群れから社会へ

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※ 初めに-人間の本質?


人間の本質!!

なんとも大仰な、”くさい”お題です。
しかしその大それたお題に、ともかく正面から迫ってみようと言うのがこの雑文です。
我々人間は他の動物と較べたとき、どこが同じで何が違うのか。 そしてその違いは何に由来しているのか。

本来動物(生物一般も含め)は形質上の変化、つまり種分化を通して新しい環境に適応して来ました。ある種の恐竜が、前肢を羽根に変化させることにより、分化して鳥類となり、空を飛べるようになった、等はその一例です。
そしてその形質変化の拠りどころは、遺伝子・DNA塩基配列の変異とそれに基づくタンパク質合成の違い、と理解され、この遺伝子的変異の度合いと、外見上の違い、つまり表現型は、全体的には概ね正の相関関係を示してきました。

同時にそのことによって、同じ種に属する個体は、仮に地域や集団が違っても、その行動様式には種としての共通性が見られます。身体の造りによって行動様式も制約を受ける訳で、そこに共通性を示すのは、言わば当然のこととして承認されていた訳です。
つまり或る地域、或る集団で採取された個体サンプルの観察結果は、その種全体をほぼ代表するものと考えて大きな問題は無かったのです。

細かいことを抜きに大雑把に言えば、「動物の形質と行動は遺伝子DNAの塩基配列によってコードされている」、と言って差し支えなかった訳です。

少なくとも、人類の出現までは………。


様々なサル達

チンプとヒト、遺伝子の違い 1.6%

人類はおよそ600〜700万年程前に、チンパンジーやボノボ(※ 注1)との共通祖先から枝分かれしたもののようです。それ以前は、ヒトもチンプも同じ動物だった訳です。(※ 注2)
数百万年と言う年代は、生物進化のタイムテーブルからすれば多分、ホンの僅かな時間なんでしょう。それもあって、ヒトとチンプの遺伝子的な違いは1.6%(16% じゃ無いですよ)しか無いそうです。1.2% と言う研究結果も有ります(※ 注3)。
つまり生物学的には、ヒト(※ 注4)とチンプは今でも殆ど同じ動物と言って差し支えない状況です。

しかし、改めて言うまでも無く現在の人間とチンプは、外見上も、そして何より行動様式も大きく異なります。
又、人間と言う種だけを見ても、肌の色や身長等の形質、取り分け行動様式は千差万別です。エチオピア人を以て人類を代表することは出来ないし、イギリス人を以て代表することも出来ません。又同じイギリス人でも個体(個人)によって行動様式は様々です。
しかし地球上の全ての人間は、ホモ・サピエンス・サピエンスとして、一つの種です。

チンプやボノボと人間の、この形質的・行動様式的な違いを、1.6% の遺伝子的差異で説明することは困難です。同時に、同じヒトと言う種で有りながらこれだけバラエティ豊かな違いを、生物学の枠内で説明することも、なかなか難しいでしょう。
上記した「遺伝子的差異と形質・行動の相関関係」は、少なくとも人間に関しては成り立たない、と言えます。

遺伝的差異と形質の逆転

チンプとボノボ、そして人間との関係を見てきましたが、この三種グループの共通祖先と、次に近縁なのがゴリラ(ほぼ1000万年前ほどに分岐)、その次がオランウータン(同、1400万年前)です。以下、様々なサル達と、年代を遡るたびに、より幹に近い共通の祖先と枝分かれしたことが分かっています。

ここで言えることは、チンパンジーやボノボから見て、種として一番近い親戚は、ゴリラやニホンザル等、他のどの「サル」でもなく、人間だと言うことです。つまり、チンパンジーにとってゴリラやニホンザルよりも、人間の方が遥かに「血が濃い」訳なんですね。当然遺伝子的差異もその通りになっています。 「霊長類の系統樹」参照。
本来ならばそれを反映して、人間とチンパンジーが、外見も行動も一番似通っており、少し離れてゴリラ、更に大きく離れてオランウータン、サル達となるべきですが、実際は人間だけが際立って特殊であり、他の霊長類は、まあ外見的には若干の違いは有るものの、何れも森や林の住人として多くの共通性を色濃く残しています。チンプも又その一員として、本来最も近縁である筈の人間とは隔絶して見えます。

