎重な測定の結果であり、事実とすれば冒頭のように物理学の根本を書き換える程の大発見となる訳だが、それだけに当然その発表に疑問を呈する専門家も多い。

例えば、スーパーカミオカンデ実験を率いる鈴木洋一郎東大教授の話として………、
物理の理論全体に与える影響を考える前に、別の機関による検証実験で、結果の正しさを確かめることが大事だ。1987年に小柴昌俊先生が超新星爆発で放出 されたニュートリノを捉えた際は、爆発による光もほぼ同時に観測した。両者の速度に今回の結果のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は 早く地球に到達していなければおかしいということになる。〔共同〕

ここでも何回か述べているのですが、バチカンが長く進化論を認めずに来たのは、正に旧約聖書の創世記、「神は御自分にかたどって人を創造された」ことに拠るのでしょう。
神にかたどって作られた人間が、若し猿の子孫だと言うことになったら、では元々の鋳型である神は一体どういう存在として考えればいいのか、と言う深刻な論理的帰結を生じるからでしょう。

地動説も、神聖な神の御座所で有る天上世界の不動性を揺るがすものとして、火刑も含む危険思想だった訳ですが、これはもう証拠が挙がりすぎて否定する訳に行かなくなったし、神の存在を直接脅かしかねない進化論に比べれば、未だ妥協出来たんだと思います。

人間が他のサルと同じように体毛がふさふさしていたら、おそらくチンパンジーなどとの縁戚関係が早い段階で想定され、旧約聖書の創世記が成り立っていたかどうか、いささか疑問に思ったりします。

霊の起源

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今だに霊感商法の被害が絶えない。
先般も統一教会系の団体が絡んだ霊感商法被害の話題が、新聞に載っていた。

勿論一番悪いのは霊感商法を仕掛けてくる奴らだが、しかしそれに輪を掛けて罪深いのが、マスコミだと思う。
細木某女だの宜保ナニガシだのとイカガワシイ人物を、視聴率の為だけに番組に登場させ、持ち挙げ、公共の電波の権威と影響力を使って、あたかも霊だのたたりだのが実在するかの様な雰囲気作りに加担してきた。
様々な霊感商法やオウム等がまかり通った背景には、そう言ったワイドショウの影響による精神的蒙昧が少なからず有った筈だ。しかしマスコミはそう言った結果には一切責任を取らない。

RE cyonさん

>.........雄さんのご意見を読むのは楽しみですし、得るところも多いと思っていますので、雄さんが書き込みなさらなくなったら、やはり寂しく思います。

どうもこの掲示板では珍しく好意的な評価を頂き、慣れないことで逆にすこし勝手が違って.........。
私も出来れば、見解の違いは違いとして、自分と違う視点も参考にさせてもらい、少しばかり背伸びしたところでの知的興奮を味わいたいものだと、まあそう言う思いも有って書き込みに参加するのですが、どうもいつも袋叩きです。
でもおかげで最近は、議論の中身での知的興奮でなく、その人となりが透けて見えると言う「知的(痴的?遅的?恥的?蜘的?稚的?血的?乳的?)興奮」を味わっています。

>>『重要な問い』に対し、科学は応えられるか否か? と言うのはそもそもこのスレッドの最初の頃からの中心テーマの一つだった筈ですよ。

>昨日も書いたことだけれど、この「文脈の誤解and or曲解」が雄クンのステキな文章理解力を如実に表している。
>「では、科学に答えられない問い(それも人間にとってとても大切な問い)に、我々はどのように答えれば・向き合えば良いのか」
>これが、本スレッドにおける最大の論点なんだよね。「科学に答えられるか?」ではないのだ。(nn氏)

既に撤収モードの様相で、今更ぶり返すのも気が引けるのですが、tm氏、nn氏からスルーを激しく咎められ、レスを要求されています。
即レスが出来なかったことを詫びると共に(しばらくゲンナリして書き込む気にさえならなかった)、極力スルーの無いよう逐条的に対応してみようと思います。
おかげでえらく長くなってしまいました。その点も悪しからずご了承下さい(ホントに長くなりました。でも2人分ですし、勘弁して下さい)。

>スレの流れとして重要なのは、愛・妖精・キリスト教の教義・ある特定の妄想の扱い、対自然科学的認識という話ですよね。

うーん、
今一寸頭に浮かんだことを書いてみますね。だから今までの「愛」についての問題と違って、後で「訂正」と言うことが有り得ますので、その点、悪しからず。
それとgbさんの問題意識と噛み合うかどうか、それも自信は有りませんが。

>配偶者間の感情が自分のコピーを守る感情を上回るわけないじゃん?