つまり A と言う共通の祖先から A1、A2、A3 と言う順序で、種が分岐したことが分かっていたとして、A1とA3は比較的似ているのに、A2だけがとんでもなく違っていると言うことは、普通は有り得ない。この有り得ないことが人間とチンプ、ゴリラ、そして他の全てのサル達の間で起こっている事態です。
この、人間と他の霊長類との、分岐=血縁距離と形質・行動様式の乖離の、言わば逆転現象を、生物一般に見られる遺伝子的差異、つまり「生物学の枠内」で説明することは絶対に出来ません。

若し出来る、と仰るなら伺いたいものです。

進化生物学者の戸惑い

この「出来ない相談」を、あくまで生物学の枠内で説明しようとして、進化生物学の専門家がなかなか苦労している様子が、私のようなドシロートからしても、書籍やWebサイトで散見できます。

上で述べたことの繰り返しになりますが、1〜2% と言う遺伝距離からすると、チンプもゴリラも、ヒトのグループに入れるべきだ、と言う見解が、当然片方に有る訳です。
ヒトの指標として「直立二足歩行」「道具の使用・作成」「コトバの使用」などが挙げられますが(このこと自体は私も全面的に賛同です)、チンプもゴリラも二足歩行が頻繁に見られるし、最近の観察結果から、道具の使用や一部作成まで確認されている。
コトバにしても人間の専売特許と言う訳には行かず、類人猿は勿論、クジラやイルカも何種類かの鳴き声でコミュニケーションをとっていることが確認されている。
生物学的見地から見たとき、一体、人間をどこで他の類人猿と区別すればいいんだ?、って訳です。

しかし片方、子供の目から見てさえも、人間と他の類人猿との違いは一目瞭然な訳で、森の中のサル達と、ニューヨークや丸の内の高層ビル街で働いているビジネスマンやOLを較べて、「殆ど同じ」だと素直に感じられる人は少ないでしょう。
じゃ、その違いはどこから来るのか、ってのが又片方に有る訳です。

進化生物学専門家の著作や、討論などを読んでいると、往々にしてこの堂々巡りに陥っているケースを見受けます。
この矛盾を「解消」すべく、例えば次のような主張がなされます。

アドルフ・ポルトマン(1897-1982)と言うスイスの動物学者が、「人間の属性」として三つ挙げています。

  1. 直立二足歩行
  2. 道具・言語の使用
    (※ 管理人注 ここまでは良いでしょう。次に………、)
  3. 洞察力、つまり未来予測性が有るかどうか、

……だと言うんですね。そしてこのボルトマンの主張を紹介していた日本の学者も、三番目の「洞察力」が非常に重要だと述べています。

しかしこれはチョッと考えれば直ぐ分かることですが、完全なトートロジーです。
「洞察力」は確かに人間と他のサル達を区別する重要な属性では有るにしても、それは人間化の結果です。元々ヒトと、チンプやゴリラは過去において同じ動物だったのであり、その時そこに「洞察力」についての違いなど、何も無かったのです。
重要なことはかって同じ動物だったチンプやゴリラとヒトで、どうしてヒトだけが洞察力を身に付けることが出来たか?であって、その原因に結果を織り込んではいけません。

こう言う論法で言えば、つまり進化の結果として達成された属性を、ヒトの起源に持ち込む見解は、旧約聖書の「アダムとイブの誕生」に繋がります。最初から出来上がった形として人間を考える訳ですから。
「生物学的」枠内に囚われてしまうと、逆に人間を神聖化したものに押し上げてしまう危険が有る、その一例です。

言う方も言う方ですが、それを持ち上げる方も持ち上げる方だと思わざるを得ません。
(勿論こんな「専門バカ」ばかりでなく、適切な見解を示してくれる専門家の方が大半なのだろう、と言うことは付け加えておきます。既出の長谷川真理子さんなどはそのお一人です。
或いはボルトマン氏にしても、業績一般についてはおそらく大なるものが有る、とは思うのですが )。

ヒトの歴史そのものに沿って考える

何故こんな、シロートでもオカシイと直ぐ分かるような落とし穴に陥るのでしょうか。
一つには繰り返し述べているように、人間の進化を「生物学の枠内」だけでは説明できないことの、専門家からの白状でも有るでしょう。
もう一つ重要なこととして、ヒトが他のサル達と分岐して数百万年経過した、今の高みに立ってヒトやサル達を見ているのではないか、と言うことです。

分岐して数百万年、独自に進化してきた現在の人間とチンプやゴリラを比較したとき、「洞察力」に限らず、我われは着目するあらゆる項目について、その明らかな差異を言い立てることが出来ます。

曰く、人間だけが衣服を着用する。
曰く、人間だけが精神性を持つ、或いは宗教を持つ。
曰く、人間だけがパソコンを使う。……その他色々。
或いは人間だけが笑いを知っている。等など、etc、エトセトラ………、

現にそう言う違いに基づいて「衣装哲学」「宗教哲学」などの切り口から人間を理解しようと言う「学問」も有りました。 しかしそもそもこれらの違いは、今だからこそ言えることです。
繰り返し述べているように、人間とチンパンジーやゴリラは元々、同じ祖先から枝分かれしたのであって、かっては全く同じ動物だったのであり、その時そこに、どんな項目であれ両者の違いは全く無かった筈です。

元々同じ動物種から出発し、分かれた今でも生物学的には殆ど同じと言ってもいいチンプと人間が、その歩みの中で、何が起こって何が違ったから現在のここまでの巨大な差が生じたのか?
何かが起こったことは間違いない訳で、その「何か」を考えて行くことで、逆に現在の人間の有り様、本質が見えてくるのではないか。そう言う問題意識を持ってのテーマです。

「頭が先」的、俗論への批判

関連サイト等で散見されるもう一つの典型的な俗論に次のようなものが有ります。色々な言い回しがされるのですが、私なりに「意訳」して言えば………、

突然変異によって人間の祖先に、脳増大の傾向が生じた。その変異(脳増大)は、サバンナと言う新しい環境に進出し始めたヒトにとって適応的だったので、自然選択によってその傾向が強まりヒトは賢くなり、道具や言葉を使うことが出来た。
直立二足歩行はその重くなった頭を支えたし、肉食は栄養面から支えた。

こう言った論調です
このこと自体は間違いとは言えないかも知れません。問題は何故人間だけにその傾向が生じたのか?チンプやボノボ、或いはゴリラやオランウータンに何故その傾向が生じなかったか?と言うことです。

脳増大に繋がる突然変異が有ったとして、それはヒトにも他の類人猿にもおそらく同じ頻度で発生した筈です。或いは現在でも発生しているかも知れません。突然変異とはそのようにランダムに発生するものです。
その変異が、何故ヒトでは選択され、他の類人猿では押しなべて選択されなかったか、ヒト以外では何故脳増大が適応的でなかったか、出発点に遡ってその説明が必要でしょう。
同時に、上記説明が仮に正しいとしても、僅か数百万年の間に3倍の脳増大は異常です。

その説明無しで、ただ人間だけに「たまたま」脳増大の傾向が生じ、「たまたま」自然選択された、とするなら、それはご都合主義の極みです。
進化の歴史の中で、ヒトにだけ生じた要因、ヒトだけが余儀なくされた要因を考え、そこを議論の出発点にすべきです。

そもそも我々人間と他の類人猿との分水嶺を、脳の大きさに求める考えは1960年代までの話です。
それまでの著名な人類学者を含む、多くの(全てではないが)見解は、直立二足歩行に先立って、先ず脳の拡大が有った、とするものでした。 拡大した脳の制御によって複雑な作業が可能となり、手を自由に使うことに促されて二足歩行が進化した、と言う訳です。
そう言った、脳、先行説とも言うべき先入観、期待感によって生み出された捏造話が、次の「ピルトダウン人」です。

※ ピルトダウン人―二十世紀最大の科学スキャンダル

1908年イギリスで、後に二十世紀最大の科学スキャンダルとも呼ばれるような、トンデモ「発見」が有りました。
結論から言うと、ヒトの頭蓋骨化石と、薬品処理などで古く見せかけたオランウータンの下顎骨と歯の組み合わせで、「未だ類人猿の痕跡を残している当初から、脳の発達が先行しているヒト」を「創作」し、意図的に砂利採集場に置かれ、後に「発見」された事件でした。
発見されたと言う地名をとって「ピルトダウン人」と呼ばれます。

骨の破片が発見されてから三週間後、弁護士でアマチュア化石ハンターのチャールズ・ドーソンと、イギリスの一流古生物学者、アーサー・スミス・ウッドワードが、期待に溢れた観客で満員の地質学会会場で、その骨を披露した。
その場には、優れた解剖学者として知られるアーサー・キース、もう一人、英国の輝ける解剖学者、グラフトン・エリオット・スミスも同席していた。