自分のコピーを守る為にこそ、ヒトは「愛」の感情を発達させたと言っているのです。その感情を発達させなかった個体は自分のコピーを残せなかったでしょう。つまりヒトにおいて、メスだけでは子育ては難しかったのです。

>雄さんのコメントを読んでいると、科学万能主義を主張しているような感じを受けるけど、錯覚でしょうかね。

錯覚では有りません。
科学によって直ぐに全てが解決できると思うほどノー天気でいる訳では無いし、科学の悪用も有るので、「科学万能主義」と言う呼び方が適切だとは思いませんが、真理への接近の道が有るとすれば、それは科学だろうと思っています。

>枝葉が長ぇなぁ...まぁいいけど。

nnさんも結構長いですよ。...まぁいいけど。
最初に事実関係を.........、

RE ahさん
>行動生態学者や神経生理学者の書いたラブロマンスが感動的かどうかはよくわからない(笑
というような感じかなー、と漠然と思いました。

どうしてどうして、感動モノですよ。
あまりロマンス仕立てに脚色したものはしらけますが(竹内某女の如く)、淡々と進化生物学的考察を述べた「愛のドラマ」は読んでいて、心がわしづかみにされるのを感じます。

>これこれ、設問は「自然科学的な意味で」だよ・・という突っ込みが出てきそうですが、自然科学と社会科学に区別をおきたくないのは私も同罪なんで(^_^)
>それと、人文科学はどうなのよ、という点はtmさん他との摺り合わせは必要かも知れませんよ。

dmさんの「突っ込み」の意図は充分理解できます。以下三点ほど言い訳です。

>あまりに雑な議論でなおかつテーマの曲解がひどいと感じるので、コメントせずにいられない(苦笑。

私の表現の稚拙さをご指摘なのであれば、それは甘んじてお受けします。
......ただ、話の進め方やテーマの扱いはそれぞれの論者の問題意識と直接関連していて、つまりその辺は私の「教導権」に属する問題だと思っています。今読み返してみても本人には特に問題を感じません。
と言うことで、多分今後も直らないでしょう。悪しからず。

RE tm氏
楽しく読ませて頂きました。

>>私は『実在しないもの』を実在しないものとして、つまり空想上のこととして「学問」することを「意味が無い」などと言っていません。

>空想上のものという前提だろうが、実在していると妄想していようが、それはその学問的価値には直結しにゃーのだよ。僕はもともと、研究者の世界観や信念と学問的価値が直結するのは「イズム」であるという文脈で話していたにゃんぞ。

仰っていることが分かりません。私はただ.........、
>自然科学的に「実在」しないものを対象にした研究に意味はない、という白痴的言明を指示しているのは、実に分かりやすい科学主義の病状だにゃ

と言うtm氏のご指摘に、「そんなこたあ言って居ないよ」として、上記冒頭の解答をしただけです。後出しのすり替え話みたいなことを言われても、返答のしようが有りません。

>テーブルにつかない相手.........、

「テーブルにつかない相手」を「相手」にするのは、実際なかなか難しいでしょう。
ドーキンスも「神は妄想か」の中で、「宗教的な読者が、本を閉じるときには無神論者になっているだろう」と言う予想を「なんと言うあつかましくもずうずうしい楽天主義か!」と自嘲?しています(16ページ)。
非科学的ビリーバーやその「教祖様」には、時に「おたっしゃでー」と言うしかないと私も思います

RE kaさん
>>「物自体」は既に100年も前に、観念論、唯物論の両陣営から完膚なきまでに論駁されていて
>よろしければソースください

カントの「物自体」は、後に二つに区分けされることになる不可知論のうちの、その一つの主張です。
不可知論にしても、その反論にしてもそれぞれの哲学的主張であって、神の実在と同じく賛否両方ありますので、例えば自然科学における、「ニュートリノ振動が 『実証』された」と言う形で決着が付く訳では有りません。ですから特に客観的なソースと言うものがある訳では有りません。
「完膚なきまでに論駁されている」と言うのは、私はそう思っている、と言うことです。現実に不可知論は広範に生き残っていますから、そうでない人たちも大勢居るということですね。

RE tm氏

tm氏と私の間に明らかな見解の違いが有ることは重々承知しています。それでいいのだと思っています。
例えば、私はニーチェは最悪の哲学の一種だと思っていて、どうもこれだけでtm氏からすれば病気に見えるかも知れません。
カントについても、その汲むべき内容が多い中で、tm氏が話しに出された「物自体」は既に100年も前に、観念論、唯物論の両陣営から完膚なきまでに論駁されていて、哲学的には決着が付いていると言う認識です。

nnさんから、私が言及していない問題にまで踏み込んでの問題提起を頂きました。

例えば自称カッパ学者と「バカ市長の公約した予算消化」「おかしな事業」との関係。
或いは、「アメリカの一部で(或いはイスラムの一部で、又はオウムで)、宗教・神の名で行われていること」と、「営利拡大の為と正当化をされた企業による乱開発」「マイナスイオンなどの欺瞞商品」「国の名のもとに行われる暴力行為」との関係。等など。

私はあまりそう言った、話しの一般化はしていなかったつもりだったのですが。
ドーキンスが、一部の急進的原理主義者による産科医院放火や、医師の殺害を批判することと、一般的に悪徳医師が批判されるべきだと言うことを混同していないのと同じように。

>妖精について知りたければ「妖精学者」に聞くのはアタリマエなのではにゃーのか?(189 tn氏)
>ぶっちゃけ、私がカッパについて知りたければ「自称カッパ学者」に聞きますね。多分。(202 ah氏)

それはそうでしょうね。私もそうすると思います。あくまで空想上の「妖精学」、「カッパ学」として。水木シゲルに期待するのも、その域をでないでしょう。
ドーキンスもそう言った「.........学」まで否定したり、攻撃しているものではないと思いますよ。

【感性と理性】

水の中に箸を斜めに入れれば水面を境に折れ曲がって見えます。
これは錯覚(錯視)でもなければマジックでもなく、ましてや妄想でも有りません。それが正当な感覚であり、100人いれば100人そのように見るでしょう。
しかし箸に触って撫でてみればどこも折れていないと感じられます。

前段は視覚による感性的認識、後段は触覚による感性的認識(人間の認識は必ずことばが介在するから、純粋な感性的認識は無いと言われる)。
どちらも同じ感覚同士の認識であって、この場合どちらの感覚を頼りにして良いのか、これだけでは判断出来ません。

しかし箸の角度を変えれば折れ曲がる角度も変わってくるし、水に入れる深さを変えれば折れ曲がる位置も連続的に変わってきます。
箸を水から出すと、箸は真っ直ぐで折れた痕跡も見当たりません。

箸のような硬いものが、角度や位置を変えて連続的に折れたり、一旦折れたものが修復することは、通常有り得ない、と言うことを過去の膨大な経験を元 に演繹し、視覚による認識が誤で、触覚による認識が真だと判断したとすれば、それは感覚を超えた理性的認識になる訳です。理屈を言えば。

タバコが硬貨のような硬いものを通過する筈が無い、と言う理性を、一般的な現代人は既に身に付けていて、だからこそ手品として楽しめるのでしょう。
しかしこれをかっての未開の部族や、遠い過去の時代にやって見せたら、いっぺんでシャーマンになれること請け合いです。

いわゆる超常現象や超能力を、それだけで何の疑問も無く信じる人と、他との連関の中で「そう言うことは有り得ない」と判断して「何か裏が有る筈だ」と問題意識を持てる人の差は、理性の差でも有るんでしょうね。

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