これら四人だけでなく当時の英国科学界全体が挙げてこの「化石」を、ヒトの祖先と持ち上げ、結果的にイッパイ食わされたのでした。
「化石」を埋め、騙した張本人が誰か、それは今もって謎となっています。
容疑者の中にはあの、シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルも含まれています。

「他の動物と比較したヒトの最大の特徴は、脳の特異的な発達である。だからヒトは先ず最初に発達した脳を獲得した筈だ」と言う、間違いでは有るが当時としては自然な?考えを信じ込み、その線に沿っての「先祖の化石」捏造でしたが、その真偽や意義をめぐって学者や評論家の論争が入り乱れ、決着にいたるまで40年の歳月を要することとなりました。
二十世紀初頭と言えば、知られていた人類の祖先は、ネアンデルタールやクロマニヨン、かろうじてジャワ原人の頭骨の一部程度です。ピルトダウン人がヒトの起源を探る鍵として注目されたのも無理からぬところです。
「ヒトは脳から進化した」とする立場からすればお誂え向きの「発見」でも有ったことでしょう。

ピルトダウン人のいかがわしさは結果的に、騙された英国科学界自身の手によって正された訳ですが、ピルトダウン人のいかがわしさは兎も角として、私がここで言いたいことは、ピルトダウン人の「発見」から100年経過し、アウストラロピテクスやサヘラントロプスなど、正真正銘の古い先祖化石が相次いで発見されている現在、いまだに「洞察力」だの「最初に脳増大の突然変異」などと主張することは、ピルトダウン人と比較してさえも大きな科学的後退、科学的退廃であろう、と言うことです。

化石が証明している事実は、ヒトはチンプなどと分岐してから長い間、殆ど脳増大の痕跡が見られず、脳増大の傾向が顕著になったのはホモ・ハビリス(250万年前〜200万年前)辺りからだと言うことです。
そしてその時期はオルドワンと呼ばれる、人類最古の石器文明の発祥と重なります。

後述しますが、ヒトはチンプなどとほぼ同じ脳容量のときから、道具を使っていたし造っていたのです。頭が良くなってから道具を使い始めた訳ではないのです。

群れから社会へ-連続と飛躍

結論から言うと、ヒトを人間とした要因は「道具」と「言葉」です。
そしてそれを必要としたのは、群れによる共同作業、つまりは「社会的な労働」であり、道具と言葉を可能にした基礎的な要因は「直立2足歩行」です。

道具は身体器官の延長であり、その点で「形質上の変化 = 進化」を代用するものです。しかし実際の生物的進化が、突然変異による遺伝子DNAの変異と自然選択という、地質学的時間を要するのと違って、同じ身体器官の延長・代用であっても、道具の発達・進化は遺伝子DNAの変異に依存しません。人間の知能の発達・社会全体の知識の集積に応じ、急速に無限に発達させることが出来ます。
そのことが、1.6% に過ぎないヒトとチンプの「生物学的」違いを乗り越える鍵です。
冒頭で触れた、恐竜から鳥への移行にどれ程の長い年月を要したか、私は承知していませんが、ライト兄弟の初飛行から僅か100年で人間は月に人を送るまでに、その「翼」を進化させています。

言葉はヒトに抽象的思考、概念的思考を与えました。

直立二足歩行によって前肢が「手として」解放されたからこそ、道具の使用や製作が可能だったし、発声に必要な生理的形質も整いました。
牙や爪などの武器も無く、無力な存在として共同作業の必要に迫られたからこそ、共通の道具が発達することになったし、コミュニケーションの手段としてのコトバも発達したのだろうと考えられます。ひいては、人間になることが出来た訳です。

この雑文を通して私が述べたいことは、次の2点に集約されます。

  1. 人間を、他の動物と切り離して、何か特別で神聖な存在だとする、例えば旧約聖書の「創造論」等の立場を退け、人間もまた、ヒトとして動物の一種であり、他の全ての生物の進化の延長として考える。つまり他の生物全般との「連続性」を承認する。
  2. 同時に、人間を単に生物学的な存在としてだけで見るのでなく、他の動物に無い人間だけに特有な、社会的存在として理解し、そこに人間だけの「飛躍」を認める。
    人間の社会に、生物学的な法則を安易に持ち込んで機械的に解釈しようとする、所謂「社会ダーウィニズム」等の俗論を批判する。

この線に沿っての、進化人類学門外漢の独善的バグ夜話です。
批判は甘んじてお受けします。

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